8月9日(月曜日) 晴れ デッセンザーノーミラノージェノヴァ
早く、目覚める。7時、朝食。ガルダ湖の水面が冴え渡り、遠くの山容が鮮やかだ。煙草を買いに外へ出たが、まだ店が閉まっている。と、近くにいた中年の男性が、手にした箱から1本を指し向けてくれたが……。
7時半、予約したタクシーが「ミララゴ」へ来た。8時10分、デッセンザーノからミラノ行の列車に乗る。
9時30分、ロンバルディア州のミラノの中央駅へ着く。構内の郵便局で、母への依頼の手紙を速達で出そうとするも、料金通知のみで、切手は煙草売店で買ってくれ、と言われる。その通りにしたが、ポストも別の場所にあって、不便この上もない! 駅の書店で、イタリアの作家モラーヴィアの三島由紀夫に関する新著を探したが、見当たらない。現地の英語を少し話す老紳士が、「駅の書店には置いてない」と教えてくれた。
10時40分、ジェノヴァ行の列車に乗る。12時10分、ジェノヴァのプリンチベ駅着。すぐに構内の観光案内所へ行き、ホテルの紹介と港への交通を問う。タクシーを使い、ベッキオ港近くの旧市街にある、ホテル「リオ」54号室に、ひとまず落ち着く。ホテルの階下のカフェで、軽く昼食。それから港を一巡し、3時頃から自室で仮眠。夕刻6時、バスでブリンチベ駅へ行く。構内のレストランで、ジェノヴァ名物のフォカッチャを食べる。ピザに似ている。構内の一隅に、ルネッサンス時代の船舶の模型が、展示されていた。
「ジェノヴァ共和国」は、地中海貿易の覇者として、15世紀を頂点に富強を誇った。大航海時代が始まり、大西洋岸の諸都市へ比重が移ると、やや衰退に転じたが、その後も長く今日まで、イタリア第一の海港都市の地位を保持している。ジェノヴァ市民は、国際性と進取性があり、外国人に親切だと言われる。イタリア南部の人々とは感触が違うことを、僕も、案内所やホテルで感じた。……「世界への窓」を持っているのだ。
プリンチベ駅前にある広場の向こう側に、ジェノヴァで生まれた「コロンブスの像」が建っている。それを一見して、再びバスで夜8時半、旧市街のホテルへ帰った。絵葉書2通を書き、就寝。
8月10日(火曜日) 晴れ ジェノヴァー西地中海
8時半、朝食。その後、日本の友人たちに数通、絵葉書を書く。11時、ホテル「リオ」を出る。
ベッキオ港の船会社「デト・シーウェイス」に行き、スペイン南部マラガまでの渡航2泊3日間の詳細を、改めて確認する。応対した30代の女性事務員が、「この航路に、日本人が乗るのは珍しいわ」と笑い、事務机の花瓶に挿されたクチナシの花の1本を取り出し、セロハン紙に包んで水を振りかけ、僕のスーツケースの取っ手に、それを結んでくれた。乗船歓迎の好意と思い、親切を謝した。……
荷物を船会社へ預け、徒歩でブリンチベ駅へ出て、コロンブス像の近くのカフェで、昼食。オムレツを食べた。食後、長くて細い多くの裏路地が交差する、特異な雰囲気の旧市街を散策。「シガレッテ!シガレッテ!」と呼び掛ける老婆。魚、酒、野菜、菓子、シャーベットなどの食品。靴下や下着類や装飾品その他、種々雑多な品々が、店ごとに細かく売り捌かれている。この約半km の路地空間には、恐らくイタリア的なごった煮の庶民生活と、ジェノヴァ港の船乗りたちの体臭や息遣いが、凝縮されているのだろう。
午後2時半、船会社で渡航チケットを受け取る。4時、税関検査が始まったが、至って簡単。4時半、乗船。「ダナ・シレナ号」214号室に、落ち着く。デッキ階の1つ下。横浜出港後に乗った船では最も大きいが、
設備や装飾その他にイタリア風な濃厚さがあり、エーゲ海クルーズのアポロ号のようなセンスは無い。日本の青函連絡船にも似た、言わば大衆的な臭いがあるのだ。……
6時、出港。遠ざかるジェノヴァ港の眺望が良く、ナポリのそれに勝ると思った。
7時半、夕食。デッキの階に食堂があり、セルフサービス式と、個別のレストラン式とに別れる。セルフスタイルで、スパゲッティー・ミートボールと、西瓜を食べた。低料金で、かなり美味しい。船内には、何故かアメリカ人の乗客の姿が少ない。
8時半、船室にはシャワーが無く、その階の廊下の隅のシャワー室へ行き、湯を浴びる。サツパリして、部屋へ戻り、洗面所のコップに水を入れ、貰ったクチナシの花を挿し、枕元に置いた。狭いベッドに横たわると、花の匂いが快い。……
8月11日(水曜日) 曇り 西地中海
8時、起床。階上の食堂で、朝食。デッキに出ると、昨夜、降雨があったらしく、甲板が濡れている。西地中海の一帯には、灰色の雨雲が重く垂れ込めている。……
午前中、船室に籠り、うつらうつらと過ごす。昼食には、久しぶりにポークステーキを食べた。話す人も無いので、午後は船室で、アメリカ旅行のガイドブックを読む。その後、デッキで体操をする。
午後3時頃、「ダナ・シレナ号」は、マヨルカ島の北西部「岩の海岸」に差し掛かった。いよいよ、スペインに入ったのだ! マヨルカは大きな島だ。北西海岸にはトラムンタナ山脈が走り、急角度で海に落ち込み、長い絶壁となって続く。曇り空の雨雲の下に、島影が峩々として聳え立ち、延々として続く。通過には2時間ほどを要したので、その間、孤絶した虚無感のような雰囲気に包まれた。……
それを抜け出すと、西地中海に隣接する、絵のような幾つかの村が散在する。ショパンとジョルジュ・サンドが滞在したパルデモーサもある。その頃には、雨雲が切れて、夕陽が薄く顔を出した。そこで、デッキから海中へ、クチナシの花を流した。……船は、マヨルカ島を去った。
6時半、夕食。メンが糸のように細いパスタを食べた。7時半、船室に戻る。
◎写真は ジェノヴァの旧市街(亡母遺品の絵葉書)