8月20日(金曜日) 晴れ  リスボン

8時半、遅く起床。9時、朝食。リスボンの気候は爽やか、却って元気が出ない。ダラケタ1日になりそうだ。テージョ川に架かるサラザール橋が、サンフランシスコ大橋に似ているとかで、観に行きたかったが……。

午前中はベッドの中にいて、秋のアメリカ旅行のガイドブックを読了した。遅めの昼食を、坂下の小レストランで。野菜のサラダと、貝類の入ったオムレツ。ボーイが話しかけてくるのが、少々煩わしかった。当地の人々は概して温良で、スペイン人のような激しさが無い。……
午後は、自室の机に座り、ニューヨーク在住の渡辺美代子氏(日系人で、最初の渡米歌舞伎公演の英語解説者)に手紙を書いた。「紹介者があり、秋のニューヨークでお会いしたい」云々……と。

夕刻、再び外出。近くの食料品店で、チーズとパン、ソーセージの缶詰め、果実と飲料などを求める。いつの間にか、缶切りが失くなったので、数軒先の雑貨店で買うと、値段が25エスクド。50エスクドあれば、一流レストランで食事が出来ると聴くから、これは高かった!
夕暮れの「バイロ・アルトの丘」を散策。薄青の空、静かに澄んだ空気、柔らかな快い風、ひっそりとした家々の白壁と紅色の屋根。ひとつの調和された環境は、旅人にとって、まさに「オブリガード!」だ。と、子供たちの遊び声が、風に乗って聴こえてきた。脇道に入って少し行くと、通り沿いの石の階段に、2人の子供が座り込み、どちらも頬に手を当て、考え込むように黙って、じっと空を見上げている。ソッと通り過ぎたが、こんな風景は今の日本には無いな、と思った。曽我兄弟が雁の群れを見上げ、亡き父を偲ぶ図である。
早くもリスボンは、日没頃には相当に冷え込む。坂道の上り降りで、セーター姿の人たちとも遇った。……

ペンサオンの自室で、缶詰め料理の夕食。気軽で経済的だが、むろん味気ない。……昨日、アルファマ地区を歩いたとき、貧しげな家の窓から、ファドの楽器のギターラを爪弾く音が漏れてきたのが、ふッと思い出された。僕の幼少時代には、まだ地方都市でも、裏町を連れられて歩いていると、三味線の音が聴こえるようなときがあった。今の日本には、ああいう一寸した、ほッとするような時間が喪われてしまった。……早めに休む。

          リスボンのアルファマとは何処かな
          世界の果ての西の地に在り


8月21日(土曜日) 晴れ  リスボンーシントラーリスボン

9時、朝食。この宿では、バターしか出さない。坂下の小レストランでは、バターに、ウニのようなものを添える。これが何か分からない。海の国は、食材豊富だ。

食後、すぐにペンサオンを出て、独立記念塔のある広場に近い、ロシオ駅へと向かう。行く先は、駅から列車で40分、リスボンから西方へ約30km の地点にある、観光地シントラである。
シントラは現在、リスボン近郊の有数のエクスカーションだが、元来は王家の避暑地で、緑の豊かなシントラの山中に、豪華な離宮や城舘、貴族たちの贅沢な別荘が点在し、それらが保存されている。
11時、シントラ駅へ着く。観光の起点となるレプブリカ広場まで、徒歩で20分。この日は暑さがぶり返し、日射しがキツイせいか、両眼が痛んだ。広場の周辺には、ホテルやカフェや土産物店などが集まり、ここから山上の「ムーアの城跡」「ペーナ宮殿」までは、徒歩で1時間を要する。……
どうしたわけか、なお両眼が痛むので、山上へ登るのは諦め、広場に面した「王宮」だけを、ざッと足早に見物した後、駅に戻った。そして、構内の水道の蛇口にハンカチを浸し、しばらく両眼を冷やした。……

12時半、シントラ発の列車に乗った。よく引き合いに出されるバイロンが、シントラを"エデンの園"と讃えたそうだが、王宮だけを観る限り、豪華は豪華だが平凡、それは有名詩人の「辺境へのお世辞」だったのでは?……と車中、この観光地への失望を紛らわした。……
午後1時過ぎ、リスボンのロシオ駅へ帰る。いつもの坂下の小レストランへ行き、昼食。ハマグリなどの貝類やエビを、野菜と煮て蒸した「カタブラーナ」という料理を、空手好きのボーイが勧めてくれた。これがアッサリとして、味も良かった。レストランを出て、夕食用品を少々買い、ペンサオンへ戻った。

4時頃から、405号室のベッドで仮眠。スーツケースから目薬を取り出して点滴、濡れたタオルで両眼を冷やした。7時頃に目覚めると、両眼の痛みは去り、身体がスッキリとした。試みに『唐詩選』の頁を捲ってみたが、何ら異常無し。安心して、しばらくウツラウツラすると、リスボンのような「辺境」までやって来て、こうしてブラブラとしている……自分が疎ましくなった。昨年の秋、出版した処女作の評論集も、さてあのレベルで良かったのかと考えているうちに、何やらすべてが嫌になってきた。……
そうなると買った缶詰め類にも、手を付ける気になれず、何もする気になれず、そのまま寝込んでしまった。寝るのが、いちばん良いんだ……


8月22日(日曜日) 晴れ  リスボン

朝8時、猛然と起床。今日は夜汽車で、リスボンを去る日だ。手早く荷物を纏める。8時半、朝食。

9時半、会計を済ませ、ペンサオン「ジョア」を去る。坂下の通りまで出て、バス12番に乗り、先ずサンタ・アポローニア駅へ行く。構内の手荷物預かり所で、スーツケースを託す。だが駅では、トラベルチェックのドルの換金が出来ず、タクシーでリベルダーデ通りまで走ると、アメリカンエキスプレス社の事務所は
日曜日で休み。と、近くに最高級ホテル「ティヴォリ・リスボン」が在り、試しに思いきって入場。そのクラシックな雰囲気の贅沢なロビーの一隅に、幸いにも両替所が有った! そこでやっと、無事に換金を済ませた。

時計を見ると昼時、リベルダーデ通りの適当なレストランに入り、赤エビのグリルを注文。リスボンだと、どうしても魚になる。店内の客席には、日本女性が2人いたが、黙礼を交わしただけ。
夜行列車が出るまで時間が余り、腹ごなしにサンタ・アポローニア駅まで歩いてみた。1時間は掛かったが、さて駅まで来てみると、その周辺が侘しくて為すこともなく、またもやタクシーに乗り、リベルダーデ通りへ舞い戻った。先刻の「ティヴォリ・リスボン」の、クラシックな落ち着いたロビーが気に入り、そこで珈琲をオーダー。しばらく『唐詩選』を捲って、手が届かないホテル気分を楽しんだ。……

午後4時頃、ホテルを出て、またまた徒歩で駅へ向かった。駅の近くまで来て、さすがに空腹を覚え、見かけたレストランで、早めの夕食を摂る。茹でたタラと野菜に、酢とオリーブ油をかけた料理。
すると斜め前の席に、30歳台末くらいの日本人の男性1人が、黙々と食事中だったが、終わると声を掛けてきた。沖縄の出身だが、現在は東京での教師生活で、この夏は南欧を旅行中と言い、南欧の悪口を、立て板に水の如くしゃべり出したのには、呆気にとられた。能弁で、目付きが鋭く、旅行中に話す相手が少なかったと見え、一気呵成の勢いに圧倒された。僕は黙って聴いていたが、自分のビールを時折り、彼に注いだ。
彼は以前、共産圏諸国にも旅行したらしく、「けっして楽園ではない。階級があるんです」と言い、「レニングラードのホテルでは、党員幹部の食事中は、一般はシャットアウト」「ポーランドは酷くて、党員証を持つ者が、先に列車に乗り込む。ユーゴでは、貧しい子供が金をねだる」と例を挙げ、「日本も、ああなってはいけない。もっと確りしなくてはね」と、初めて笑った。僕は、夜汽車を待つ時間をもて余していたので、彼の話が楽しかった。それぞれ支払いを済ませ、一緒に歩いて駅まで行き、そこで別れた。……

駅の構内の待合室で、列車の入線を待つ。と今度は、二十歳前後の若い日本女性と遇った。僕から見ると、まだ"女の子"だが、活発な物言いで、スペインとポルトガルを1人旅した後、ロンドンに行き英会話の学校へ入るのだ、と話す。英会話なら、日本でも学べるのに……と思ったが。駅のカフェで、一緒にお茶をして、別れた。すると、どうしたわけか、僕は又もや空腹を覚え、それから駅のレストランで、オムレツとサラダを注文。我ながら、呆れました!……

午後8時、ようやく列車が入線。一等寝台は、480エスクド。下手なペンサオンに泊まるよりマシだ。8時半、マドリッド行き発車。車窓から眺める、日没のテージョ川が美しい。リスボンまで来ることは、もう無いだろうな、と思った。……


◎写真は   リスボンのロシオ広場と国立劇場(2005年4月、再訪時に撮る)