わだつみのこえ記念館

「わだつみのこえ記念館」に行ってきました。
実はうちから歩いて行ける距離にあるのですが、今まで訪ねたことがなかったのです。
戦没学生の遺書や遺品を収集した館で、戦没学生の日記や遺書や手紙を収めた本『きけわだつみこえ』にちなんでいます。
「わだつみ」は海神を意味する日本の古語。この本を作る時に、書名を公募して、応募作の一つにあった短歌「きけ はてしなきわだつみのこえ」から取ったそうです。

「わだつみのこえ記念館」は東京大学の本郷キャンパスの向いのマンションの一階にあります。

住所でいえば東京都文京区本郷5-29-13 赤門アビタシオン1階。
月水金の13時~16時(祝日除く)のみ開館です。




海軍兵学校や予科練、あるいは陸軍士官学校と違って、学生だった人達が徴兵されて陸軍や海軍の軍隊に投入されたわけですから、喜んで軍隊に入ったという人はまずいなかったのではないかと思います。ましてや、自分の本意としない軍役により、命を落とすことになった戦没学生たちの残した声とは、かなりの苦しみや恨みや悲しさが前面に出ているだろう・・・と思うと、なかなか訪ねる勇気がなかったのですが。

海軍の飛行予備学生十三期生のように、志願して海軍航空隊に入った学生達(そして海軍兵学校卒に負けないくらい果敢に最後まで戦った)もいることだし。やはり、一度は訪ねてみるべきだと思い行ってきました。

中の手紙や写真は撮影してもよいみたいですが。やはり、勝手にブログにアップするのはどうかな・・・と思うので、ここには載せませんが。
2階に展示室があって、小さいスペースですが、戦没学生たちの残したハガキ、手紙、日記、遺書、写真がたくさん展示されています。


展示品を見ていると、海軍よりも、陸軍に入った戦没学生たちのものが多かったと思います。陸軍だから、中国やアジア方面で戦没した人達の手紙や日記が多かったですね。あ、この人海軍だ、と思うと、特攻隊・・・。
 

太平洋戦争の当時大学生だったってことは相当インテリ層だったわけで、インテリだったからこその悩み、戦争や自分が軍隊にいることについてどんどん考え、思想を深めていったのだろうと推察します。自らが望んで入ったわけではない軍隊。戦いたくなかった戦争。それでも、剣や銃を持って戦わないといけない、あるいは飛行機や戦艦に乗って敵を攻撃しないといけない。
辛かったろうなあ・・・。

妻や両親に労わりの気持ちを書いた手紙もあるけれど、戦争について、軍隊についての疑問や憤りを書いた内容もけっこうありました。

ちょっと意外だったのは、大学生だから若い独身者ばかりだと思っていたら、25~27歳の年齢の人も結構いて、既婚者や子持ちの人達もいたということです。戦争中だったから結婚を急いだのかもしれませんが。

そして、私が驚いたのは、たくさんの若者達(おそらく学生だと思う。中学生~大学生のレンジで)が来ていたこと。真剣に、静かに、じーっと展示品を読んでいたこと。スマホでゲームとかやっていそうな年代の若い子達が、真剣な眼差しで戦没学生達が残した手紙を読んでいる姿に、驚きながらも、頼もしく思いました。若い世代が、ちゃんと戦争について学んでくれているのだなあと。少し、ほっとします。


ロシアとウクライナの戦争や、イスラエルとハマスの戦争など、戦争がリアルに現在進行中になっている今日この頃。日本が主体となって戦争を起こすことはもうないと信じたいけれど。世界情勢の変化によって、日本が否応なく戦争に巻き込まれてしまう事態が起こらないとも限らない。戦争をすると恐ろしいことになる、とにかく戦争にならないようにすることが大事ということが、私達の世代の次の世代に、ちゃんと受け継がれていくよう願っています。

天上大風の碑
記念館の近くには、「天上大風」の碑が蔦に覆われて建っています。
東京大学戦没同窓生の碑です。

 

 

大東亜戦争では、東京大学は1700人~2500人の戦没者を出したということです(1700人は確認されているけれど、実数ははっきりしていない)。東京大学医学部卒業生有志が哀悼を思いと共に建てた追悼の碑ということです。「天上大風」とは良寛さんの言葉だそうです。

きけわだつみのこえ
日本戦没学生記念会が収集して出版した戦没学生の手紙・日記・遺書、『新版 きけわだつみのこえ』(岩波文庫)。

 

 

一部が「わだつみのこえ記念館」にも展示されています。
この本は1949年(昭和24年)に第一版が出版されたのですが、大きな感動と関心を集めたと同時に、論争や批判も巻き起こったそうです。戦争を礼賛しているとか、逆に戦争の悲惨さを強調して左翼的だとか、事実と異なるとか、戦没学生の遺書を恣意的に選んだとか、大学生だけが戦争を戦っていたわけじゃあない、大学生じゃない普通の兵隊の声は拾わんのか、これが戦没学生の代表意見だと思われては困る、学徒兵も勇敢に戦っていたとか・・・。
すごく紆余曲折があって、多分、今は、この岩波文庫の新版が『きけわだつみのこえ』を代表する本として認められていると思いますが。

記念館を訪ねた後、この本を読んでみたのですが。胸に迫るものがありますねえ・・・。

そして、やっぱり、戦争や正規の軍人(海軍兵学校卒とか陸軍士官学校卒とか)に対して納得できない思いとか軋轢とか、軍隊内部の納得できない部分に対する不満や諦め、そういったものも多く書かれていました。
 

でも、そりゃあ、そうですよねえ。昨日まで大学生として勉強して将来を嘱望されていたであろう人達が、学徒出陣で陸軍や海軍で軍人として務めないといけないってことになるわけですから。大学と軍隊では、世界が180度違いますし。おまけに大学生達が徴兵された頃は既に日本軍は追い詰められ、戦況は厳しかったですから。
 

幾つか印象に残ったものを挙げてみます。

宮崎龍夫さんの妻への手紙
東京帝国大学理学部人類学科。1944年6月に陸軍に入隊。
1945年7月20日。フィリピンのマニラで戦病死。享年26歳。

僕たちの結婚が、あらゆるものを、真実の方向に進展させないならば、僕たちのよろこびは影のあるものになるに相違ないのだ。
僕は常に光を求める。
君も常に明るさを求め給え。



長谷川信さんの日記
明治学院高等部。1943年12月陸軍に入隊。陸軍特別操縦見習士官。
1945年4月12日。武揚特別攻撃隊として沖縄で戦死。陸軍少尉。享年23歳。

俺たちの苦しみと死とが、俺たちの父や母や弟妹たち、愛する人たちの幸福のために、たとえわずかでも役立つものならば。

ただ一人にて生れ、
死ぬるもただ一人。



林憲正さんの日記
慶応義塾大学経済学部。1943年10月海軍に入隊。
1945年8月9日、神風特別攻撃隊として本州東方海上で戦死。海軍中尉。享年25歳。

私は祖国のために、我が十三期の仲間のために、更に先輩の学徒出身の戦士のために、最後には私のプライドのために生きそして死ぬのである。帝国海軍―その意味するところは江田島出身のある部分の士官によって代表される―を呪いながら・・・。

林さんは海軍飛行予備学生十三期ですから、志願のはずです。予備学生十三期、十四期は、海軍兵学校卒70期~73期とけっこうな軋轢があった(というより兵学校卒が予備学生をいじめた)ことは、数々の手記に残されていますから、事実でしょうねえ。もちろん、予備学生を差別しない、いじめない、海兵卒の士官もいましたけれど。宮野善次郎大尉だったら、絶対そんなことしなかったはず。菅野直大尉も、いじめなんてそんな陰湿なことしなかったはず。

林さんは、特攻出撃を前に、ふりきったような、あきらめたような遺書を残しています。

父上母上初め兄弟姉妹、その他親戚知人の皆様さようなら。
御元気でやって下さい。
私は今度は「アンデルセン」のおとぎの国へ行って、そこの王子様になります。
そして小鳥や花や、木々と語ります。
大日本帝国よ、永遠に栄えんことを。


林さんの戦死した日は8月9日。

長崎に原爆が落された日。

そして、8月15日の終戦まで、あと6日でした・・・。

あの世というものがあるならば。

林さんが、おとぎの国のような穏やかな世界で、花や小鳥たちに囲まれて安らかでいますように。合掌。


 

彼等の書き残したものは、私達が読むことも大事だと思うけど、戦争当時、陸軍・海軍の中枢部にいたお偉い人達、命令ばっかり出して戦争の前線に立たなかった将官や佐官達、参謀肩章つった参謀達、そして特攻作戦を命令した人達、そういう人達こそ、まず読むべきだと思います。

彼らは読んだのだろうか?

「わだつみのこえ」をちゃんと聞いたのだろうか?

 

 

 

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