7月29日(木曜日) 晴れ ローマ
午後1時、「トレヴィの泉」の傍らで、前日の約束通り、渡部建君、あの"ローマの建チャン"と会う。「中村さん、1日でローマッ子になった感じ」と笑う。すぐに彼の案内で、近くの中華料理店へ行き、一緒に昼食。
昼食後、トリトーネ通りからバスに乗り、市街の北に位置するボルゲーゼ公園の入り口で下車。広大な公園内の、樹木の繁る通りを少し歩き、ボルゲーゼ美術館に着く。2人で入館。館内は、1階と2階から成る。
近世の有力貴族ボルゲーゼ家代々が集めた美術品が、1階の彫刻館と2階の絵画館に収蔵され、いずれも粒より極上の逸品揃い。量より質において、欧州有数の美術館と言われる。とりわけ彫刻館では、カ
ノーヴァの『パオリーナ・ボルゲーゼの肖像』は、ボルゲーゼ公の妻のナポレオンの妹を対象にした作品。それとベルニーニの『アボロとダフネ』は、目を洗われるような美しさ! 絵画館では、ラファエロの『キリスト降架』とカラヴァッジョ『果物籠と青年』が、強い印象を残した。……
美術館の外に出ると、公園の木陰の下に屋台店が出ている。建チャンとアイスクリームを飲んだ。
公園を出て、建チャンが働くレストランのあるヴェネト通りに向かって、ゆっくりと歩く。途中、フランス航空のオフィスがあり、入店すると待合室に、日本の新聞も置かれている。社員が親切に「どうぞ」と言うので、
しばらく2人で読んでいると、外から日本人の青年が1人で入ってきた。振り返ると、「見た顔だな」と思った。彼も僕の顔を見て、「あッ!」と言う。「そうだ、アテネのホテル『エレクトラ』のロビーで遇った、日本の近東旅行団のなかに若者が1人居た、その彼ではないか?」と考えていると、向こうから、「確かアテネで遇いましたよね」と、声を掛けてきた。ひょんな成り行きだが、互いに自己紹介。建チャンも加わる。
彼、水谷真一は22歳、東京生まれの学生。夏休みで近東旅行団に加わり、イスラエルとトルコとギリシアを巡り、アテネで一団と別れ、単独でイタリアを観て、帰国の予定だと語った。背が高く、体格が良く、快活で明朗な都会育ち。思ったこと、感じたことが、すぐ口に出る磊落(らいらく)さが、周りを楽しくさせる。
建チャンが、「近くに珍しい"骸骨寺院"があるので、案内しますよ」と誘ってくれた。ガイドブックには載っていないが、在住者には知られた"名所"で、それは少し歩いた場所の地下にあった。数千の髑髏(しゃれこうべ)が収集され、花が挿された骸骨もある。息を呑む面白さだが、この種のコレクションの奇怪なる執念は、西洋人ならではで、先ず日本人には無いだろう、と思った。水谷君も、「そうですね」と相槌を打った。
昨日、芳賀氏に伴われたヴェネト通りのカフェに行き、3人で珈琲を飲んだ。夕刻からレストランの仕事があるので、ここで建チャンとは別れた。「日本に帰ったら、連絡します」と言ってくれた。……
僕は今夜遅く、カラカラ浴場跡で野外オペラを観る予定を組んだので、その前にペンションへ戻り、一休みしたかった。すると水谷君が、「近くなら、中村さんのペンションを見たいな」と言う。仕方がなく、一緒に歩いて、バルベリーニ広場の裏手のペンション「パトリス」に帰る。と水谷君は、ここをすっかり気に入り、「明日から移って来ていいですか」と言い、直ちに女主人と交渉、幸い隣室が空いていた。今夜のオペラも観たいと言う。僕は、年下の彼の行動力と人懐っこさを、黙って受け入れた。……
バスでテルミニ駅へ行き、付近で2人で夕食。ピザを食べたが、恐ろしく不味い。この国は、当たり外れが多い。8時、駅前からバスに乗り、市内南方のカラカラ浴場跡へ向かう。
この浴場は、紀元3世紀初めに建てられ、11ヘクタールという広さの、諸施設完備していた壮大な空間。だが今、すべてが夜の闇に覆われ、旅行者の目には、遺跡の輪郭が定かでない。草むらの虫の音だけがすだく。
切符売り場に、観光客の長い行列が出来ていたが、やっと後方の席が2枚取れた。入場すると、間口の広い舞台が仮設され、その前方に平場の椅子席、その後方に傾斜した椅子席、ざっと5千席くらいが用意され、ほぼ満員の状況。舞台のみ照明されて眩(まばゆ)く、場内は薄暗いが、アイスクリーム売りがチラホラする。
演目は、ヴェルディのオペラ『アイーダ』で、突然、前奏の音楽が高鳴り、9時開演。野外オペラに相応しく、かつ演目にも相応しい、徹底的なスペクタクル演出。凱旋場面では、威勢よく花火を打ち上げ、数頭の本物の馬まで登場。巨大な石造の遺跡に、男性歌手のテノールが、朗々と響き渡る。……
2時間ほど観賞したが、この夜は疲労して、途中で退場。バスでテルミニ駅前に戻り、2人でレモネードを飲み、そこで水谷君と別れた。僕は、タクシーを使って、ペンションに帰り、深夜1時に就寝。全日、歩き廻り動き続けたので、痛く草臥れてしまった。
写真は ボルゲーゼ美術館の『アポロとダフネ』(亡母遺品の絵葉書)
ボルゲーゼ美術館前での僕("ローマの建チャン"が撮ってくれた1枚。ずいぶん痩せていた!)

