キラキラ光の道キラキラ
旧名鉄美濃駅から  上京した時を思い出しながら 改札口を 通り…
あの日 カメラのシャッターを押したお父様の心情を感じながら  🛤️ホームへと向かって行く・・・
小雨が降る中で 行われた メーキング映像の彼の姿が
私の脳裏で ルンルンうずまき音符グルグル回り続けています

テイクアウトライブが配信されてから 
  ヘッドフォンリピートで 何十回  溝が擦りきれるぐらい レコードじゃないか)聴いてるから   カラオケカラオケで 唄えるかも~
 Ayaneちゃん 『🎹 演奏  お手伝いさせて欲しい』』 なんて 優しいね~

音符 幾重の時を    駆け抜けながら
列車がここに   帰って来るように
あの日と同じ    ホームに立って
この街を出た    朝の僕を見てる
昨年  5月12日
歌碑の除幕式では  歌碑にもたれ掛かり あの日を思い出してた彼の姿が 忘れられません


挨拶では  言葉につまり
私たちも もらい泣きしたよねぇ💧

音符揺れる想いを乗せて  
動き出す窓の向こう側
何かを伝えようと 駆け寄り
手を振る影が
カーブの先に消えてゆく
⬆️ この歌詞が 切なくてたまらない

1969年?  5月 3日
夢を乗せた列車は 動き出し
故郷を離れて上京する息子に
お父様は  何を伝えたかったのか
(だめだったら  いつでも帰って来いよ)

その光景が 目に浮かんで 涙が止まらない

音符涙拭いた数だけ 変わる明日の方へ
夢のレールを敷き詰めた  あて無き道
明るい未来を夢見て 故郷を離れて行く彼
夢は  そう簡単には叶わなかった
月に一度の父との再会
『もうダメだよ  一緒に帰りたいよ』 とは 言えないまま 月日が経ち
あの時  お父様が 『一緒に帰るか!』と言っていたら  今の彼は 故郷で カラオケ喫茶のマスターだったかも・・・
音符一人走り続けた  笑顔なくさない様に
戻れない空が   恋しい日は 
思い出すあの声を  どこまでも   遠く

彼が入院した時、 お父様からの言葉
『どんなことがあっても  お前の味方だよ』
その言葉があったから  今まで頑張って来れたんだよね
二本のレール      一本は お父様
今まで走って来れたのは  その一本のレールがあったからなんだよね


原点とも言える  この場所
両親との思いが 詰まった写真
この写真がなかったら  光の道の曲は 生まれてないよね

何年か前の番組《ファミリーヒストリー》見ていなければ  ご両親の深い絆はわからなかった
無言で地下鉄に去って行ったお父様
その時の手紙が あとになって 出てきて…  気づかないふりをしてたお父様の優しさが あったから 今の彼がある

私たちファンも 
お父様に感謝ですね
光の道の歌詞は あの時の写真が すべてを語ってるようで・・・
上京する時に お父様が撮られた写真 
50年経った今  キラキラ光の道キラキラになって  輝いていますよ  

明日  5月 10日は  お父様の命日
(私の記憶が正しければ) 
故郷のお父様へ 新曲のお礼参りに行けますように

20代の頃  美濃のお家にお邪魔させてもらった時、不在者投票に行くからと 駅まで送ってもらいましたね
私たちファンを 大切にして下さったお父様に  感謝しています

そして 明日は 母の日
面会に行って DMV効果の新曲を 聞かせてあげれますように~

    キラキラあ  り  が  と  う キラキラ


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テイクアウトライブ  夕飯を作りながら イヤホンして  20回は リピートしたかな~
お昼寝から起きて来た3才のSちゃんが
『おばあちゃん なんで泣いてるの??』 
『あっ!  玉ねぎ切ってたから 涙が出ちゃった〰️ ガーン』って ごまかした
(ピーマンの肉詰めにしてて よかった)
DMVの隠し味を 少々
美味しくなぁれ~

3才4ヶ月のSちゃんは  この頃  大人びた会話をするようになって
花柄マスクの GOROさんの写真を 見せて 『これ誰?
って聞くと
『知ってる   ごろうさんでしょ!』 
『ごろうさん だ~いスキ!
私が 『ごろうさん 喜ぶわぁ』って言うと
『よろこぶのは  おばあちゃんでしょ!』 だって~~ 
3才児に 心 読まれていたとは・・・えー

テイクアウトライブ
Amazonでよく買い物をする息子に 注文してもらい  代金払おうとしたら
母の日プレゼントに しとくわ~って
      あ  り  が  と