*** 母への手紙 ***

アポロ号は現在、クルーズの最後の島、パトモス島の港のスカラの沖に碇泊しています。これから暫くすると、お別れの晩餐会があり、この手紙はいま船室で書いています。今夜、船は出港し、明朝には本土のピレウス港へ帰着、アテネからパトラに出て、夜には再び海路でイタリアへ向かいます。
7月のギリシア各地は連日快晴、昼は焼けるような炎暑。が、日本と違い、湿度が低いので、陽が没すると嘘のように涼しい。甲板に出ると、島の夜風と波の音が寒いくらいで、肌が冷えます。

この10日間、ギリシアの古代の遺跡や廃墟を初めて見歩き、胸がドキドキするくらい興奮し、感動しました。胸が高鳴って、眠れなくなる夜もあり、充実した幸福な毎日でした。
ギリシアの海と島々も、尋常ならざる美しさです! 神が造り給うた天地の配剤、大自然の妙味としか、言い様がありません。そして、この神意の前には、人間の営為は虚しい。小島にまで刻まれた都市や宮殿の跡も、千古不易の素晴らしい海風に晒(さら)されると、人類の営みの虚妄を語ることになります。
中国の詩人たち、陳子昂も、杜甫も皆、遺跡を訪れ、廃墟に上ると例外なく、天地の悠久を想い、人事の卑小さに、感極まって慟哭(どうこく)しています。芭蕉も、平泉に旅して、「三代の栄耀一睡の中にして」と詠じ、高館にのぼって、北上川に衣川が流れ入る様を眺め、「功名一時の叢(くさむら)となる」と嘆じ、「笠打敷(うちしき)て、時のうつるまで泪(なみだ)を落し侍りぬ」と記す、感動と慟哭がありました。
そして、ギリシアと島々とは、この感動と慟哭を、僕という矮小な若者にも、恵み与えてくれたのです!

しかし、人は、泣き濡れてばかりはいられない。神は、人間のみに、立ち上がり、歩くという特技を与えた。人々は、極限の異郷に向かって、絶対の天空を目指して、ひたすら歩き続けて来ました。玄奘三蔵はインドへ、マルコ・ポーロは北京へ、松尾芭蕉は陸奥へと、唯ひたすら歩いた。歩くことが人間の「業」であり、「行」でもあったのです。僕も今、歩いています。何者かを求めて、がむしゃらに歩いています。あの島、この島、どの島も焼けつくごとき炎天、リンドスの石坂道では目が眩んだ。でも、生ある限り、僕は歩きたい。
この機会を与えて下さったご慈愛に、深く感謝いたします。おん身に留意され、末長くお見守り下さい。

                 昭和46年7月22日夕刻      哲郎



◎写真は   パトモス島の山腹で(島の写真家が撮ってくれた1枚)

       エフェソスで買った竹笛(現存)