8月13日(金曜日)  薄曇り  グラナダ

8時、起床。8時半、朝食。欧州に来て、初めてトーストが出る。こんがりと細やかに焼いてある。
9時、ホテル「カサブランカ」から徒歩で、アルハンブラ宮殿へ向かう。

先ず、ヌエバ広場に出て、そこからゴメレス坂を登る。アルハンブラ宮殿は、小高いサビーカス丘陵の赤土の上に建つ。アルハンブラとは"赤い城"の謂らしいが、赤土が基礎になっているからだろう。
ゴメレス坂の道の両側には、細い清流が涼しげな水音を立てている。一瞬、京都の八瀬大原や、郷里の身延山の奥の院辺りを思い出した。この坂道を登った地点に「柘榴の門」があり、宮殿の領域に入る。少し歩くと「裁きの門」に出る。その向こう側に案内所が見え、そこで見物の許可を得る。
ところが、宮殿の眼前には、もう1つ別の、全く異なる宮殿が盤踞していて、僕たちを遮断する。すなわち「カルロス5世宮殿」だが、グラナダが陥落してモーロ人が追放された後、スペイン王家が勢威を顕示すべく、16世紀に建設した。正方形の堅牢な構造、真ん中に柱廊に囲まれた、大きな円形の中庭がある。なかなか立派な建物だが、これという面白さや味は無く、権力の意志だけが示されている。この関所のような宮殿を見せられて、その背後に廻ると、やっとアルハンブラ宮殿の入り口が、ひっそりと迎えてくれる。

アルハンブラ宮殿は、西欧人が創ったものではない。東方アラブ世界の、イスラム教のモーロ人たちが築いた。イスラムのスペイン支配は中世800年間に及ぶが、その後期の250年間、南部スペインとグラナダを統治したのがナスル朝で、アルハンブラ宮殿は14世紀の中頃、7代ユスフ1世とその子のムハンマド5世によって完成した。奇しくも日本では、室町幕府3代の足利義満の「花の御所時代」に相当する。
だが、カトリック勢力のレコンキスタが拡大、フェルナンドとイサベル両王によって1492年、遂にグラナダが陥落。ナスル朝の最後の王ボアブディルは、シェラ・ネバダの山腹からアルハンブラ宮殿の夕照を振り返って落涙、アフリカの砂漠へと消えた。しかし、カトリック勢力は戦争に勝利したが、アルハンブラ宮殿だけは破壊できなかった。何故か? 西欧諸国はルネッサンスの到来まで、先進イスラム文化の後塵を拝し、例えばコルドバに留学生を送っていた。デヴィッド・リーン監督の映画『アラビアのロレンス』では、アレック・ギネス扮するファイサル王子が、「考えてもみよ、我々のコルドバには1千年前、すでに街灯が点っていた」と、ロレンスに語りかける場面もあるように、東方優位の地球図だった。その最たるシンボルがアルハンブラ宮殿であり、そこには憧憬すべき、美と文化が結晶していたからである。……
アルハンブラ宮殿は以後、16世紀から今日まで、カトリック勢力によって保持された。管理が行き届かない時期もあったらしく、ナポレオン時代の荒廃が伝えられている。アルハンブラを再発見したのは、不思議にもアメリカ人であった。1832年に出版された、作家ワシントン・アーヴィングの『アルハンブラ物語』は一躍、アルハンブラ宮殿を世界化し、普遍化したのである。……

アルハンブラは、ヴェルサイユや紫禁城のような、巨大かつ威圧的な宮殿ではない。遠望した外観は一見、堅牢な城塞だが、内部は全く別の世界が展開する。広大ではないが、全域を観歩くと、ほぼ3時間は掛かる。中心部のナスル宮殿には2時間が必要で、それでは短いと感ずる旅行者も有るだろう。ナスル宮殿は、3つの部分に分かれている。王が、裁判に用いたメスアール宮。儀式や行事の場としてのコマレス宮。私的な生活空間であったライオン宮である。この3つは、絶妙に配置されて、流動する連続性があり、断絶や違和感が無い。そして、この2時間、ひとつの類い稀な境界に浸った人びとは、例外なく「至福」の想いに満たされるだろう。

僕は実際、ゾクゾクとした。ウットリともなり、興奮した。それは正しく「戦慄」の時間だったのである!
ここに有るものは、西洋にも無ければ、東洋にも無い。西欧の宮殿の華麗な輝き、大聖堂の厳かな静寂。極東の仏教寺院の厳しい無常観などは、何処にも見られない。……
有るのは唯、「憂い」と「優しさ」と、さらには「癒し」である! 滅びゆくイスラムの憂愁と優美。官能の安らぎと微風。天窓の光と柱廊の影が微妙に交錯する、陰影の神秘。噴泉と流水と水鏡の、かそけき音楽。鋭さも激しさも遠退いていく、無憂国の永遠の安逸と静寂。東方的な瞑想感と哲学性、繊細にして秀麗な芸術美の両立。……これは何と言う、素晴らしい世界だ! かつて観たことも無い、素晴らしい世界だ!

恍惚と陶酔が覚めやらぬままに、ナスル宮殿を出ると、その東南方向の敷地内にバラドールがあり、そのカフェで暫く休息した。僕は、いま観て来たばかりの素晴らしい世界を、日本にいる友人たちにも見せたい、と思った。母にも見せたい。老後に日展に入選した父方の伯父にも見せたい、誰にも見せたい、と思った。素晴らしい世界だ! 素晴らしい世界だ!

      
      若き旅の憂いを癒す夏の日のアルハンブラのせせらぎの音





◎写真は  アルハンブラ宮殿のライオンの中庭(亡母遺品の絵葉書)

      アルハンブラ宮殿のアラヤネスの中庭とコマレスの塔(同上)
        
      アルハンブラ宮殿のヘネラリフェ離宮(同上)