観音崎トーチカ
駆逐艦村雨の碑にお参りした後、海沿いに観音崎通りを歩いて行くと、道路沿いに葉っぱに埋もれたトーチカが。
このトーチカも一度も攻撃されることも、攻撃することもなくすみました。
今は観音崎公園の駐車場の脇にひっそりとうずくまっています。中には入れないですね。このまま、永遠に、静かに眠りについていてほしいです。
向いの海岸に降りてみると、ここにもなにやら建造物が。海の中にも。
ここらへんも、陸軍関連の戦跡なのかなあ??
黒船来航のモニュメントが海沿いにあります。
「自転車半島宣言」。たしかにここらへんの海沿い道路はサイクリングに最適ですね。
戦没船員の碑
fuyunoA&Bは観音崎公園に入り、砲台跡と戦没船員の碑に向かいました。向かいましたが。すごい上り坂です~(泣)かなり急な山道。
ぜーぜー言いながら、やっと頂上にたどり着きますと、戦没船員の碑に着きます。
太平洋戦争の犠牲者だけでなくて、海難事故の犠牲となった、海で亡くなられた船員の方々のための慰霊碑。
海が見渡せて、素晴らしい眺めです。
逆光で文字が見えないのだけど
「安らかに ねむれ わが友よ 波静かなれ とこしえに」
と刻まれています。
素晴らしい白亜のモニュメントと、船員と人形を象った彫刻がありました。
これは進徳丸の錨。
進徳丸は、神戸高等商船学校の帆船練習船で、たくさんの船員を養成しました。太平洋戦争中、石炭炭輸送中に1945年(昭和20年)7月24日にアメリカの爆撃機に攻撃されて撃沈されてしまいました。
fuyunoA&Bはここでしばし休憩。
戦没船員の方々に手を合わせました。
戦没船員の碑の横には、明治時代に作られた堡塁跡があります。
今は叢に覆われて、壁が少し残るのみになっております。
観音崎砲台跡
そしていよいよ砲台跡へ。
ここがすごかった!
鬱蒼とした木々の中、砲台跡がしーんとたたずんでおります。まるでジャングルの中にいるみたいです。もう、日本ではない感じ。ネグロス島やルソン島にタイムトリップならぬ、プレイストリップした感覚になります。
↑文字がかすれている・・・
他に人もいなくて、木々の間から日光がさしこみ、朽ちた砲台跡の施設を照らしているのですが。静かな異空間。時の流れを感じますねえ。
ここには27センチ加農(カノン)砲が置かれていました。いわゆる大砲ですね。
この砲台も一度も攻撃せず、攻撃されることもなく、役目を終えました。
ただひっそりと、緑の中でこのまま朽ちていくのを待っているようです。
いやあ~、ここもラピュタ感に溢れています。
一見の価値あります。
観音崎公園にはこうした砲台跡が三か所あるのですが。私達が訪れた時はあちこち工事中で通行止めのため、この一か所(第二砲台跡)しか行くことができなかったです。
観音崎砲台火薬庫
砲台跡を見た後、上ってきた方とは逆方向に急な下り坂を降りていきます。
いや、足が笑いそうでした(苦笑)。かな~りな急階段です。
降り切って、すぐ駐車場、その横にバス停なのですが。駐車場の横にあるパークセンターは観音崎砲台火薬庫です。
パークセンターの建物は、日清戦争の後、1898年(明治31年)に日本陸軍が東京湾要塞の観音崎砲台の火薬庫として整備したものということです。パークセンターとして利用するために、白壁をはがし、れんが壁を補修して、現在の耐震基準を満たすように柱・梁の補強をしたそうです。
基盤部分には煉瓦がアーチ状になっていて、火薬を保管するため、防湿性などの工夫を凝らしたそうです。
赤煉瓦の構造物→陸軍の戦跡、という方程式がほぼ私達の頭の中に出来上がりつつあります(笑)。
観音崎といえば灯台が有名なので、あちこちに灯台のモニュメントがありました。
しかし~、バスの時間のため、観音崎の灯台を見るのは諦めて、浦賀戦跡ツアーの最後の目的地、走水砲台跡に向かった私達です。