久しぶりに若竹ちゃんから
連絡が来て話しを聞いていたら
自分の中からある想いがずっと
浮かび続けてきました。

それは、心の明かり(灯り)。
10年前インドで私を導いてくれた
おじいさんグルジ(師)の言葉。

「たった1人の人間の心に明かりが
灯れば、その明かりに人が集まり
また別の誰かに灯るだろう」

初めて聞いた時はただの言葉でした。
でも、この言葉は不思議なくらい
私の中にしっかりと深く刻まれました。
分からないながらも
ローソク🕯の火が自分の心の奥に
いつも灯っている様なイメージを持ち
この火を大切に想うようになりました。

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おじいさんグルジとの出会いから、
今という瞬間を大切にするように
なりました。 
おじいさんグルジと私の出会いは
たったの1度しかありませんでした。
何故ならおじいさんグルジは
自身の死ぬ時期も知っていたのです。
私に与えられた出会いの機会は
その時だけでした。
そしてそれを私はインドの地で
グルジとの別れの時に知りました。
あまりに衝撃で受け入れることも
否定することも出来ないままに
帰国しましたが、
おじいさんグルジは話された通りに
間もなく亡くなられました。

もしも私が、「いつか、、、行く」
という選択をした時には
私が経験することは決して出来ない
存在していない世界だったのです。

そのたった1度の
出会いと別れの経験から
自分の人生の真実をよく見て考え
自分が本当に感じていること
本当に望んでいることを大切にし
人生の選択を繰り返しました。
必要な時には辛抱もしました。
それは、まさに自分との対話の
繰り返しでありました。
自分自身との会話は
上手く行くこともあれば、
上手く行かないこともありました。

自分の気持ちに素直になると
常識の考えから外れることもあり
その選択をする時には
新たな勇気も必要でした。
それでも正直に向き合ってみました。

私が心の底からした選択は
良いとか悪いとかとは別に、
新しく私の人生を彩り始めました。
イメージした心の明かりは
温かさ(熱)を感じる様になり
私自身を癒し始めました。

グルジ(師)の持つ明かり(灯り)は
私の人生を照らし温めてくれました。
それは生きる智慧でもあり
私の無知への明かりでした。
この表現が好きでは無い方も
いらっしゃるかもしれませんが、
愛そのものでした。

この灯りを若竹ちゃんの中に
見ることが出来ました。
若竹ちゃんは豊かという言葉で
今の自分を表現をしていましたが、
心に明かりが灯っている
若竹ちゃんの表現は
豊かさに溢れていました。

明かりは本当に
灯され続けるんだね。

若竹ちゃんは
何度も何度も自分の人生の課題に
ぶつかりながらも必死で
自分自身と会話を繰り返し
時に成功し時に失敗しながらも
自分自身の力で最後は
その心に明かりを灯したのです。

ラーマリンガスワミ寺院の
絶やされることなく続く
ランプの明かりも、
食事の為の火も、
ラーマリンガスワミ
そのものなんでしょうね。
だからこそ、ラーマリンガ寺院で
100年以上も絶やされることなく
守られてきたカマドの
その火で作られた食事を食べた時
自然と涙が溢れて来たのだと思います。

若竹ちゃんとの会話が引き金で
こんな風に想いを馳せていました。

明かり(灯り)はある。

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