伊原宇三郎氏の「特攻隊内地基地を進発す」

東京国立近代美術館で開催中の「記録をひらく 記憶をつむぐ」展(2025年10月26日まで)。東京国立近代美術館が所蔵している戦争画の展示会。
いよいよ終了まで1週間ちょっとになってきました。
今回ご紹介したい絵画は伊原宇三郎氏の「特攻隊内地基地を進発す」。
 

 

この「特攻隊」はどの隊で、誰が出撃したのか、はっきりわかっています。
1944年(昭和19年)12月3日、茨城県の水戸東飛行場から出撃した陸軍の特別攻撃隊「殉義隊」であり、画面の中央に描かれている人物は殉義隊隊長、敦賀真二(つるが しんじ)陸軍中尉であることもはっきりしています。
描いた伊原氏は、敦賀隊長と同郷でした。

殉義隊
1944年(昭和19年)10月以降、海軍だけでなく陸軍でも特別攻撃隊、いわゆる特攻隊の編成が始まります。

そして陸軍初の特攻隊として、富嶽隊、萬朶隊󠄁がフィリピンの戦地に出撃していきました。

 

 

その後、陸軍では八紘隊と称する特攻隊を次々と出撃させます。八紘隊の一つが殉義隊でした。

12月3日に水戸を飛び立ってフィリピンへ向かい、12月21日、22日にミンドロ島付近のアメリカ艦隊に向かって特攻を行いました。



画面の中央で機上からこちらに手を振っている敦賀隊長。
機体は隼。太平洋戦争初期、海軍の零戦と並んで、陸軍の優秀戦闘機として一時期一世を風靡しました。

戦争後半では旧式化し、敵の最新の戦闘機に対して苦戦することになってしまいましたが。それでも、陸軍を代表する戦闘機です。
敦賀隊長の隼の胴体には真っ赤な稲妻が描かれていて、尾翼に敦賀隊長の名前を取って「ツ」の文字が描かれています。

これが特攻機でなければ、なんて凛々しい戦闘機なんだろうと思うところですが。この隼も、体当たり攻撃で粉々になる運命に置かれているのです。

特攻隊の出撃は通常秘密裡に行われ、特攻隊員達は肉親にもいつ、どこへ出撃するか、特攻か否かさえ告げることが許されませんでした。軍事機密とされていたので。
しかし、殉義隊の出撃は、特別許されたのか、敦賀隊長の両親も見送りに来ていました。同郷の伊原氏も飛行基地に入って取材することが許されました。多くの人達の見送りを受けて、殉義隊は出撃しました。
出撃前、敦賀隊長は、飛行機を整備した少年兵たち一人一人に握手をして礼を述べたそうです。
当時のことですから、見送る人達は日の丸を振って、万歳をして送り出しています。

 


しかし、一人だけ、女の子がこちらを向いています。

少女はまったく喜んでおらず、不安げな、怒っているような表情をしています。まるで「これでいいの?」と私達に問いかけているように。
この絵画は戦争記録画として1944年に描かれたものですから、この少女を描きこむことは結構勇気が必要だったのではないかと推察します。
でも、伊原氏としては、勇ましく出撃する殉義隊とそれを熱烈に見送る人々だけではなく、時空を超えて疑問を呈しているような少女の顔を描いておきたかったのではないでしょうか。

殉義隊として出撃した隊員は、敦賀隊長を含めて9機です。
しかし、絵の中の隼は、遠くまで、累々と並んでいるように見えます。
まるで、これから特攻隊がどんどん増えていくことを暗示しているかのように。
特攻隊員として消えていく命が、次第に増えていくことを予感させるように。

敦賀隊長は大変人望のある方だったようです。戦後、いろいろな方が、この方の思い出を書かれています。
吉田泰臣著『陸軍特別攻撃隊殉義隊敦賀真二 二十一歳八カ月の生涯』(ぎょうせい)という、敦賀隊長についての本があるのですが、今のところ入手できておらず。国会図書館のデジタルアーカイブにもないので、まだ読めていないのですが。いつか読みたいと思っています。

敦賀隊長、21歳8カ月の生涯・・・。特攻隊長といっても、まだ22歳にもなっていなかったのですよ・・・。


そして、この殉義隊には、志願して加わった若杉是俊少尉がいました(戦死後、大尉)。
この方は「銀時計の特攻」として知られておりますので、そのお話もどこかで書きたいと思います。

伊原宇三郎
東京美術学校洋画科出のエリート画家ですね。フランスにも留学しています。太平洋戦争中には陸軍嘱託画家となり、多くの戦争画を描いています。
戦後はイタリア、フランスで活躍し、ピカソ大好き人間になって、フランスから勲章ももらっています。かなり成功した画家といえると思います。


戦後、伊原さんは出撃を見送った敦賀隊長のことを思い出すことはあっただろうか。
伊原氏の戦争画もすべて終戦後GHQに没収され、東京国立近代美術館に無期限貸与の形で戻ってきたのが1970年。それからも多くの戦争画が美術館の倉庫にしまい込まれていた。

伊原さんが亡くなったのは1976年。戦争中自分が描いた戦争画を再び見ることなく、伊原さんは亡くなられたのかもしれませんね。

 

 

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