7月29日(木曜日) 晴れ  ローマ


7時、起床。すでに暑い。珈琲とパン、それにチーズとジャムという、ペンションお決まりの簡素な朝食。

8時半、付近の停留所からバス62番に乗車、ヴァティカンとサンタンジェロ地区に向かう。ローマの中心部は集約されていて、やがてテヴェレ川を渡り、サン・ピエトロ広場に近いコンチリアツィオーネ通りで下車。

直ぐに広場に向かう。そこは、教徒30万人を収容できる広大な、そして中心部のオベリスク、その左右の噴水、周囲の回廊によって構成された、壮麗かつ優美な広場だった。「神の国」への誘導地帯なのだ。オベリスクの近くに佇み、しばし呆然と四囲を眺めた。まだ、人影は疎(まば)らだ。

カトリックの大本山サン・ピエトロ寺院は、紀元4世紀初めに建設され、16世紀から17世紀にかけて
の大改修によって完成した、世界最大の教会建築。内部の広大と豪華さには、圧倒されると言う。ところが、僕は不覚にも失敗した。その日は炎暑で、半ズボンを着用。入り口で係員に、「To o short !」と叱られ、内部へ入ることを許されなかった。出直すわけにもいかず、広場を出て、近隣のヴァティカン博物館に向かった。


ヴァティカン博物館は、偉大な空間だった! 史上に輝く、彫刻・絵画・壁画・美術品・財宝を、全長7km 、総面積4万2千平方メートルに及ぶ、迷路のような回廊、礼拝堂、図書室、ギャラリーなどで構成された巨大な空間に、無尽蔵に収容、惜し気もなく陳列している状況は、まさに壮観! 質的な相違があるにしても、エルミタージュもルーブルも、美術館としてはヴァティカンに一籌(いっちゅう)を輸するのではないか?

これをざっと観て廻るだけでも、半日では足りない。しかも、館内に充満する「有り難や、有り難や」の見物の群衆に、モミクチャにされること芋を洗うが如し。結局、料金500リラ、所要1時間半の間に、僕の記憶に残ったものは、彫刻の『プリマ・ポルタのアウグストゥス帝』『ヴェルヴェデーレのアポロ』『ラオコーン』の三つ、絵画では「ラファエロの間」の『アテネの学堂』、それとシスティーナ礼拝堂のミケランジェロの天井画だけである。幸いにも数分、これらは立ち止まって観ることが出来たからで、あとは人混みに押されて通過し、いつか出口の外で、額の汗を拭いていた。……


10時半、ヴァティカンを出て、コンチリアツィオーネ通りへ戻り、そこからサンタンジェロ城へと移動。要塞だが、ハドリアヌス帝からカラカラ帝までの、霊廟としても知られる。学生の頃、ギボンの『衰亡史』などに目を通す時期があり、ローマ歴代の皇帝には、ギリシア古代の政治家よりも、奇妙な親愛感がある。……

この城塞の前方をテヴェレ川が流れ、サンタンジェロ橋が架かる。絶好のカメラスポツトなので、橋上から撮影する旅行者が多い。橋を渡り、コロナーリ通りへ進み、ナヴォーナ広場とパンテオン地区に入る。

ナヴォーナ広場は、古代の競技場が時代の変遷によって、いつしかローマ有数の広場と化したという。現在では、カフェのテラスや屋台店が並び、市民や観光客が集う遊閑地。北から南へ、「ネプチューンの噴水」「4大河の噴水」「ムーア人の噴水」の3つの噴水が配置され、いずれもバロック様式だが、それぞれの由緒や趣向が異なる。レニングラードの夏の宮殿は、噴水の響きが耳を聾(ろう)するばかりだったが、この広場も、どこに立っていても、噴水の水音が途切れることがない。そして、その水音が旅人や歩行者を癒す。……

おそらくローマは、世界でも最たる"噴水の街"だろう! 遠隔地の水源から延々たる水道橋を建設、都市へと落下させる技術の力学が、古代から噴水を発達させ、住民に涼風と安らぎを与えたに違いない。日本は多雨の山岳国で、あまたの清流に恵まれ、井戸水や貯水地、庭園には滝水が生まれたが、落下の力学が発達せず、公園や噴水の設置は、明治以降の導入によるものだろう。

広場から、近辺のパンテオンへと移行。「万神殿」とも呼ばれ、現存するローマ最古の建物。

創建時の建物が焼失、再建された法隆寺が長く今日まで維持されたように、このパンテオンも同様、紀元前27年に創建されたが紀元後80年に焼失、同118年、ハドリアヌス帝によって再建され、以後の1850余年間、若干の変化はあったが、その建物が無傷で奇跡的に保持された。破壊や略奪を重ねたローマ史上、これは古代文明の偉大な面影を伝える、唯ひとつの"孤灯"とも言える、貴重な神殿である。

野外のカフェが並ぶロトンダ広場から、先ず入場。太さ4.5mのコリント式の花崗岩の円柱16本が並ぶ、幅約30m、奥行き約15mの広い前室を通ると、建築当時のものというブロンズ製の大扉があり、その奥に円形の本殿が静まり返っている! そこは直径も高さも約43m、頭上が巨大なクーポラ(円天井)で覆われ、中心に直径9mの天窓がポッカリと開く。そこより射し込む光源を仰ぐとき、誰しも言い知れない想いに襲われるだろう。幽暗の世界、乱倫の地上へ注ぐ一条の光に、感動しない者はない。……

僕は、このパンテオンを観て、イタリアに来て初めて、建築というものに魅惑された。


パンテオンからコロンナ広場へ抜けると、ここにも噴水がある。近くには、マルクス・アウレリウスの記念柱が建っている。高さ30m。柱の表面には、異民族との戦いの記録が刻まれている。思索と自省の哲人皇帝の生涯が、外征に次ぐ外征であった厳しさを語っている。

そこから、道幅の狭いコルソ通りを北上する。と左手に、アウグストゥス帝の廟が遠望される。が現在は、草に覆われた墓の土台のみ残る、味気無ない記念物と化している。この通りの突き当たりに、オベリスクの建つ広いポポロ広場と、ポポロ門がある。鉄道の無い時代、ローマより北部からの旅行者たちは、この門を通って市内へ入ったという。門の脇の坂道を、汗だくなって上ると、ピンチョの丘に出る。眼下にはポポロ広場、遠くローマ市内が拡がり、ここからの眺望に一息つく。

丘を下り、トリニタ・デイ・モンティ通りへ出て、昨日のスペイン階段を降り、やがてすると「トレヴィの泉」に辿り着いた。ヴァティカンを出てから約2時間半、歩き続けて疲労したが、ローマの在る部分を、自分の両脚で実感できた、という満足感に似たものがあった。



写真は  サン・ピエトロ寺院(71年7月に撮る)

     

     パンテオンのクーポラから射し込む光線(同上)


     コロンナ広場(同上)


     マルクス・オウレリウスの記念柱(同上)