「シンデレラなんかになりたくない」という曲が大好きです。
これは藤子・F・不二雄原作のアニメ「チンプイ」のEDテーマでして、私はチンプイが大好きだったんですがOPの事はほぼ覚えていないけどEDの方はとても印象深いんです。
私は林原さんのベストアルバムで持ってるけど、あとは懐かしのアニソンオムニバスとかで買えるかな。単独のCDシングルは見つからなかったなー。
「シンデレラなんかになりたくない」って結構飛ばしてるタイトルだよね、歌詞の内容も。所謂「ガールズエンパワーメント」というやつだと思います。
何かしらんけど異星の王子の婚約者候補に選ばれてしまって宇宙人が来て大騒動・少騒動…という作品内容にぴったりだけど、擬えてる程度のぴったり具合なのでオシャレです。(ぴったり過ぎる場合『マール星のお妃なんかになりたくない』とかになってしまう…ダサ…※筆者に作詞の能力無し)
もうね、歌い出しが良い。
ネズミがパイロットになっても
カボチャがロケットになっても
ダンスパーティーに行くつもりないわ
シンデレラではネズミが馬車の馭者になりますがチンプイではチンプイがネズミ型の宇宙人、このダブルミーイングというか例えに痺れる憧れるゥっ!!
軽快な「ネズミが…」の歌い出しと「ダンスパーティーに…」のしっとり感の差が良いです!一曲の中での緩急の付け方がホント素敵。起伏に富んでいて、まるでクルクルと表情が変わるエリちゃんの様です。この後のちっともハートにピッタリこないのポップさと私だけの…の包み込まれるような歌い方も、同様に痺れます。
満を持しての
シンデレラなんかに なりたくない
自分で歩いていくわ
シンデレラなんかに なりたくない
裸足で歩いていたいから
はーかっこいい!
「シン・デレラ・なんかに・な・りたく・ない」という一言一言を強調する様な歌い方が強い意志を感じさせるわぁ〜!ここからハモリも入ります。
「裸足で歩いて いたいからぁーああーああ〜〜♪」という伸び伸びとした声がガラスの靴=押し付けられた役割や幸せからの開放感を感じます。先程クルクルと表情が変わると表現したエリちゃん、映像では最初から結構表情抑え目で微笑み程度の絵が多くて、そのギャップも凄く素敵なの!!
今だったら「シンデレラも良いけど私は違うな。でも人それぞれだよね!」という価値観の表明の仕方になるだろうし、「シンデレラ「なんか」とか言って他を下げて自分の考え方を上げようとするなんてダメでしょ」という幻聴も…感じる…。しかしこの時代はまだ「シンデレラになる=素敵な殿方に選ばれて結婚をするのが最上の幸せ」とされている時代だったので「シンデレラなんかになりたくない」とバシっと言い切るのがカッチョイイんです。
2番に出てくる
心の中変えること できないの
というのもまた良いんです。Tシャツがドレスになっても言葉が魔法になっても、自分の心が乗らないと意味がない。能動的に自分だけの夢を掴みに行かないと人生が煌めかないの。という気持ち、大切に、そして実践していきたい…。
だってあの子が 好きだから
内気君とうまく行くと良いよね!
でも自分の意思でルルロフ殿下を選んだならそれはそれで良い。シンデレラになるのもならないのも、強制や無し崩しや話の都合上ではなく自分で選びたいよね!
おしまい