市ヶ谷の防衛省の中を巡る、市ヶ谷ツアーに参加してきました。

お目当ては、太平洋戦争時の大本営地下壕に入ること。

でしたが。他にもいろいろ見応えがあり、ツアーの時間はトータル2時間半!

見応えたっぷりなので、前編は大本営地下壕跡、後編は陸軍士官学校本部を移設した市ヶ谷記念館(アノ三島由紀夫自決の場)中心にアップしたいと思います。
すっごくいろいろ見せてくれるおススメツアーなのですが。
完全事前予約制で身分証明書提示必須、大本営地下壕を見れるツアーは午後の部だけなのでご注意を!
その他にもこのツアー、いろいろ注意点があるので、最後にそれは紹介したいと思います。

さて。まずは、ドキドキしながら市ヶ谷の防衛省正門前に集合。


うわ~!マジで機関銃持っている迷彩服の自衛隊の人いる・・・。


時間になるとツアー案内役のお姉さま方が20名集まったツアー参加者の名前と身分証明書を確認し、手荷物検査を受けた後、入場カードをくれて、中へ案内してくれます。
中はひろびろ~としていいます。庁舎A~7F舎まであるうえに、自衛隊の人達が暮らす隊舎もあるので、省というより基地みたいな感じです。
太平洋戦争のころは、大本営陸軍部、陸軍省、参謀本部がありました。

ちなみに案内役は、お姉さま方だけでなく、スーツ姿のおじさまも一人付き添いますが。そのおじさまが、SPが持っているような黒い大きなバッグを持っていて。あれはやっぱり、参加者の中にまさかの振る舞いをする人が出た場合の対応用警護バッグなのかなあ・・・と思いました。

そして、さっそく、大本営地下壕跡へ。

ヘルメットを渡されて、中に入ります。
おお~、ひえ~っとします~。外とかなりの気温差です。
この地下壕は、陸軍中枢部の防空壕であり、昭和17年12月に完成したということです。結構早くから作ったのだなあと思いました。この地下壕の中には、陸軍大臣室、通信室、トイレ、浴室、炊事場があったそうです。

この地下壕の中で、昭和20年8月10日に、阿南惟幾陸軍大臣が、陸軍省の幹部を集めて、御前会議でポツダム宣言の受諾を決断した昭和天皇の決断を伝えたそうです。
映画「日本の一番長い日」(2015年版)では、役所広司さん演じる阿南大臣が陸軍幕僚向けに天皇の決断を伝えるのは、防空壕の中ではなく、陸軍省の官舎になっていますけどね。
敗戦後、GHQに使用されたので、地下壕の中にはその時書かれたと思われる英語表記が残っています。


 

奥行52メートルの細長い管のようなトンネルが3本あって、それを横に繋ぐ廊下みたいなものがありました。通路の幅は4.6メートル、高さは4メートル。鉄筋コンクリート造り。
200名の人員を収容できたそうです。
足元や壁には水がしみ出していました。


地下壕の換気のための通気口。この上には石灯籠を地面に設置して、通気口だとわからないようにしていたそうです。
また、通気口の管は、折れ曲がっていて、爆弾落とされても爆風が吹き込まないようにし、地下壕の光が外に漏れないようにもしていたそうです。
錆びてますなあ・・・。


陸軍大臣室。
そのすぐ横が通信室。
大臣がなにかあればすぐ通信室から命令を隊に伝達できるように、あるいは通信係が情報を受け取って大臣に渡していたそうです。
軍隊の中で通信係の兵はたいへん重要で、徹底的に身元を調査された上でないと採用されなかったそうです。それだけ機密情報に触れる機会が多いということでしょうね。現代の自衛隊でも通信担当の人はすごく身元調査が厳しいそうです。


トイレの跡。
ごはんは多少食べなくても我慢できるけど、下のほうは我慢できないということで。
どの戦跡みても、結構トイレってしっかり作られていて、跡が残っていますね。
 

炊事場。簡単なものしか作らなかったそうですが。

この中、本当に冷えます・・・。
終戦の時期は夏だったから、この地下壕の中で過ごせたけれど(むしろ、涼しくてちょうどいいくらい?)、もし終戦のタイミングが冬だったら・・・この地下壕、相当寒かったと思いますねえ。
それに、当時は照明がついていたとはいえ、煌々と明るかったわけではないので、薄暗い感じだったはず。

そんな薄暗い中で、戦況の行方をウツウツと考えていたら、どんどんネガティブな方へ引っ張られていったのじゃあないかなあと思いました。
なんだか、地下壕の中は、終戦時の空気が、あの時の苦悩の時間が、滞留しているような気がしました。
歴史的に貴重な戦跡だと思います。

(後編に続く)

 

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