西の原爆ドーム、東の変電所
武蔵村山の東京陸軍飛行学校跡地を巡った後、東大和市の旧日立航空機立川工場変電所を訪ねました。
太平洋戦争終盤、アメリカの艦載機に銃撃された痕が生々しく残っている戦跡ということで、「西の原爆ドーム、東の変電所」と呼ばれるそうです。


最寄り駅は西部拝島線の玉川上水駅。歩いて5分です。
東大和南公園という緑がいっぱいの和やかな公園の中に、ポツンと建っているいる異質な建物。
う~ん、すごいです。

令和の時代、子供達や親子連れが行き交う公園の中に、太平洋戦争がリアルに存在している。

そこだけ昭和20年にタイムスリップしたような空間があります。


ここは無料で見学できますが、公開日が水曜日と日曜日のみです。
それから職員の方による展示解説が水・日曜日にあります。午前10時45分~午前11時30分と、午後2時~午後2時45分の2回。
私も解説を聞かせて頂きましたが、かなり詳細に渡って解説して下さいます。
私がお訪ねした時は、ここ周辺の戦跡に詳しい方がいらして、いろいろお話を聞かせて頂きました。武蔵村山には、陸軍飛行兵学校以外にも、見応えのある戦跡がいろいろあることを教えて頂きましたので、武蔵村山には再訪したいと思っています。

日立航空機株式会社立川工場
東大和市のホームページの説明によりますと。
昭和13(1938)年に現在の東大和市に軍用機のエンジンを製造する東京瓦斯電気工業株式会社(翌年、合併により「日立航空機株式会社」となる)の立川工場が建設されました。いわゆる軍需工場ですね。
太平洋戦争で軍用機の需要は拡大、工場はどんどん大きくなっていき、昭和19(1944)年には、13,000人もの従業員の人達が働いていたそうです。

 


この工場では陸軍の軍用機のための、ハー〇〇というエンジンを製造していたそうです。



その工場の北西部に建っていた変電所は、高圧電線で送られてきた電気の電圧を下げて工場内へと送る重要な施設でした。

しかし、太平洋戦争末期、アメリカ軍による空襲がひどくなっていきます。軍用機を作っているような軍需工場は真っ先に爆撃の対象になります。
この変電所を含む日立航空機工場一帯が、1945年(昭和20年)2月17日、アメリカ空母から発進したグラマンF6Fヘルキャット戦闘機によって銃撃されます。
4月19日には、アメリカのP-51ムスタング戦闘機から銃撃されます。
この2回のアメリカの戦闘機による銃撃の痕が、変電所の建物に残っているのです。
 

そして、最もひどい爆撃が、4月24日のB-29の大軍による空襲です。
B29が落す爆弾は、戦闘機の銃撃の比ではありません。
日立航空機工場は激しい空襲により跡形もなく焼け野原になったそうです。
工場の鉄材が飴のようにぐにゃりと曲がっていたそうです。
変電所はB29の爆撃は免れたので、現代までその姿をとどめているわけです。

建物内ではアメリカ軍の500ポンド爆弾の模型が展示されています。


リアルな爆弾の破片も展示されています。

 

B29の爆撃を逃れたので、変電所自体は機能し続けました。
終戦後も、東京瓦斯電気工業を合併した富士自動車(後の小松ゼノア)の変電所として、アメリカ戦闘機の機銃痕を残したままの建物で、電気を工場に送り続けたのでした。
なんと、1993年(平成5年)まで変電所として現役だったということですから驚きです。

工場で働いていた人達はアメリカ軍の3回の爆撃によって、111名が亡くなったそうです。
当時は工場では動員された学生や周辺の住民の方達も働いていました。彼ら彼女らも、アメリカ軍の空襲の犠牲になっています。


生々しく残るアメリカ戦闘機の銃撃痕
建物のコンクリート壁に撃ち込まれた銃撃の数々・・・。

 

 

ぶあついコンクリートの壁に穴を開けているものもある・・・。
ヘルキャットやムスタングって、こんな低空まで降りて銃撃したんだなあ・・・。

 


↑蓄電池室
太平洋戦争の時代から蓄電池ってあったのか・・・。蓄電池は非常用の電源として使われたそうです。
蓄電池室の壁にも銃撃痕があります。


↑建物内の階段の手すりにまで銃撃の痕があります。


↑2階には変電施設が残っています。配電盤にも銃撃の痕が・・・。

 



↑仮眠室。24時間体制で働いていたと・・・。





↑建物の裏側は比較的銃撃痕が少ない。
アメリカの戦闘機は、建物の表から銃撃したものらしい。


↑当時の防護壁の一部が残されています
この防護壁は高圧電流を取り入れる受電施設の東西にあったそうです。


↑給水塔の一部
変電所の西方約230メートルのところにもともとあった給水塔の一部。高さが約25メートルあったそうです。戦争中は迷彩色に塗られていたそうです。


↑慰霊碑
旧日立航空機株式会社 立川発動機製作所
太平洋戦争戦災犠牲者 慰霊碑
空襲で亡くなられた111名の方のご冥福をお祈り致します。

東大和市は平成7(1995)年10月1日にこの建物を文化財に指定しました。
私が訪れたのは水曜日だったのですが、多くの人達が見学に訪れていました。
中の展示や説明看板も丁寧で、心がこもった展示だなあと思いました。
身近にありながら、太平洋戦争のリアリティを感じさせる、貴重な戦跡だと思います。
 

 

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