8月2日(月曜日) 晴れ ローマーフィレンツェ
7時、起床。隣のベッドで、水谷君が鼾(イビキ)をかいていた。8時、1人で朝食。9時、荷物を部屋の外へ出し、まだ熟睡中の水谷君に、声だけ掛けて別れの挨拶。 ペンション「パトリス」を出て、バスでテルミニ駅へ向かう。車中、カナダ人のシカゴ大学の学生に遭う。来年の夏、日本へ行くとか。テルミニ駅の構内で、アドレスを交換する。……
午前10時38分、列車「セッテベロ」でローマを立つ。イタリア中部のトスカーナ州へ。車窓の風景が、どことなく日本に似ている。午後13時半、州都フィレンツェの中央駅に着き、東口方面に出る。
フィレンツェは、15世紀を中心に前後300年間、豪商にして名門メディチ家の采配下に、近世の人間復興ルネッサンスの大旋風が巻き起こった、世界史に記憶される街。だが、その歴史上の文化的遺構のほとんどが、この中央駅南東の約3Km 四方に、ぎっしりと凝縮されて存在する。数日間滞在すれば、すべて徒歩でゆっくりと見物できる、こじんまりとした観光都市である。旅行客に人気があるのも、そうした点だろう。
だが、それも季節による。駅を出ると、燃えるような炎暑! しかも困ったことに、この盛夏なのにイタリア各地、列車もホテルもオフィスも、どこもかしこも冷房が効いていない。ギリシアと違い湿度も高く、歩けばすぐに汗ダクになる。ここは一体、どういう国なんだ! ドイツやスイスには感じられない、現在の停滞的な鈍い国民性が、やりきれない。彼らには、幸せなシエスタもあり、暑さなんか問題ではないんだよ。……
中央駅の東口や南口の周辺には、数多くのプチ・ホテルが散在する。酷暑に喘ぎながら、ホテル探しをする。
午後3時頃、ホテル「アムステルダム」48号室に、荷を降ろす。部屋の内外、冷房は無く、憮然。
外出して、アルノ川とヴェッキオ橋近くまで、散策。駅の周辺に戻ったが、暑さ激しく耐えられず、見かけた映画館へ入る。やや冷房が効いている。幸い人影も、疎(まば)らだ。……画面を観るともなく観ていると、眠くなって仮眠する。映画館を出ると、すでに午後8時。中華飯店で、モヤシ冷麺を注文、冷たい支那茶を飲む。
9時頃、ホテルの部屋へ帰ったが、窓を開けても、暑い暑い。根負けして、洗濯のほか、何も為し得ず。
11時頃、耐えられず、また外へ出る。が、夜風とて無し。駅近辺のレストランは、12時過ぎても開店。露店の屋台が並び、白い木の実や果物類が山と積まれ、氷菓や飲み物を売っている。冷やした西瓜と無花果を買って食べたが、その豊熟・豊麗の妙味は、えも言われない! このほか桃、梨、葡萄、オレンジの顔を眺めているだけでも、火照った身体に冷たさが染み入るようだ。これらの果実類は、イタリア最大の美点だ!
訪れた旅行客があげつらう、イタリア人の国民的気質。陽気で饒舌、いい加減でずる賢く、シャイネスと品性を欠く……のが、もしも当たっているとしても、この夜店の果物の世界は、イタリアを楽園にする。……
8月3日(火曜日) 晴れ フィレンツェ
朝7時、起床。8時、朝食。9時、外出して、午後2時頃まで約5時間、市内を一巡して、ザッと見物。
朝から、かつて経験しないほどの猛暑。恐らく、気温40度まで上昇するのではないか。こんな凄い夏に、フィレンツェなんかに来るものではなかった! 暑熱でボウッとしながら、次のごとき名所を廻った。
〇 メディチ家礼拝堂 貴石と色大理石を惜しげもなく使った、名家の豪華な墓所。
〇 アカデミア美術館 ミケランジェロの『ダヴィデ像』のオリジナルは、ここに在った! 高さ4mの白い
大理石の若者……。暫し、見惚れた。
〇 ドゥオーモ「花の聖母教会」 フィレンツェの美の象徴。フィレンツェ共和国が約140年をかけて築造
し、15世紀に完成。白、ピンク、緑の、大理石の幾何学模様で装飾され、高さ106mのクーポラ(円蓋
)が、大輪の花のごとし。見上げると、天空へ誘われそうだ。この日も半ズボンのため、内部に入れず。
〇 ジオットの鐘楼 ドゥォーモの南側に聳える。高さ85m、階段数は414段。登ると、流れる汗が滝に
なった。頂きのテラスは、見晴らしがいい。
〇 聖ジョヴァンニ洗礼堂 ドゥォーモの前にある八角形の建物。ドゥォーモと同じ色大理石で装飾。ここで
ダンテが洗礼を受けた。
〇 シニョリーア広場 古くからフィレンツェの行政の中心部。市民の議論の場。多くの彫刻が並び、ダヴィ
デ像のコピーもあった。
〇 ヴェッキオ宮殿 この広場に接して建つ、かつての共和国政庁舎。天井画やタペストリーが壮観。
〇 ウフィッツィ美術館 宮殿の南側、アルノ川沿いにある。メディチ家の財力を結集して、ルネッサンス期
美術品のほとんどを収蔵・展示。ボッティチェッリの『春』『ヴィーナスの誕生』はシンボルだが、名品
名作は枚挙に暇なく、一瞥するだけで半日、ゆっくりと鑑賞すれば一週間はかかると言う。僕は、人混み
の中を通過したのみ! が、アンティノウスの胸像もあり、何故か目に止まった。でも、デルフィのもの
より明らかに劣っていた。
〇 ヴェッキオ橋 アルノ川に架けられた最古の橋。橋上の両側には、小さな金銀細工店が建ち並ぶ。ダンテ
が、橋中央からの眺望を好んだと言われる。
〇 ピッティ宮 アルノ川の対岸にある、広大な宮殿。15世紀から18世紀まで、フィレンツェの為政者た
ちの住居になった。現在は、多くの美術館や博物館が建っている。
〇 サンタ・クローチェ教会 アルノ川右岸の南東部の古い広場に面した、美しい大教会。歩き疲れ、外観を
眺めただけで、内部には入らず。多くの著名人の墓もあるそうだ。
ここから、ヴェッキオ橋に戻り、川沿いに並んでいるレストランの一軒で、遅い昼食を摂った。インゲン豆の冷製スープと魚介類の盛り合わせ。食後、中央駅近くまで、徒歩で帰る。暑さに耐えられず、また昨日の映画館へ入り、しばらく仮眠する。午後4時過ぎ、プチ・ホテル「アムステルダム」の自室へ。
ところが、さらに室内が暑い。行くところも無く、全裸になってベッドに横たわる。食欲が起こらず、唯うつらうつらと時間を過ごす。「旅中、熱暑に苦しむ」とは、このことか。窓の外が暗くなっても、気温が下がる気配がない。……
◎写真は フィレンツェのアルノ川とヴェッキオ橋(亡母遺品の絵葉書)
