8月4日(水曜日) 晴れ  フィレンツェーヴェネツィアーデッセンザーノ

深夜に目覚める。母に1通、絵葉書を書く。寝苦しく、汗止まらず。午前4時、思いきって起床。ここを早めに発つことにする。洗顔し、荷物を持ち、階下のフロントに降りる。「朝食は不要、チェックアウトする」旨を伝えると、何と1泊の料金を返してくれた。これには驚いた、良心的だ!

フィレンツェの中央駅で、朝6時30分発の列車に乗り、次の目的地のヴェネト州のヴェネツィアへ向かう。車中、ホームで買ったサンドイッチを頬張り、オレンジジュースを飲む。
午前11時、ヴェネツィアのサンタ・ルチア駅に着く。ホームから駅を出ると、目前に運河が広がり、意表を突かれる。炎暑の陽光が水面にギラギラと反射し、駅から階段を降りた船着き場は、観光客でごった返していて、騒然たる雰囲気に包まれた。大観光地だから、真夏でも群衆の興奮の坩堝と化す。運河には、何やらゴミめいた布切れも浮かび、どんよりとした水面が熱せられ、微かに異臭が漂う。瞬間、僕には嫌悪感が生じた。
この過熱・過密の境界から、逃げ出したい! ここに数泊するのは、嫌だ! そうだ、予定を変えよう。……
が、ここまで来た以上、ざッと短時間でも一回り見物してから、ここを逃げ出そう。
そう決めて、水上乗り合いバス(ヴァポレット)のチケットを、並んで買った。ヴェネツィア市街の中心部を蛇行して流れる、カナル・グランデ(大運河)を航行して、約40分でサン・マルコ広場に着岸し、そこで折り返して、再びサンタ・ルチア駅へ帰る。
乗船すると大混雑、座る席もない。運河には、ゴンドラや水上モーターボートのタクシー、渡し舟のトラゲットなどが犇(ひし)めいて、航行に速度が出ない。ゴンドラの漕ぎての男たちの気取った身なりも、舳先に飾った薔薇の花も、すべてが観光化され、商品化されていて、何やら嫌らしい。「エーゲ海の島々では、開襟シャツの若者が、小舟を漕いでくれた。あれは素朴で良かったな…」と、ふと思った。大運河に架けらた幾つかの名橋、両岸の歴史的な建物、小道や脇道の周辺、至る所すべてに見物人が溢れていて、息苦しいばかり。
お目当てのサン・マルコ広場も、数千の人で埋まり、歩く気にもなれない。すぐにヴァポレットに飛び乗り、そのまま引き返した。大運河には、そよとの風もなく、船内の暑さは耐え難かった。

午後1時、サンタ・ルチア駅に帰着。調べると、13時40分発のミラノ行がある。それに決め、構内の売店で昼食1箱を買い、フライドチキンを食べた。「兎に角、ここから早く逃げ出そう! 行く先は、どこでも良い。ヴェネツィアは、人混みと暑さの地獄だ。北の水の都レニングラードの方が、ずっと快適だ」と思った。
乗車すると、やはり暑い。コンパートメントの向こう側には、ロンドンから来た中年の女性教師と、その娘がいた。久しぶりに明快な英語で話しかけられ、嬉しくなった。彼女も、暑さが酷いと言い、夏にイタリアへ来たのを悔やんだ。「イタリア人のマナーが駄目。特に、女性たちが。ヴェネツィアのレストランでは、マダムがNo 、No、の連発で、メニューのほとんどが出ない」とこぼした。「これからミラノへ行きますが、やはり暑いらしい……」と、ため息をついた。「ミラノも暑いのか、どうする?」と、考えてしまった。
ところが、ヴェネツィアから2時間ほどすると、列車の開け放たれた窓から入る風が、しだいに涼しくなってきた。「ガルダ湖よ。湖水地方へ来たのよ!」と女性教師が言い、やがて車窓には広い湖が見えた。「イタリアでは最も大きな湖……」と、彼女が説明してくれた。と、列車が駅に止まった。デッセンザーノだ!
僕は瞬間、「ここで降りよう!」と思った。手早く荷物を抱え、彼女たちに挨拶して下車。車窓で笑う2人に、ホームから手を振る。16時、湖水地方の町デッセンザーノに突然、降り立った。

駅を出ると、涼しい、涼しい! 「これは楽園だ、楽園に来た」と叫びたくなった。
デッセンザーノは、大湖の南西の一隅に位置する、交通や物流の中心地。ガルダ湖は、南北52km 、東西の最も広い部分が18km で、周囲には避暑地や保養地が点在し、温泉も湧く。三方向に高山があり、アルプスからの冷気を防ぐので、温暖な地中海性気候に恵まれ、夏季も23度ほどの適温。湖畔はオリーブやレモンや果実類の栽培に適し、古代から幾多の文人墨客が、このエメラルド色に輝く湖水を愛してきた。
駅前からタクシーて観光案内所へ行き、ホテルを紹介され、乗り継いで駅から約1km ほどの距離にある、湖
畔のプチ・ホテル「ミララゴ」25号室に、荷物を置いた。2階の部屋で、近くの道路から車の音がするが、設備は良く、吹き入る風が心地好い。ホテルから湖水の中へ桟橋が架けられ、その先が水泳場になっていて、幾人かの男女が泳いでいる。すっかり気に入って、ここで数泊することに決めた。横浜出港時、僕の旅程表にデッセンザーノなんて町は、影も形も無かったのだ。……

夕刻、鉄道の駅の近くまで散策。半ズボンのファスナーが傷んだので、衣類の店に入り、新しい半ズボンを1着買う。夜8時、駅前通りのレストランで、夕食を摂る。"楽園"に来たせいか食欲が湧き、仔牛のカツレツとロールキャベツを奮発。ビールを飲む。フィレンツェやヴェネツィアの炎熱地獄から、どうやらやっと逃げ出せたな、という思いがした。ホテル「ミララゴ」に帰り、11時半過ぎ、就寝。


8月5日(木曜日) 晴れ  デッセンザーノ

久しぶりに安眠。8時、起床して洗顔。水が冷たい。階下の食堂で、朝食。保養地のせいか、各種のパンや飲み物などが豊富。食堂の向こう側のテラスに出ると、湖風が強く、波が白く高い。
午前中は、休息する。絵葉書を3通、書く。1通は、郷里の母。2通は、秋に訪れるアメリカの親戚へ。ひとりは大正期に移民して現在、ミネアポリスに住む祖母の妹。もう1人は、その娘でロサンゼルスに住む、母の従妹。いずれも、日系アメリカ人。母の従妹とは、彼女が訪日した際に会ったが、祖母の妹とは、まだ会ったことが無い。僕だけでなく、戦後に亡くなった祖母や一族のすべてが、すでに高齢の彼女に会っていない。……
フロントへ降りて、切手を買い、3通を投函する。

昼食は、朝食で余ったパンやチーズで済ませる。食後、桟橋へ出て、湖水に入り短時間、試みに水泳する。海水と違い、さっぱりと冷たく、気持ちがいい。泳いでいるときは、幸せだ。
午後、駅前通りの理容店へ行く。ルツェルン以後、久しぶりの散髪。若い理髪師だったが、ドイツやスイスよりも感覚が日本人に近い。が、頭髪を刈り、髭を剃った後、客が自身で洗顔するのは、日本式では無い。
帰路、食品店に立ち寄り、米料理のリゾット、生ハムやキノコや卵をのせたピザ・カプリチョーザ、それに飲み物を買う。持ち帰って、ホテルの自室で食べるのが、経済的でもあり、気楽だ。

夜7時、ひとりで夕食。食後、湖岸の散歩に出る。夜風が優しい。……
部屋に戻り、洗濯をしてから、入浴。ずっとシャワーばかりだったが、珍しくバスタブがあり、湯を一杯に張る。全身を横たえると、快適、快適! しばらく温まると、固くなっていた足裏のタコが、ふありと除れた。「わが脚よ、お疲れ様」と、言いたくなった。
11時半頃、ベッドに入る。久々に何事も無い、安らかな1日だった。


◎写真は   ヴェネツィアのサンタ・ルチア駅のプラットホーム(2008年1月、再訪時に撮る)

       ヴェネツィアのサンタ・ルチア駅の前方に広がるカナル・グランデ(同上)