6月16日(水曜日)快晴 レニングラードーアムステルダム

朝8時半、インツーリスト社手配のタクシーが来て、アストリア・ホテルを出発。これから全くの一人旅が始まるわけだ。
レニングラード空港での出国管理が厳しい。カーキ色の制服を着た係官の表情が険しく、ケースを開けて、隅々まで点検。各国の旅行者は押し黙って行列。時間がかかる。
10時半、やっと離陸。緊張がほぐれたせいか、席のあちこちから笑い声が漏れる。ランチが運ばれ、デザートに珍しくオレンジが出た。隣席は日本人なので、互いに自己紹介する。在レニングラード領事館の副領事、中島氏と名を告げられる。ストックホルムまで出張のよし。機内で、いろいろと話が弾む。
中島氏は、仰有る。Γロシア人は、愚鈍な人間が多いです。でも彼らは、自分たちの国が遅れている、ということを知っています」Γ歴史上、世界の覇権を一度でも握った国は、どこか違う。スペインへ行きますか。今
もフランコ政権で停滞しているが、スペイン人はプライドが高いです」と。
11時半、ストックホルム着。中島氏と別れる。空港のロビーで1時間待機。周辺の空気、様子が、レニングラードとガラリと違う。明るい色彩が目に飛び込み、リラックスした雰囲気。通貨を持たないので、売店で何も買えない。喉が渇き、ミルク・スタンドを覗いていたら、女性の店員がコップにミルクを注ぎ、Γどうぞ」と差し出される。通貨が無いと言うと、再びΓどうぞ⌋と微笑している。礼を言って、一杯を飲み干したが、これにはちょつと驚いた。自由主義圏に入ったんだ、という感を深くする。
13時20分、アムステルダム着。宿泊の場所を決めていないので、行く先々で探さなければならない。限られた半年の旅費を考えると、とても贅沢なんて出来ない。空港から直ぐに、バスで中央駅へ向かう。
中央駅前で下車し、トラム(市内電車)に乗り換えてムント・タワーまで行き、停留所から徒歩でYMCA へ。ところが、宿泊希望者が列を成して、超満員。よんどころなく、停留所まで引き返す。背後から日本人の学生が一人、Γぼくも行きます」と付いて来たが、振り替えると消えていた。
再びトラムに乗って王宮前で降り、観光案内所VVV(フェーフェーフェー)へ行く。当地3泊のペンションを紹介される。1泊朝食付き13ギルダー。荷物が重くなり、タクシーを拾って、中央駅付近にあるペンション・ベルネックスへ連れて行って貰う。駅前近くの脇道の静かな小通り、玄関前の数段を上ってベルを押すと、中年の男性が顔を出して、ΓVVVから連絡があった」と言い、先ず宿泊代を請求される。全額を支払うと、二階への階段を上って直ぐ左側の部屋を指し、鍵を渡される。
長方形の小部屋、窓に接して机と椅子が置かれ、傍らにシングルのベッドが一台。部屋の入り口の近くに、洗面とトイレのコーナーがあるだけの簡素さ。この部屋の右側に、共同使用のシャワー室がある。ベッドに荷物を放り出すと、ほッとして空腹であることに気付いた。
手提げのみ持って小通りへ出ると、夕暮れ近く、数軒のレストランが目に入った。やはり入り易いので、中華料理店のドアを開ける。と一見、日本人とおぼしき青年ウェイターに迎えられ、席へ案内されてメニューを示される。日本人かな思ったのに、言葉は英語、顔は東洋人。そうだ、オランダはインドネシアと連結していたんだ、とはッとした思いになる。アムステルダムは、国際都市なのだ。出されたチキンの丸焼きの量に驚き、半分くらいで満腹、ウェイターの笑顔に送り出される。
中央駅付近を散策。ここから数日後、列車でヨーロッパの旅が始まるので、構内のあちこちを下見する。列車の出発や到着、旅客たちの集散、案内のアナウンス、物売りの呼び声、ヨーロッパの駅のざわめきを眺めているだけで楽しい。旅人としては、最も楽しい時間だろう。佇んで煙草に火を点けようとしたら、背後からマッ
チを擦ってくれる少年がいた。驚いて笑顔になり、礼を言う。アムステルダムは親しみやすい街だ。
暮れなずむ市街を眺めたくなり、また駅前からトラムに乗車。幾つかの運河が目に入る。アムステルダムはこじんまりとした都市で、30分くらいで市の南方に位置する、コンセルトヘボウ前の停留所に着く。建物を見たくなって、下車。まだチケットボックスが開いていて、明日の予定を訊くと、夜8時からコンサートが有ると言う。係員の男性に料金を尋ねたら、Γスリー・サウザント・イエン!」と返された。日本人の旅行者が多いのだ。トラムに乗って駅前に戻り、徒歩でペンションへ帰宿。夜8時になっていた。
アムステルダムは自由都市だ。ソ連領域のモスクワやレニングラードのような、統治され統制された冷厳な政治都市から飛んで来ると、まるで別天地だ。ここには自由が充満している。流通自在の商業都市であり、無規制・無拘束、むしろ放埒で放逸な、潤むような水辺地帯の情趣さえ湛えている。
王宮前のダム広場には、異相のヒッビーたちが群がり、若者が腕を組み合って脚を投げ出し、空に向かって反戦歌を咆哮する。道往く人々の表情には、活気と潤いと笑いがある。目抜通りにも白昼堂々、ポルノ上映館が表示を掲げ、裏通りには淫靡なムードも漂う。人間の欲望とエネルギー、変化と行動への関心が、この街には満ちている。ペンションの二階への階段の手すりに触れると、さらッとした感じでなく、何やらねっとりとしている。人々の油脂が、染み付いているのかも知れない。
写真は ストックホルム付近のバルト海
[photo:01]

朝8時半、インツーリスト社手配のタクシーが来て、アストリア・ホテルを出発。これから全くの一人旅が始まるわけだ。
レニングラード空港での出国管理が厳しい。カーキ色の制服を着た係官の表情が険しく、ケースを開けて、隅々まで点検。各国の旅行者は押し黙って行列。時間がかかる。
10時半、やっと離陸。緊張がほぐれたせいか、席のあちこちから笑い声が漏れる。ランチが運ばれ、デザートに珍しくオレンジが出た。隣席は日本人なので、互いに自己紹介する。在レニングラード領事館の副領事、中島氏と名を告げられる。ストックホルムまで出張のよし。機内で、いろいろと話が弾む。
中島氏は、仰有る。Γロシア人は、愚鈍な人間が多いです。でも彼らは、自分たちの国が遅れている、ということを知っています」Γ歴史上、世界の覇権を一度でも握った国は、どこか違う。スペインへ行きますか。今
もフランコ政権で停滞しているが、スペイン人はプライドが高いです」と。
11時半、ストックホルム着。中島氏と別れる。空港のロビーで1時間待機。周辺の空気、様子が、レニングラードとガラリと違う。明るい色彩が目に飛び込み、リラックスした雰囲気。通貨を持たないので、売店で何も買えない。喉が渇き、ミルク・スタンドを覗いていたら、女性の店員がコップにミルクを注ぎ、Γどうぞ」と差し出される。通貨が無いと言うと、再びΓどうぞ⌋と微笑している。礼を言って、一杯を飲み干したが、これにはちょつと驚いた。自由主義圏に入ったんだ、という感を深くする。
13時20分、アムステルダム着。宿泊の場所を決めていないので、行く先々で探さなければならない。限られた半年の旅費を考えると、とても贅沢なんて出来ない。空港から直ぐに、バスで中央駅へ向かう。
中央駅前で下車し、トラム(市内電車)に乗り換えてムント・タワーまで行き、停留所から徒歩でYMCA へ。ところが、宿泊希望者が列を成して、超満員。よんどころなく、停留所まで引き返す。背後から日本人の学生が一人、Γぼくも行きます」と付いて来たが、振り替えると消えていた。
再びトラムに乗って王宮前で降り、観光案内所VVV(フェーフェーフェー)へ行く。当地3泊のペンションを紹介される。1泊朝食付き13ギルダー。荷物が重くなり、タクシーを拾って、中央駅付近にあるペンション・ベルネックスへ連れて行って貰う。駅前近くの脇道の静かな小通り、玄関前の数段を上ってベルを押すと、中年の男性が顔を出して、ΓVVVから連絡があった」と言い、先ず宿泊代を請求される。全額を支払うと、二階への階段を上って直ぐ左側の部屋を指し、鍵を渡される。
長方形の小部屋、窓に接して机と椅子が置かれ、傍らにシングルのベッドが一台。部屋の入り口の近くに、洗面とトイレのコーナーがあるだけの簡素さ。この部屋の右側に、共同使用のシャワー室がある。ベッドに荷物を放り出すと、ほッとして空腹であることに気付いた。
手提げのみ持って小通りへ出ると、夕暮れ近く、数軒のレストランが目に入った。やはり入り易いので、中華料理店のドアを開ける。と一見、日本人とおぼしき青年ウェイターに迎えられ、席へ案内されてメニューを示される。日本人かな思ったのに、言葉は英語、顔は東洋人。そうだ、オランダはインドネシアと連結していたんだ、とはッとした思いになる。アムステルダムは、国際都市なのだ。出されたチキンの丸焼きの量に驚き、半分くらいで満腹、ウェイターの笑顔に送り出される。
中央駅付近を散策。ここから数日後、列車でヨーロッパの旅が始まるので、構内のあちこちを下見する。列車の出発や到着、旅客たちの集散、案内のアナウンス、物売りの呼び声、ヨーロッパの駅のざわめきを眺めているだけで楽しい。旅人としては、最も楽しい時間だろう。佇んで煙草に火を点けようとしたら、背後からマッ
チを擦ってくれる少年がいた。驚いて笑顔になり、礼を言う。アムステルダムは親しみやすい街だ。
暮れなずむ市街を眺めたくなり、また駅前からトラムに乗車。幾つかの運河が目に入る。アムステルダムはこじんまりとした都市で、30分くらいで市の南方に位置する、コンセルトヘボウ前の停留所に着く。建物を見たくなって、下車。まだチケットボックスが開いていて、明日の予定を訊くと、夜8時からコンサートが有ると言う。係員の男性に料金を尋ねたら、Γスリー・サウザント・イエン!」と返された。日本人の旅行者が多いのだ。トラムに乗って駅前に戻り、徒歩でペンションへ帰宿。夜8時になっていた。
アムステルダムは自由都市だ。ソ連領域のモスクワやレニングラードのような、統治され統制された冷厳な政治都市から飛んで来ると、まるで別天地だ。ここには自由が充満している。流通自在の商業都市であり、無規制・無拘束、むしろ放埒で放逸な、潤むような水辺地帯の情趣さえ湛えている。
王宮前のダム広場には、異相のヒッビーたちが群がり、若者が腕を組み合って脚を投げ出し、空に向かって反戦歌を咆哮する。道往く人々の表情には、活気と潤いと笑いがある。目抜通りにも白昼堂々、ポルノ上映館が表示を掲げ、裏通りには淫靡なムードも漂う。人間の欲望とエネルギー、変化と行動への関心が、この街には満ちている。ペンションの二階への階段の手すりに触れると、さらッとした感じでなく、何やらねっとりとしている。人々の油脂が、染み付いているのかも知れない。
写真は ストックホルム付近のバルト海
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