8月1日(日曜日)  晴れ  ローマーティヴォリーローマ

ローマ滞在5日間の最終日。朝8時、起床。9時、水谷君と共に朝食。9時半、約束していたので、芳賀氏に電話する。「日曜日で身体が空いているから、ティヴォリまで案内しましょう」と言って下さった。水谷君が聴いていて、「僕も、行きたい」と言う。チャッカリしている。

11時、指示されたフランス航空のオフィスまで行き、芳賀氏が運転する車を迎え、2人で小さくなって乗せて貰う。ティヴォリは、ローマの北東部にあり、車だと約1時間かかる。ローマの周辺には、港や湖、避暑地や中世都市などが散在、内外の訪れる人が多い。その1つがティヴォリで、16世紀の枢機卿イッポーリト・デステが引退後、ここに別荘を築き、造園に凝った結果、今日も「ヴィラ・デステ」として、見物を集める。

12時過ぎ、ティヴォリに着く。すぐに「ヴィラ・デステ」へ入園。と、樹木に覆われたテラスに立つと俄然、辺りが冷気に包まれ、今日の暑さが嘘のように涼しくなった。水谷君が「涼しい!」と叫び、芳賀氏が「そうなんですよ」と笑った。気が付くと、何処からも絶え間なく、水の音がする。噴水だった!
テラスから階段を降りると、その左右や脇の小道には、苔とシダに被われた彫刻群、それぞれ趣きの異なる無数の噴水が林立し、木の葉のそよぐ風音と水音とが交錯し、微妙な音楽と化している。
階段を下りて回廊に出ると、森林に池や泉が静まり、夥しい大小の噴水の音が響き交わす、この別荘が一大噴水庭園であることが、実感される。「噴水芸術」の集成地なのである。中でも「オルガンの噴水」などは、水力の利用でオルガンを奏でるほど、豪快な水音を響かせ、豪放な水柱を噴き上げている。
恐らく噴水なるものは、ローマ人が発明したものだろう。古代ローマの優れた建設・土木技術、暑熱の激しい南欧の気候・風土、人びとの明快にして微妙な心性が、噴水を生んだ。さらに噴水が、人びとの「広場」をも増やしたのだろう。日本には明治になるまで、噴水の姿が見られなかった。この事実は、1つの「鍵」であると思う。人びとの心情が平面的であり、文化のカタチの稀薄な立体性を、物語っているのだろうか?……

帰路の車中で、芳賀氏が言われた。「ティヴォリでは、いまのヴィラ・デステも見所ですが、もう1つあるんです。ヴィラ・アドリアーナという、ハドリアヌス帝の離宮の遺跡が素晴らしい。ですが、見物するには1日がかりですから、次の機会に行くと良いでしょう」……僕は、そこを是非、観たいと思った。
ローマ市内に戻り、パンテオンの付近で停車。パンテオン前の噴水もあるロトンダ広場には、野外のカフェが多くある。その1つを選び、3人で遅い昼食。芳賀氏の勧めで、海老のフライと、イタリア風の"オジヤ"のごときものを食べる。芳賀氏の分は、厚意を謝して、僕が支払った。水谷君は「約束があるから」と、ここで
去った。僕は芳賀氏の車で送られ、ペンションの前で下車し、氏とお別れした。この地でシェフとして年期を積んだ、善良で親切な方だと、思った。……

午後4時、ペンションの自室に落ち着く。今日もまた酷い暑さで、いささか疲労。しばらく仮眠する。その後、中央駅まで行き、構内のお馴染みのセルフのレストランで、1人で夕食。食欲不振だが、モッツァレラ・チーズとトマトの前菜、果物の盛り合わせのみで、簡単に済ませる。
8時頃、ペンション「パトリス」5号室に戻り、荷物の整理をして、早めに就寝。水谷君は、まだ帰らず。


◎ 1991年6月、ローマを20年ぶりに再訪。このとき初めて念願の、ティヴォリのヴィラ・アドリアーナを訪れた。芳賀氏が言ったように、まさしく1日がかりだった。地中海の古代遺跡の多くを観て来たが、このハドリアヌス帝の離宮址くらい、陶酔に誘われたものは無かった。その優美にして清麗、風雅と品位、思索と静寂、享楽と饗宴、精神と官能とが、今日も行雲流水のごとく去来する過去の夢幻境は、現代世界にも数少ない。それはローマ文明の偉大さをも語っていて、僕は、深く愽(う)たれたのである。……
 
◎ この年の8月にあったこと

8―2  第13回世界ジャンボリー、富士山麓朝霧高原で開催。89カ国、2万3000人。

8―6  佐藤首相、広島市での第26回平和記念式典に、現職首相として初めて出席。

8―15 米大統領ニクソン、金とドルの交換一時的停止など、ドル防衛措置を発表(ドル・ショック)。

8―16 文部省、日本短波放送で放送大学の実験放送を開始。

8―21 松村謙三没(88歳)、中日友好協会副会長が葬儀参列のため来日。

8―23 主要諸国、変動相場制に移行。


◎写真は  ローマのポポロ広場(1971年7月に撮る)

      ピンチョの丘からローマ市内を望む(同上)

      トレヴィの泉(同上)