台湾沖航空戦を戦った零戦パイロット
台湾沖航空戦を戦った零戦搭乗員、杉浦茂峰(すぎうら しげみね)少尉(兵曹長から死後少尉に昇進)。
乙飛予科練出身。1944(昭和19)年10月12日、戦死。二十歳でした。
彼は、台湾で、飛虎将軍として神様として祀られています。
なぜ、台湾で神様として祀られているかというと、台湾沖航空戦を戦った時にアメリカのヘルキャットに撃墜され、脱出しようとしたけれど、いま脱出すると零戦が台湾の村(台南市で海尾寮という所だそうです)に墜ちてしまうということで、じっと人のいない池まで我慢して脱出、結局敵機に銃撃されて戦死してしまいます。
海尾寮の人達は、村を守ってくれたということで、杉浦さんを神様と祀るようになり、飛虎将軍廟が建てられました。
杉浦さんは水戸出身だったということで、水戸市のホームページには彼の紹介ページがあります。
「第二次世界大戦後、海尾寮集落において、白い帽子と服を着た日本の若い海軍士官が枕元に立っているという夢を見たという者が数名ありました。その後、集落の有志が集まり、その海軍士官が部落を戦火から救うために、自分の生命を犠牲に集落を守った恩人として、1971(昭和46)年に杉浦茂峰氏を祀るために祠を建設しました。」
いや、水戸市、オカルトチックな話を堂々と載せてますね(笑)。
「飛虎」は戦闘機を意味していて、「将軍」は杉浦茂峰氏への尊称ということです。
そして、この飛虎将軍廟。めちゃくちゃ現役なんです!
終戦から80年経った今でも!
ド迫力の飛虎将軍廟
知人が台湾に行くというので、ぜひ飛虎将軍廟見てきて~とお願いしたところ、訪ねてくれて写真を送ってくれました。
想像していたよりも、立派で大きくて華やかで驚きです。なんて煌びやかな・・・。
いまだにこの迫力で祀られている、杉浦少尉・・・。
まったくさびれていない・・・。
日本の慰霊塔とかお寺よりも、全然現役感。
グッズまで販売されているゾ。
今でも、参拝する人が後を絶たないそうです。村の人が毎日来てくれているのかな。
太平洋戦争中、日本が台湾を統治していた頃、比較的友好的に統治したと言われているけれど、台湾の人に対して、天皇を敬えとか日本語学べとか、神社に参拝しろとか、独立運動弾圧とか、やはり影の部分もたくさんあったと思うのです。
それでも、そして終戦後80年経っても、杉浦少尉のことを忘れないで、これだけド派手に神様として祀ってくれているとは。台湾の人達に感謝です。
台湾沖航空戦
杉浦さんが戦死してしまった台湾沖航空戦。杉浦さんだけではありません。台湾沖航空戦では312機もの日本の航空機が失われいます。日本海軍だけでなく、日本陸軍の航空隊も参加したのですが、ものすごい数の搭乗員が失われてしまいました。
台湾沖航空戦は太平洋戦争における世紀の航空戦・・・になるはずだったけれども・・・実際には世紀の戦果誤報になっております。
マリアナ沖海戦で大敗した日本海軍。特に貴重な航空隊戦力を一挙に失い、航空機数においても搭乗員数においても、そして搭乗員の練度においても、すべてが弱体化。
マリアナ沖海戦に勝利した後、アメリカ軍はフィリピンを攻めて、日本への石油輸送を不可能にし、いよいよ日本本国を攻めるぞと勢いを増しています。その前に、台湾にあった日本軍の基地を攻撃し残存航空勢力を破壊して制空権(それはほとんどイコール制海権となる)を確保しておこうとアメリカ軍は思うわけです。それで台湾沖航空戦が勃発です。
昭和19年10月12日から16日にかけて、アメリカ軍は1400機近い航空機を持って台湾に大空襲。日本軍は海軍と陸軍と協力して航空隊を結成し迎え撃ちます。零戦だけでなく、爆撃機「銀河」、や艦攻機「天山」、陸軍爆撃機の「飛龍」も参戦。でも、たくさん集めたといっても300機程度で、アメリカ軍の航空機の数には全く及びません。
結果として、日本側は312機もの航空機を失うことになります。なのに、台湾沖にいたアメリカ軍の艦隊には大した損害を与えることができませんでした。
大敗です。
しかし。
日本側は、なぜか台湾沖航空戦が大成功し、アメリカの空母をたくさん沈めたと勘違いします。
「空母19隻、戦艦4隻、巡洋艦7隻、(駆逐艦、巡洋艦を含む)艦種不明15隻撃沈・撃破」という大成果を挙げたと、大本営海軍部は発表しました。もし、これが本当なら、アメリカの機動部隊はほぼ壊滅したことなります。日本人は大喜びして、大きな犠牲を払ったけれどもやっと戦局をひっくり返すことができたと感涙しバンザイです。
ところが。
これはまったく嘘の内容。アメリカの空母は沈められていません。
太平洋戦争中、大本営が発表した中でも、この台湾沖航空戦の戦果は、超ド級の誤報でした。
まったくの嘘といっても過言ではないくらいの発表だったのです。
なぜ、こんなことが起きてしまったのか?
まあ、大本営はミッドウェー海戦の頃から、負けはオブラートに包み勝利はモリモリで発表するようになっていきましたが。
台湾沖航空戦の成果誤認については、大本営海軍部が嘘をついて戦果モリモリにしようとしたというよりも、現場からの報告を受けて発表したものだったらしいです。
あれ?なんか盛ってない?と内心では疑っても、大本営からすると、懸命に戦っている現場からの報告を疑うなんてできない・・・間違いじゃないか?なんて問いただせない・・・と思ったらしいです。
では、現場の司令部ではなぜ戦果をこれほど誤認したかというと、搭乗員達の報告を積みあげていったらこうなったということで。搭乗員達の報告はなぜモリモリになったかというと、以前から戦果過大に報告する傾向があったし、夜戦の時は戦果がわかりにくいので火柱や爆発をみて空母を沈めた!と思って報告したらしい。
そして、戦果を正確に検証して確認する余裕も機能は司令部にはなかった・・・。
それに。
人間、困った状態になると、信じたいものを信じ、見たいものを見るようになるものです・・・。
現代を生きる私達も、このことをよーく胸に刻んでおいたほうがいいと思うのです。
苦しい時、追い詰められた時こそ、ファクト、事実をしっかり把握することが大事だと。
ただでさえ弱体化していた日本海軍の航空戦力は、台湾沖航空戦で更に弱体化。
レイテ海戦で使える航空機がほとんどなくなります。
この時点で、日本海軍の命運は尽きていたといえるので、この時点で終戦、降伏に向かって動けなかったのかなあ・・・と、思ってしまいます。まあ、今から思えばそう言えるってことなのかもしれませんけれど。
杉浦峰峰少尉についての本
菅野茂著『君と共に空へ飛ぶ』(サイゾー)

これはフィクションですが、杉浦さんを主人公にした物語です。
林百貨店という台湾のデパートで、エレベーターガールをしている京子(という日本名の台湾人女性)と恋に落ちる話が主軸になっています。
二人の恋物語を主軸にしていますが、日本支配の頃の台湾の人々の暮らし、日本の特高の横暴、台湾人の少年たちも日本人として、中には特攻パイロットとして戦ったことなど、台湾の歴史に詳しい著者ならではのストーリーも盛り込まれていて読み応えがあります。
杉浦茂峰さんがすごく爽やかに、そして凛々しく、でも恋には奥手に描かれています。本当にこういう青年だったのかもしれませんね。二十歳で人生を終える杉浦さんが、小説のように少しでも心安らぐ時間を持てたなら・・・と願わないではいられません。
一方、台湾の京子さんは、当時の日本人女性の平均的イメージからすればかなり異なり、すごく元気いっぱい、活動的で積極的です。なんだかとてもかわいい二人でした。
杉浦さんは台湾沖航空戦で戦死してしまうので、ハッピーエンドというわけにはいきませんが。
杉浦さんの最後の言葉が、京子さんへ届いていることを願いたくなります。



