6月29日(火曜日) 晴れ  ハイデルベルクーベルン

朝8時、起床。9時半、朝食。まだ、ネッカー川を間近に見ていないので、ハウプト通りを歩いて、カール・テオドール橋まで行く。橋を渡り、中程で立ち止まり、辺りを見回す。街並みも、川の流れも、水の色も、すべてが美しい。上流から遊覧船が下って来て、橋脚と橋脚の間を潜り、下流へと去っていく。この流れは、もう一つの大学町、ヘッセが青春期を過ごしたテュービンゲンにも通じている、という。
この橋を対岸まで渡り、坂道を上ると、ゲーテも歩いた"哲学者の道"に出るが、列車の時間があり、橋の中程で引き返した。そこからは眺望絶佳と言われ、心残りだったが。……
昼頃、ホテルに戻り、チェックアウトして、市電で中央駅へ。待合室で、しばらく『唐詩選』を読む。ホームへ入ると、日本人の学生に遇う。スイスへ夏スキーに来たついでに、ドイツ見物。明日、チューリヒから帰国するよし。海外で夏スキーとは、贅沢な話だ。14時40分、やや遅れて、発車。
車内は若者たちが多く、アメリカの若い女性の三人が、疲れたのか通路の床に寝転んでいる。しかも揃って、半ズボン姿の太もも丸出し! 欧州の女性には、出来ないことだろう。17時25分、少し遅れてスイスのバーゼル着。30分の一時停車。ホームに降りて、パンとウィンナーソーセージを買って、食べる。駅の両替所で、マルクをスイスのフランに替える。構内では、ほとんどドイツ語が使われていた。16時04分、発車。
19時30分、ベルン着。スイスの首都だが、印象として、さまで大きな都市ではない。もう観光案内所は閉まっていた。駅を出ると、目の前に一流ホテル「シュヴァイツァーホフ」が見えた。時間も遅い。仕方がない、ここに泊まろう。出国以後、ソ連を除いて、安いペンション泊まりが続いた。たまには立派なホテルも、いいだろう。思い切ってドアを押し、ホテルの受け付きに出向き、空室の有無を訊ねた。
と、応対のホテルマンが、僕の身なりを見て、「学生ですか⌋と、又もや問う。頷くと、「低料金の部屋が一室空いています。が、シャワーがありませんよ。45フランです」と、答えてくれた。高いと思ったが、ほッとした。部屋へ荷物を置き、ベルン駅に戻って、出口近くのカフェで夕食。同じ席に、アメリカ人の学生と現地のスイス人の学生が居たので、少し話す。スイス人の学生は、歴史専攻とか。
夕食後、夜のベルンの街を歩く。と直ぐに、ホテル「サヴォイ」が目に入った。これも一流ホテルだが、もう一泊するので、入って行って受け付けで、明日の部屋の空きを訊ねた。幸い低料金の空室があり、シャワー付きのダブルベッドという好条件。即座に予約。安心して、夜歩きをした。駅と周辺は改造中で、シェルの石油スタンドの新設工事が進み、ある種の現代化、アメリカナイズが見られる。
が、少し離れると、全く一変。中世そのままの、古い静かな街並みが出現。しかも、通りの何処からか、水の音がする。眺める噴水ではなかった。人々が水を飲み、馬を休め、手を洗うための井泉(せいせん)だった。通り通りに、この井泉があることに気付いた。古都ベルンは、泉の町だったのである。楽しくなって、ホテルへ
帰った。

6月30日(水曜日) 朝のうち雨 のち曇り  ベルン

9時、朝食。階下の会場へ行くと、上客ばかりで、自分の身なりが気になる。が、一流ホテルなのに、メニューは地味で、ペンション並み。スイスは観光立国だけに、ビジネスがきっちりしている。
10時、支払いを済ませ、近隣のホテル「サヴォイ」へ移動。この方が安いのに、部屋もいい。ホテルを出て、市内を2時間ほど歩く。ベルンは、その周囲をアーレという青く水量豊かな河川が蛇行していて、半島のような地形を成し、12世紀に要塞都市として出発した。この閉鎖性が、15世紀からの中世の古風な街並みを、今日まで残した。地形的にも拡大しない小都市だから、見物しても数時間で足りる。
旧市街の中心の通りも幅は狭いが、合理的に構成されている。真ん中の広い車道を馬や荷車が通り、随所に井泉がある。車道の両脇に狭い人道が儲けられ、人々が歩行する。人道の両脇には屋根付きの歩道があり、建ち並ぶ商店と接続する。要するに、道路が3種構成なのだ。その朝は雨で、僕が屋根付きの歩道を、うっかりして携帯用の雨傘をひろげて歩いていたら、現地の老人に注意された。
ベルンは、あたかも飛騨の高山あたりを連想させる山間都市だが、滅多にない特色を有している。ひとつは3種構成の道路、もう一つが、その通り、通りに造られた井泉である。市内に100以上あり、どれ一つとして同じ形のものは無いと言われる。「パイプ吹きの泉」「射手の泉」「正義の女神の泉」と、それぞれ全てに名が付けられ、神話や伝説のヒーローやヒロインの像、供花の瓶などが据えられている。散策中、数ヶ所の泉に出逢ったが、同じ形のものは一つも無かった。手入れが行き届き、市民の泉への愛情が感じられた。
こんなに多くの井泉が、どうして造られたのか? ひとつは家ごとに水道が完備する以前の生活用水として、もうひとつは火災に備えるためだったろう。ベルンは、15世紀に大火災に遭遇している。水こそは、地球上の生物すべての死命を制する。かほど数多の井泉が湧く都市は、ほかに見当たらないのではないか。……
時計塔、牢獄塔、連邦議事堂と、旧市街のミドコロを一巡し、最後に、大聖堂の見晴らし台の約400段を登ったが、見える筈のアルプスが、雨天のため見えず、アーレ川の重い流れと、雨に煙る全市街を見下ろした。
ベルン駅へ戻って、昨夜のカフェで昼食。久しぶりにパスタを食べた。周囲では、ドイツ語とフランス語が、どちらも聴こえる。スイス人には、独・仏が入り交じった感触がある。ホテルに帰り、仮眠する。目覚めた後、日本へ手紙を書く。夕刻、雨が止み、また街に出た。
駅の南西に、クライネ・シャンツェ公園があり、雨上がりの緑が美しい。ベンチで足休めしていると、金髪の11、2歳の男の子が通りかかった。片腕に鳥籠を抱えていて、一羽の小鳥が鳴いている。少年は鳥籠をベンチに置くと、僕から少し離れて座った。そして、唇を鳴らしたり、籠に指を入れたりして、小鳥と遊び始めた。僕は、彼をからかいたくなり、片手を振って空の彼方を指して、小鳥を放つ身振りをして見せた。と、男の子は顔をしかめ、決然として「No !」と言い放ち、すばやく籠を抱え、僕の顔も見ずに立ち去った。
僕は、この「No !」に虚をつかれた。もしも日本人の少年なら曖昧に微笑し、こうした拒否は示さないだろう。要するに、呆れるほどハッキリしているのである。
駅近くのデパートの食品売り場で、名産のチーズとチョコレート、パンと飲み物を買い、ホテルの自室へ戻る。チーズもチョコレートも美味しいが、ややヒツコイ。早めに就寝。

7月1日(木曜日) 晴れ  ベルンーグリンデルワルト

7時半、起床。ホテル「サヴォイ」から駅へ。9時10分、列車で古都を去る。車輌はアーレ川に沿って、首都ベルンの南方に広がる高地ベルナーオーバーラントへと進む。トゥーン湖が見えて来る。魔的な印象を受ける湖水だ。10時半、この地方の中心地インターラーケン・オスト駅に着く。
ここで下車して、ケーブルカーに乗る。ユーレイルパスが通用しない。ラウターブルンネンで乗り換えると、登山鉄道の車窓から滝が見え、ユングフラウが眺められる。まさに「魔の山」だ!全容を覆う氷河と氷雪は、魔的な感じが迫り、巨大な白魔である。身震いがした。クライネ・シャイデックで乗り換える。雪渓(せっけい)に反射する日光が眩(まぶ)しくて、サングラスをかける。こんな高所まで、登山鉄道やケーブルカーを敷設する人類のエネルギーは、凄い。天に迫って行くまでの、空気の稀薄なキツイ地点だ。
13時、グリンデルワルトに到着。降り立つと、空気澄明、陽光燦然。観光とは、このことか! しかも寒気に包まれたシャイデックよりも、ずっと暖かく、あちこちに花が咲く。当地は、ハイカーたちの楽園なのだ。駅近くの観光案内所で、2泊するペンションを探す。ホテル・レストラント「ヒルシェン」を紹介される。案内所付近のカフェで、昼食。ミルクとチーズサンドイッチのみだが、上高地や軽井沢並みに高かった。
グリンデルワルトは、30分もあれば一回りできる小村で、駅から山奥までメインストリートが一本通つていて、その中間あたりに「ヒルシェン」がある。1870年創業とかで、百年経っているのに、古びておらず、ガッチリとした山荘風の建物。アイガーやヴェッターホルンなど、4千メートルに迫る岩壁が夏の素肌をさらし、峩々として間近に迫っている。与えられた34号室からも、アルプスが窓の向こうに聳えていた。室内のいっさいが清潔!ベッドのシーツも、カーテンも、タオルも、雪のように白い。設備が整い、風趣に富むホテルだが、ただし宿泊代が高い。食費を節約すべく、今夜も缶詰め料理に決めた。
午後3時頃、ホテルを出て、メインストリートを散策。駅の近くで、日本人の学生とおぼしき若者に出遇う。これからユースホステルへ行くところだ、と言う。ユースホステルを利用していないので、見て置きたいと思い、彼と一緒に行ってみた。整った建物だが、自炊室はあるが、食事を提供する食堂が無い。それと使用規則が厳しく、喫煙は厳禁。これは自分には向かないな、と思った。
ユースホステルへ荷物を置いた彼と、駅の周辺にある商店街へ戻り、どちらも食品と飲料を買い入れた。お茶が飲みたくなり、彼を誘って「ヒルシェン」の自室で、しばらく談笑。ユースホステルへ帰る彼を送って、ホテルから外に一歩出ると、アルプスの連峰が夕映えに染まり、思わず見惚れてしまう。
自室で、夕食用の野菜の缶詰め、ソーセージ、パンとミルクを食べる。僕は、日頃も旅先でも、ご馳走を食べたいという欲求が、あまり無い。断じて、美食家ではない。食欲を満たせばよく、むしろ良い部屋で眠り、素晴らしい景色を観たい。即ち、豊かな舌を持たず、貧しい眼の人間なのかもしれない。
グリンデルワルトには、いろいろな施設がある。教会や学校や博物館、ミニゴルフ場やテニスコートもある。食後の腹ごなしに、駅近くのテニスコートまで行き、若者たちの練習を見物した。彼らの歓声を聴きながら、周囲を見渡すと、実によく環境が整備されている。こんな高地にまでスポーツ施設を造り、自然を人工的に改変し、あらん限りの隅々まで無駄なく整備する、その意志と管理能力に感心した。自然に手を付けるとき、日本人のように、余白や無駄な部分を残さないのではないか。徹底感があるのだ。可能な限り、あるがままの自然を放置しないのだ。帰路、メインストリートの随所に、貯水槽があることに気付いた。清水が流れ落ち、コップが置かれ、飲んでみたが、アルプスの甘露、甘露!
「ヒルシェン」に戻り、1階のカフェのテラスで、ビールとチーズを注文。腰を下ろすと、手が届くような所に岩壁がそそり立ち、見上げると頂きには積雪がある。おそらくアルプス以北の人びとは、この頂きの雪の向こうの遥かな南の国々に、古くからロマンを懐いて来たのだろう。ハイデルベルクの古書店では何と、イタリアの風景の絵葉書を売っていたっけ……。だが、この厳しい岩壁、おごそかな頂きの雪と、日本人には平均すると心的な距離があるように思われる。阿蘇の裾野に広がる草千里、遥かな浅間の煙りが、懐かしくなるのだ。
自室で、『唐詩選』の数ページを捲ると、ビールに酔ったのか、直ぐに眠くなった。

7月2日(金曜日) 快晴  グリンデルワルト

山小屋風の一室、東側の窓から朝陽が射す。アルプスからの光だ。ユングフラウヨッホという展望台まで、20世紀の初め、難工事の末に鉄道が開通した。それだけにユングフラウ鉄道の乗車料金は、68フランと破格に高い。が、ここまで来て、世界の名峰の頂きを実見しないわけにはいかない。朝陽が射すなかで、頂上までの登山を決めた。8時、朝食。9時、グリンデルワルトの駅からケーブルカーで出発。雲ひとつ無き快晴。野も山も村も、ようやく夏景色。約40分で、クライネ・シャイデックに着く。
ここで、お目当てのユングフラウ鉄道に乗り換える。展望台のユングフラウヨッホまで約1時間だが、そのほとんどがトンネルの中。固い岩盤と永久凍土を掘削し、16年の歳月を要して貫通したからである。ユングフラウヨッホ駅も、トンネルの中にある。そこからエレベーターで、展望台へと向かう。
標高3571メートルのスフィンクス・テラスに立つ。全面ガラス張りで、寒気を防止。標高4158メートルのユングフラウの頂上は、太古からの氷河に覆われ、目前の下方には大雪原が広がり、目を奪う。雪原には十数人のスキーヤーが散在し、燦然たる夏の陽光が降り注いで眩しく、ここでもサングラスを掛けた。
1時間ほど展望台にいたが、観光客が少なく、日本のような混雑が無いのが、良かった。先刻の鉄道で、シャイデックへ戻る。車中で、日本人と遇う。大阪の商社の社長で50歳台の男性、3週間のビジネス旅行のよし。他に誰もいないので、いろいろと話す。シャイデック駅前で昼食を共にする。
駅前には、レストランや売店が数軒あり、座るとアルプスの眺望が素晴らしい。澄み切った青空の下、アイガーの北壁がケザヤカなまでに聳え、いま見て来たばかりのユングフラウの頂きも僅かに遠望される。商社の社長は年下の僕に、ワインをおごって下さった。彼は顔を紅くして、言い放った。「海外旅行する日本人の若い女性たちは、遭っても知らん顔をする。それどころか、こちらの男たちとイチャイチャしている。堕落しています!」と。僕は一応、相づちを打った。が、多くが指摘する日本女性の突然変異は、故国の男性社会の抑圧からの解放があるのかも知れないな……と、考えていた。
午後2時半頃、グリンデルワルトの「ヒルシェン」に帰着。時間が余ったので、村のメインストリートを奥まで歩いてみる。村全体、あらゆる所まで手の届くかぎり整備され、山の頂きへの小道まで舗装され、放置された土のままの部分、言わば余白というものが無い。自然が徹底的に「管理」されている。建物の色彩は明快であり、すべてに曖昧な分子が無い。意識的であり、ハッキリしている。そして、この山村の奥高きところに、教会が厳然と岩壁に対している。やはり、軽井沢とは違うなァ、と思った。
日本でも軽井沢には一種の西洋化があるが、それでも町を一歩出ると、浅間の煙りがたなびき、野には薄が揺れ、無為の自然に解放される。……あれこれ思いながら、村はずれの小店で喫茶し、昨日の商店街で食料を買って、ホテルの一室に戻った。窓から岩峰がくっきりと見え、疲労が快く、1時間ほど仮眠。
魚と野菜の缶詰めで、貧しい夕食を済ませ、1階のカフェのテラスで、コーヒーとデザートのいちご。高地でも暖かな日よりで、気持ちのいい一日だった。明日は、グリンデルワルトを去る。


◎ この年の7月にあったこと

7╴1 環境庁発足。
7╴5 第3次佐藤改造内閣発足(外相 福田赳夫、通産相 田中角栄)。
7╴8 武満徹『カシオペア』初演(小澤征爾・指揮、シカゴ交響楽団)。
7╴9 米大統領補佐官キッシンジヤー、秘密裏に中国を訪問。中国首相、周恩来と会談。
7╴11 冥の会・青年座合同のギリシア悲劇『オイディプス王』上演(観世栄夫・演出)大阪毎日ホール。
7╴20 日本マクドナルド、ハンバーガー・レストラン1号店を銀座三越内に開店。
7╴30 岩手県雫石町上空で自衛隊機と全日空機、空中衝突、全日空機162人全員死亡。

◎写真は ベルンの旧市街 グリンデルワルトのホテル「ヒルシェン」(どちらも亡母遺品の絵葉書)