8月23日(月曜日) 晴れ  マドリッドートレド

寝台車で目覚めると、朝6時半。車窓には、乾燥した黄土の高原地帯が、広漠として続く。8時、乗務員が簡単な朝食を運んで来てくれた。9時半、マドリッドのアトーチャ駅へ帰着。

駅の構内で、昨日の沖縄生まれの男性教師と、また遇う。同じ夜行列車で来たらしく、これからパリへ出たのち帰国すると言い、挨拶して別れた。「日本人って、皆んな同じコースを選ぶんだな……」と思った。
窓口で、トレドまでの列車の席を取る。バルセロナからアヴィニョンまでの予約について訊くと、来月分の国際線は駅近くの旅行社へ行け、と言われる。駅を出て、徒歩で旅行社に立ち寄り、バルセロナからの急行指定券を確保。そこから近辺にあるプラド美術館へ、再び歩いて行ってみると、これは不覚、月曜日で休館!
そこでまた、駅近くに戻って、先日のEngrish 対応のカフェで昼食。シーフードサラダとポテトコロッケ。

午後2時15分発、トレド行きに乗車。マドリッドの周囲には、数時間で行ける、アランフェスやエル・エスコリアルのような古い町が幾つか散在するが、トレドは最たる古都で、マドリッド以前の首都でもあった。
4時、トレドに着く。鉄道トレドの駅舎は、いわゆる「ネオムデハル様式」で造られた、独特の味わいを帯びた建物。スペインの文化財にも指定されているそうだが、トレドという都市に影響を与えた、アラブの文化の臭いが感じられる。建物を眺めるべく、駅の外に出た。と、辺りに人影が無い。シーズンが去るのか……

         行く夏のトレドの駅に降り立てば
         人ひとり無く静まりにけり

駅の付近に停留所があり、バスの来るのを暫く待つ。空に浮かぶ白雲は、もう秋の気配だ。……
トレドは、三方をタホ川に囲まれた高台の要塞都市で、ローマ時代から要害の地として知られ、政治・経済・   
文化の交流地だった。6世紀に西ゴート王国の首都となり、8世紀から約400年間はイスラム教の支配下にあった。11世紀からキリスト教勢力が再起したが、この地には以後も長くイスラム教徒が残り、キリスト教やユダヤ教との共生地と化した。およそスペインの各時代の中心地として存在するが、16世紀半ばのマドリッドへの遷都後、この要塞都市は一転して今日まで、16世紀の面影を残す「古都」として生きて来た。

鉄道駅から旧市街まで、徒歩では約20分かかる。タホ川に架かるアルカンタラ橋を渡ると、すぐ高台の街の中心部に入る。が、荷物があるので、漸くやって来たバスに乗った。誰も乗っていない。バスはタホ川の周辺を大きく迂回し、バスターミナルを経由して、旧市街の背後にあるビサグラ新門から、街中に入った。と、石畳の道や細い路地が入り組み、中世さながらの建物がぎっしりと立ち並ぶ、川向こうとは異なる境界が出現し、坂道を上り、右に折れ左に曲がり、やがて街の中心地のソコドベール広場に着いた。
広場の周囲には、ホテルやペンションや土産品店やカフェが並んでいて、そこで下車した。すぐにホテル探しで数軒を当たってみたが、あいにく何処も満室。この広場の中央には大木が繁り、木陰の下のテーブルと椅子に、数人の男たちが休んでいる。訪れる旅行客の世話をする、現地の住民たちらしい。そのリーダーらしき中年の男性に近寄り、ガイドブックで覚えた片言のスペイン語で、「Estoy buscando  hotel. ホテルを探しています」と言ってみた。彼は振り向くと微笑、立ち上がると「来なさい」と手を振り、先に歩き出したので、僕も付いて行った。広場から1分ほどの僅かに離れた場所に、こぢんまりとしたホテル「マラビーリャ」があった。部屋数の少ない家庭的な落ち着いた雰囲気で、以前に泊まった京都大学の学生会館に似ているなと感じた。1階の食堂は郷土料理がメインらしく、地元の人々の社交場だという。
その中年の男性が、フロントと交渉してくれた。当地の宿泊予定3泊のうち2泊の部屋は取れたが、2日目の明日の部屋が空いていない。それでもいいと答え、男性に礼を述べ、とりあえず401号室に荷物を置いた。

すぐに外へ出て、明日のホテル探し。夕刻の広場は人影が少なかったが、バッタリ日本人の女学生ひとりと出逢った。聴けば、画学生のよしで、同僚の女性2人と当地のペンションに逗留。1人は2年もいてトレドの絵ばかり描き、自分も小さな家を借りてアトリエにしている。ペンションには、外語大のスペイン語専攻の男子学生1人も長逗留していて、溜まり場なんですよ、と話してくれたのには、驚いた。日本にも、いろいろな若者たちがいるのだ。そのペンションに部屋が一晩だけ空いていないかと、彼女に問うと、「そういうことなら、すぐに一緒に行ってみましょう」と親切に言ってくれたので、そこから至近距離のペンション「アラヨ」まで案内して貰った。幸い部屋はあったが、これこそ安宿! 皆、よく居るなアと、画学生たちに感心した。

ホテル「マラビーリャ」へ戻り、午後8時、1階のレストランで夕食。奮発して、こんがりと焼かれた子羊のローストを注文し、柔らかく茹でたジャガイモに、マヨネーズをあえた「パタタス・アリオリ」を添えものとして食す。が、この添えものが、美味しかった。ジャガイモは、新大陸からイベリア半島へ渡来した産物らしいが、実際、スペインのジャガイモはオムレツその他に使われ、この国の味覚を豊かにしている。郷里の幼馴染みの従妹の順子が、ことのほかジャガイモ好きなので、このスペインのジャガイモを食べさせたいな、と思った。食後、赤ワインにオレンジやレモンなどを加えた果実酒「サングリア」を飲んでいると、日本人の老若2人の男性が入って来て、向こう側の椅子に座った。……

挨拶を交わすと、片方は京都在住の画家の水原氏で、もう1人は、そのご子息だった。
水原氏は、「このホテルは小さいが、清潔で、部屋も料理もいい」と言われ、「10年前にもスペインを巡ったが、ほとんど変わっていない。観光客が少し増えたくらいです」と語った。お歳を伺うと、68歳。ずいぶん若々しく、老けて見えるご子息は、僕と同年。音楽専攻でウィーンに留学中。父上は「これに会いに来たようなものです」と笑い、ジュニアは「ウィーンの街は、クリスマスには人影が無くなるんですが、夏休みになると、公園なんか旅行者で溢れますから、逃げ出して来たんです」と、嬉しそうに微笑。大戦で父を亡くした僕は、こうした仲の良い父子を見ると、いつも弱い。ジーンとなる。父と子ふたりでの旅か……。
向こうの席にも酒肴が運ばれ、水原氏はワインで老顔を紅くしながら、「今日もトレドを見物して、考えたんですが、こちらの建築でも絵画でも、天に向かっている。すべて立っている。日本のものは皆、横になる。腹這ってしまう。こちらは何でも、朗々と歌い上げる。でも日本人は、呟くんです。俳句なんて、溜め息を漏らすようなものですよ……」と、一気に意見を開陳された。画伯は一見識ある方だ、と思った。
こうした日本の人たちと話すのは久々で、互いに話題が弾み、気が付くと、古都の夜は更けていた。

12時、ベッドに入った。……


◎写真は   古都トレドの遠望(亡母遺品の絵葉書)