南鳥島のレアアース
南鳥島。海軍航空隊ファンの私には馴染のある名前。
これ、人口島ですか?と疑うばかりのきれいな三角形の島。
太平洋戦争中、海軍の飛行場があって、日本本土から硫黄島や、更にその先のトラック諸島やラバウルへ向かう途中に、海軍航空隊が立ち寄る中継島でした。
しかし太平洋戦争末期には、アメリカ軍にしこたま空爆され、硫黄島が玉砕した後は、補給路も断たれてしまい飢餓に襲われた島・・・。
そんな南鳥島が、終戦80年を経た今、大脚光を浴びることになる。
南鳥島の海底にレアアースが埋まっていたのである!
「資源がない国」日本が、起死回生の満塁逆転ホームランを打てるかもしれないチャンスがめぐってきたのである!
レアアースとは、鉱物に含まれている17種類の金属元素で、スカンジウムとかイットリウムとか、〇〇〇ウムって呼び名が多い。レアアースはレアメタルの一部。このレアアース。スマートフォン、電気自動車、液晶テレビ、ミサイル、ロケット、あらゆるハイテクグッズに絶対必要な物質なので、世界中で争奪戦が起きています。
中国がレアアースを大量に持っているということで、中国はレアアース輸出規制をかけたり、緩和したりと、政治的取引の材料に使っているし。中国との関係が悪化する国は、中国からレアアースが輸出されなくなるかもという地政学的リスクになっております。アメリカと中国も、いつもレアアース問題でやりあっている。
レアアースの産出国としては中国(58%)が第1位で、次にアメリカ(38%)。
レアアース埋蔵量から見ても中国(37%)が1位で、ベトナム(18%)、ブラジル(18%)、ロシア(10%)が続く。
現在、日本はレアアースは輸入に頼っており、しかも、中国からの輸入が半分以上占めている。
どうする、日本!?
と思っていたら。
南鳥島沖の水深6000メートルの海底にレアアース泥が発見!いよいよ海洋研究開発機構(JAMSTEC)が、2026年1月から南鳥島沖でレアアース試験掘削を開始!
なんと、南鳥島周辺だけでもレアアースの埋蔵量は世界3位の規模になるとのこと。
ずっと資源不足に悩まされてきた日本。
太平洋戦争だって、石油がないことが原因の一つになっている。
そんな日本の海にレアアースが大量に埋まっていたということで、日本にとって大チャンスかも⁉
石油も重要資源だけど、これからは、レアアース資源を持っているか否かが、安全保障や外交の大事な切り札になる可能性が大。
先日、アメリカのジャイアン・・・いえ、トランプ大統領が来日した際に、日本政府とレアアースに関する協力覚書なるものが交わされていましたが。その覚書の中にも南鳥島のレアアースが含まれていたらしい。
来年の南鳥島レアアースプロジェクト、本格始動が楽しみです。
菊一文字を背負って出陣
さて。そんな南鳥島ですが。
太平洋戦争中は航空隊の中継地点として活用されました。
しかし、戦争末期には飢餓の島になってしまい、餓死によって多くの兵が亡くなってしまった悲劇の島でもあります。
その南鳥島で海軍陸戦隊を率いて戦い、終戦後降伏勧告してきたアメリカ軍に対し毅然とした態度を取り、アメリカ側を感服させた海軍士官がいます。
それが、中村虎彦。最終階級は中佐。
中村虎彦氏は、海軍兵学校59期卒。鹿児島出身。
灘風砲術長を経て、佐世保第2特別陸戦隊副官。海軍の中でも陸上戦闘要員という、陸軍に近い役割の陸戦隊のエキスパート。
この中村さん、1941年(昭和16年)4月の、中国の寧波作戦で有名になります。
中村さんの活躍については、兵学校同期である吉田俊雄氏が複数の著作で書いていて(吉田氏、よほど中村さんのことが好きだったらしい・・・笑)、その一冊である『日本海軍のこころ』(文芸春秋)の中の「トラさんの寧波作戦」で、中村さんの奮戦ぶりが活写されています。
中国戦線で、陸軍の師団が鎮海に上陸する作戦において、海軍からも陸戦隊を出すことになりました。でも、普段仲が悪い陸軍の下に入って、陸軍将校の指示を受けなければならないということで皆嫌がり、上官から半ば押し付けられる形で中村大尉(当時)にお鉢が回ってきます。
中村大尉は、現役兵だけの部隊とすること、司令官室に飾ってあった菊一文字の刀を貸してもらうことを条件に任務を引き受けます。
中村大尉は、腰に軍刀を下げ、背中に菊一文字の刀を背負って出陣したそうです。
なんとも勇ましい・・・。ザ・陸戦隊!という勇姿ですなあ・・・。
さあ、いよいよ鎮海に上陸となるのですが。遠浅の海から上陸したので、膝が泥に埋まって、前進がはかどらず。そうこうしているうちに、敵陣地から砲弾が浴びせられます。遮蔽物が何もない波打ち際の泥の中で、部下達が次々に銃撃されてしまい、中村大尉も泥の中に這いつくばって耐えるしかなく窮す・・・。
そこに飛行機の爆音が聞こえてきました。
中村大尉は航空機の応援を頼んでおいたので、味方機が来たと思い、すぐ横で同じように泥の中に臥せっている松島兵曹に軍艦旗を出すように言います。軍艦旗を飛行機に見せて、味方の位置を知らせようとしたのです。
「松島、軍艦旗出せ」
中村大尉は命じますが、ものすごい砲弾を撃たれまくっている中なので、松島兵曹は聞こえなかったのか、撃ちすくめられたのか、泥の中に臥せったまま動きません。
困った中村大尉は、
「コラ、松島。出さんと斬るぞ」
とちょっと脅すつもりで、腰の軍刀を抜こうとしたけれど、泥に埋もれていて抜けない。それで、背中にしょっていた菊一文字の刀を抜いたのです。
それに驚いた松島兵曹は飛び上がって、軍艦旗を押し立てたまま走り出してしまいます。敵陣に向かって・・・。
これを見て、中村大尉は大慌て。
「危ない!松島、待て!待て!」
と松島兵曹を追いかけます。
突撃じゃないんだぞ~!味方機にわかるよう軍艦旗を見せようとしただけなんだぞ~!と思っても、松島兵曹はどんどん前へ進んでしまいます。
このままでは松島兵曹が銃弾で撃たれてしまう!と焦った中村大尉は、松島兵曹に追いついて伏せさせようとするのですが・・・。
ふと後ろを振り返ると、部下達が一斉に走って突撃してくるのです。
軍艦旗が押し立てられて前へ進み、中村大尉が刀を振り回して走っているものですから、部下達は突撃命令が出たと思って、「隊長に続け~!!」と必死に中村大尉を追いかけてきたのです。
もうこうなったら仕方ない。
「突撃~!!」
中村大尉はそのまま全軍突撃を命じます。
幸い、隊が進んだルートが敵陣から死角になっていて、銃撃されることなく、敵陣地になだれ込み鎮海要塞を占領。要塞の城壁高くに軍艦旗を押し立てます。
中村海軍陸戦隊、鎮海要塞を占領す!
この様子をあっけに取られてみていたのは、本来主力部隊であったはずの陸軍です。
四個大隊が上陸して、中村海軍陸戦隊と同様、敵陣からの砲撃に身動き取れず泥の中にうずくまっていたのですが。
しかも、だんだん潮が満ちてきて、海の中になってしまい、パニック。
そんなところに、中村隊がわー!と勇ましく軍艦旗を押し立てて、あれよあれよと鎮海要塞を落としたので、びっくりです。
中村大尉の勇名は、海軍ばかりでなく、陸軍内にも轟くことになりました。
「なんか、海軍陸戦隊にヤバイ奴おるで・・・」
と噂になったでしょうねえ(^^;)
偶然が生んだ勝利とはいえ。
司令官から借り出した菊一文字が思わぬところで役に立ったわけです。
南鳥島の守備隊
中村さんはその後、南鳥島に上陸、守備隊として終戦を迎えます。
南鳥島にアメリカ軍が上陸して戦争になるという事態はありませんでしたが、アメリカ軍に頻繁に空爆され多くの死傷者が出ました。それに硫黄島が陥落した後は補給路が断たれて、飢餓と栄養失調で多くの兵が亡くなってしまいます。そんな悲しい歴史がある南鳥島ですが・・・。
終戦後、降伏勧告に上陸してきたアメリカ軍の将校に対し交渉したのが中村さんです(その時は少佐になっている)。
降伏調印を迫り、軍隊旗を渡せと高飛車に要求してくるアメリカ側に対し、中村さんは毅然と応じ、何だったらまだまだ戦う気満々だぜ!軍隊旗は渡せん!とつっぱね、軍隊旗を燃やしてしまいます。アメリカ側は怒りますが、中村さんは「軍隊旗を奪われれば我々は貴軍に対する敵愾心が起こる。隊旗を記念品とされることは我々にとって冒涜である」と訴え、逆にアメリカ側を感服させたそうです。
その後は、アメリカ側は大量の食糧を日本側に提供し、日本軍への扱いは丁寧になり、終戦からたった2カ月で南鳥島に残っていた全員が本土に帰国できたそうです。終戦日から2カ月で本土外の島から帰国って、他に例をみない速さです。
中村さんの最後まで衰えることのなかった海軍陸戦隊魂が、島の兵達を救うことに役だったと言えるのではないでしょうか。
戦後は中村さんは故郷の鹿児島に帰り、軍隊とは関係ない人生を過ごされたそうです。
中村虎彦。
吉田俊雄氏言うところの「トラさん」。
誠に、誠に、かっこいい方ですなあ!

