(20)
高3の冬、数人で映画を観た帰りだったけど
有楽町からそのまま丸の内に出た時に
一人がオフィス街を指してこう言った。
「4年後には俺達きっとこの中のどっかにいるんだぜ。」
冗談じゃねえと思った。
なんで365日一日中箱ん中に閉じ込められなきゃいけないんだ?
いくら数学が好きでも一日中金勘定はゴメンだ。
そんな目的で勉強してるつもりはないぞ。
どんなに給料が良くても嫌だ。
天気のいい昼間は外を走ってジムにも空いている時間帯に行くぜ。
やっぱ住み込み店員の方が俺にはいいかもしれないな。
当時も今も出世の欲はゼロ。
高校大学時代は、江戸時代の浪人のような生活に憧れていた。
長屋に住んで、部屋は本に囲まれていて
適当に働いて…
長屋の前は子供達が走り回って
それを眺めながら七輪でサンマを焼く…!
昼に家の前で筋トレしたり巻き藁を突いて
夜は読書三昧
そんな生活に憧れた。
貧乏でいい、いや貧乏の方がいいと思っていた。
江戸時代の浪人やクワイチャン・ケインのような生き方をしてみたいと思っていた。
会社勤めは嫌だから、一応教員免許は取っておくつもりだった。
色々な講座を選択してると、ついでって感じで資格が取れたからだ。
特に教員志望でもなく、なるとしたら定時制高校の教師になりたかった。
しかし、そんな考えだったから、普通に塾で教えるようになったわけだ。
もっと適当に働くつもりだったたのに
学生バイトが済んだら別の仕事をするつもりだったのに
自分でも呆れるくらい働いた。
有楽町からそのまま丸の内に出た時に
一人がオフィス街を指してこう言った。
「4年後には俺達きっとこの中のどっかにいるんだぜ。」
冗談じゃねえと思った。
なんで365日一日中箱ん中に閉じ込められなきゃいけないんだ?
いくら数学が好きでも一日中金勘定はゴメンだ。
そんな目的で勉強してるつもりはないぞ。
どんなに給料が良くても嫌だ。
天気のいい昼間は外を走ってジムにも空いている時間帯に行くぜ。
やっぱ住み込み店員の方が俺にはいいかもしれないな。
当時も今も出世の欲はゼロ。
高校大学時代は、江戸時代の浪人のような生活に憧れていた。
長屋に住んで、部屋は本に囲まれていて
適当に働いて…
長屋の前は子供達が走り回って
それを眺めながら七輪でサンマを焼く…!
昼に家の前で筋トレしたり巻き藁を突いて
夜は読書三昧
そんな生活に憧れた。
貧乏でいい、いや貧乏の方がいいと思っていた。
江戸時代の浪人やクワイチャン・ケインのような生き方をしてみたいと思っていた。
会社勤めは嫌だから、一応教員免許は取っておくつもりだった。
色々な講座を選択してると、ついでって感じで資格が取れたからだ。
特に教員志望でもなく、なるとしたら定時制高校の教師になりたかった。
しかし、そんな考えだったから、普通に塾で教えるようになったわけだ。
もっと適当に働くつもりだったたのに
学生バイトが済んだら別の仕事をするつもりだったのに
自分でも呆れるくらい働いた。
(19)
昭和48年のオイルショックで受験戦争が激化し始め
世間の多くの親達が、我が子を塾に入れるようになった。
俺は小4生だった。
3年生までの俺の答案は0点だらけだったけど
お産で虫の居所が悪かった担任が
俺の答案を貼りだした。
笑われたり言いふらされたりで
半ベかいて家に帰り教科書丸写しの繰り返し!
宿題すらしたことない俺に思い浮かべられる勉強ってやつは
これしかなかったが
どういうわけか次のテストから100点の連発だった。
それまで祖父は相撲取り父は自衛官になれと言ってたのに
母が俺も塾に入れた。
地元で一番厳しい塾に入れられて
夜遅くまで残されて大変だったけど、勉強は面白かった。
学校では友達に勉強を教えるようになった。
しかし他人と比較されるのが嫌でたまらなかったんで
社会に出たら絶対この職だけには就かんと決めていた。
だからバイトもする気はなく、専ら土方系を選んでいたくらいだ。
ところがある日、どうしても一日だけ頼むと言われ引き受けたのが
そもそもの始まりになっちまったわけだ。
たまたま卒業したら入るつもりのジムの近くの塾だったからだ。
バイト帰りにジムを覗きに行くつもりでいたわけだ。
軽く引き受けたはずだったが
下町の子供達が思っていた以上に素朴で可愛かった。
俺達の時代とは全く違ってギスギスしてなく
受験戦争のイメージとはかけ離れていた。
それ以上に親御さん方の切なる願いに心を打たれてしまった。
自分が得られなかったものを我が子にはしっかり与えたい
決して一流校とかを目指すわけでなく
平凡でいい、教養は身に付けさせてやりたいと
たった一日バイトの俺に
二十歳そこらのガキだった俺に
先生よろしくお願いしますと何度も頭を下げられて
また来ますと言うしかなかったわけだ。
しかし、まさかそのままそこに就職するとは
その時は思ってもいなかったんだけど。
考えてみれば、そうやって俺は親御さん方に育てられていた。
最近になって、やっとわかったことだ。
世間の多くの親達が、我が子を塾に入れるようになった。
俺は小4生だった。
3年生までの俺の答案は0点だらけだったけど
お産で虫の居所が悪かった担任が
俺の答案を貼りだした。
笑われたり言いふらされたりで
半ベかいて家に帰り教科書丸写しの繰り返し!
宿題すらしたことない俺に思い浮かべられる勉強ってやつは
これしかなかったが
どういうわけか次のテストから100点の連発だった。
それまで祖父は相撲取り父は自衛官になれと言ってたのに
母が俺も塾に入れた。
地元で一番厳しい塾に入れられて
夜遅くまで残されて大変だったけど、勉強は面白かった。
学校では友達に勉強を教えるようになった。
しかし他人と比較されるのが嫌でたまらなかったんで
社会に出たら絶対この職だけには就かんと決めていた。
だからバイトもする気はなく、専ら土方系を選んでいたくらいだ。
ところがある日、どうしても一日だけ頼むと言われ引き受けたのが
そもそもの始まりになっちまったわけだ。
たまたま卒業したら入るつもりのジムの近くの塾だったからだ。
バイト帰りにジムを覗きに行くつもりでいたわけだ。
軽く引き受けたはずだったが
下町の子供達が思っていた以上に素朴で可愛かった。
俺達の時代とは全く違ってギスギスしてなく
受験戦争のイメージとはかけ離れていた。
それ以上に親御さん方の切なる願いに心を打たれてしまった。
自分が得られなかったものを我が子にはしっかり与えたい
決して一流校とかを目指すわけでなく
平凡でいい、教養は身に付けさせてやりたいと
たった一日バイトの俺に
二十歳そこらのガキだった俺に
先生よろしくお願いしますと何度も頭を下げられて
また来ますと言うしかなかったわけだ。
しかし、まさかそのままそこに就職するとは
その時は思ってもいなかったんだけど。
考えてみれば、そうやって俺は親御さん方に育てられていた。
最近になって、やっとわかったことだ。
(18)
幼少時、近所で母親が多忙な家の子供を
うちの母が預かってやり
俺も面倒を看させられていた。
本当に面倒だった!
チビは本当に嫌だった。
しかし高3あたりから、道場の少年部の子供達が可愛いくなってきて
大学生になり難民の子供達を世話するようになった頃は
子供が可愛いくてたまらなくなった。
今思えば俺のこの変わりようは、やっぱ信じられないほど不思議だ。
授業を休むのが勿体なさ過ぎて
就活も殆どしなかったが
友達に誘われ試しに何社か回ってみたけれど
ろくに履歴書に目を通さず即内定
何だよ。
新卒でなくていい、来年再来年でもいいから来てくれと言ってくれた会社もあったほどだ。
今のこのご時世なら本当に有り難い話だったが
当時は身の程知らずにも半ば呆れちまって
帰り道、公園のベンチに座ってボーっとしとったら
俺の目の前に2、3才の女の子がやってきて
滑り台で遊び始めた。
とっても可愛い子で、滑り台を滑り終わる度に俺の顔を見て笑った。
帰りに俺に向かって
「ばばい。」
と言い手を振ったんで
俺もバイバイを返した。
これで一切就活をやめることにした。
バイト先の塾に入り
近くのジムで筋トレするぜ!
卒業するまでは勉強に明け暮れて、そして社会に出たら
青春を取り戻す!
と真面目に考えていた。
他人と全くの正反対!
馬鹿もいいところだ。
うちの母が預かってやり
俺も面倒を看させられていた。
本当に面倒だった!
チビは本当に嫌だった。
しかし高3あたりから、道場の少年部の子供達が可愛いくなってきて
大学生になり難民の子供達を世話するようになった頃は
子供が可愛いくてたまらなくなった。
今思えば俺のこの変わりようは、やっぱ信じられないほど不思議だ。
授業を休むのが勿体なさ過ぎて
就活も殆どしなかったが
友達に誘われ試しに何社か回ってみたけれど
ろくに履歴書に目を通さず即内定
何だよ。
新卒でなくていい、来年再来年でもいいから来てくれと言ってくれた会社もあったほどだ。
今のこのご時世なら本当に有り難い話だったが
当時は身の程知らずにも半ば呆れちまって
帰り道、公園のベンチに座ってボーっとしとったら
俺の目の前に2、3才の女の子がやってきて
滑り台で遊び始めた。
とっても可愛い子で、滑り台を滑り終わる度に俺の顔を見て笑った。
帰りに俺に向かって
「ばばい。」
と言い手を振ったんで
俺もバイバイを返した。
これで一切就活をやめることにした。
バイト先の塾に入り
近くのジムで筋トレするぜ!
卒業するまでは勉強に明け暮れて、そして社会に出たら
青春を取り戻す!
と真面目に考えていた。
他人と全くの正反対!
馬鹿もいいところだ。
(16)
酷え奴の俺は大学生になり学問に勤しんだ。
推薦で苦労なく入れた俺に対して
当時一般受験の入学者は
8割が浪人、年上ばかりだった。
それだけ受験勉強が大変だったから
大学生になったら遊びやサークルに夢中になる人達が多くて
図書館に引きこもっていた俺のような奴は
変人扱いだった。
かえってそれが嬉しかった!
流行りのファッションなど糞食らえ!
足腰の鍛錬を兼ねて下駄履き通学
バイトは土方系にしたんで
上着はドカジャン
ボートハウスのトレーナーとかやらが流行りまくってた時代
浮きまくりもいいところだ!
受験勉強をしてない内部進学者は人一倍お洒落が多かったから
俺が内部進学だと知ると全員驚いた。
俺の見た目の姿からは、とても学校名は思い浮かばなかったはずだ。
俺に近づけない人が多くて
必然的に図書館の席も決まってくるわけだ。
隅の4人がけの枠に
俺
中国人のおばちゃん留学生
当時国立大の大学院生で現在はテレビで大活躍の元官僚大学教授
朝稽古後の臭ぁ~い稽古着を脇に干してたから
周囲はたまったもんじゃねえっ!
そんな俺の隣や向かいの席に平気で座れるのは
暗ぁ~くて変な人達ばっか。
今ではテレビで喋りまくってる大先生も
当時の暗さといったらさ…!
人のこと言えねえか!
弁当は地下4階の資料室で、こっそり…いや堂々と食った。
ここも貴重な資料ばっかで面白かった。
俺以外誰も入ってきやしなかったから
貸し切りみたいなもんだった。
高校時代の同級生は
俺がおかしくなった、いや初めっからおかしいと思ってた。
推薦で苦労なく入れた俺に対して
当時一般受験の入学者は
8割が浪人、年上ばかりだった。
それだけ受験勉強が大変だったから
大学生になったら遊びやサークルに夢中になる人達が多くて
図書館に引きこもっていた俺のような奴は
変人扱いだった。
かえってそれが嬉しかった!
流行りのファッションなど糞食らえ!
足腰の鍛錬を兼ねて下駄履き通学
バイトは土方系にしたんで
上着はドカジャン
ボートハウスのトレーナーとかやらが流行りまくってた時代
浮きまくりもいいところだ!
受験勉強をしてない内部進学者は人一倍お洒落が多かったから
俺が内部進学だと知ると全員驚いた。
俺の見た目の姿からは、とても学校名は思い浮かばなかったはずだ。
俺に近づけない人が多くて
必然的に図書館の席も決まってくるわけだ。
隅の4人がけの枠に
俺
中国人のおばちゃん留学生
当時国立大の大学院生で現在はテレビで大活躍の元官僚大学教授
朝稽古後の臭ぁ~い稽古着を脇に干してたから
周囲はたまったもんじゃねえっ!
そんな俺の隣や向かいの席に平気で座れるのは
暗ぁ~くて変な人達ばっか。

今ではテレビで喋りまくってる大先生も
当時の暗さといったらさ…!
人のこと言えねえか!

弁当は地下4階の資料室で、こっそり…いや堂々と食った。
ここも貴重な資料ばっかで面白かった。
俺以外誰も入ってきやしなかったから
貸し切りみたいなもんだった。
高校時代の同級生は
俺がおかしくなった、いや初めっからおかしいと思ってた。
(15)
進級は何とかできたけど
1学年20クラス近くあるマンモス校だったんで
1年生の仲間とはバラバラになった。
後にA君が学校を出る話を聞いたけど
いつも一緒に帰ったり遊んだりする仲ではなかったんで
ああ残念だね、くらいしか思っていなかった。
あまりここで言うべきことではないが
音楽の教師に嫌われたらしいという話だった。
俺は美術を選択してたから何もわからなかったけど
彼を嫌うということは
ろくな教師じゃねえっ!てわけだ。
あの時何故もっと力になってやれなかったのかと
後悔したのは、ずっと後になってからだ。
最後にわざわざ俺ごときに挨拶に来てくれたというのに
つい素っ気ない態度になってしまった。
本当に申し訳ないことをした。
本当に俺は酷え奴だ!
1学年20クラス近くあるマンモス校だったんで
1年生の仲間とはバラバラになった。
後にA君が学校を出る話を聞いたけど
いつも一緒に帰ったり遊んだりする仲ではなかったんで
ああ残念だね、くらいしか思っていなかった。
あまりここで言うべきことではないが
音楽の教師に嫌われたらしいという話だった。
俺は美術を選択してたから何もわからなかったけど
彼を嫌うということは
ろくな教師じゃねえっ!てわけだ。
あの時何故もっと力になってやれなかったのかと
後悔したのは、ずっと後になってからだ。
最後にわざわざ俺ごときに挨拶に来てくれたというのに
つい素っ気ない態度になってしまった。
本当に申し訳ないことをした。
本当に俺は酷え奴だ!
(14)
いつも稽古着を入れていた上に
大量の本が入るようになったんで
デカいバッグはいつもパンパンで重かった。
図書室に入り浸るようになったのはもちろん
神田に中国の書籍を輸入してる店があったんで
必ずお茶の水で降りた。
向こうの武芸書には大したものは殆どなかったが
立ち読みでも読み込めるようになった。
安い本が入れば買ってたけど
店にはかなりいい迷惑だったはずなのに
亜東書店の奥さんは、よくお茶を出してくれた。
特に夏の暑かった日に出してくれたジャスミン茶は忘れられない。
ジャスミン茶も今では自販機で買えるようになったけど
当時は烏龍茶でさえ珍しい時代に
国内ではとても飲めない中国各地の烏龍茶をいただいた。
今日は広東風とか上海風とか淹れ方や茶葉のことを言われても
一切わかりゃしなかったけど、美味しいお茶ばかりだった。
中華料理にもハマるようになったのも、ここにルーツかあるようだ。
もともと中学時代に大学入試レベルまで英語をスパルタで叩き込まれていたのもあって
独学で中国語も上達し、後に漢文だけは学年1位になれたのも
今にして思えば簡単なことだったかもしれない。
その感謝の気持ちを伝えようと思った頃には…
A君は既に学校にいなかった。
大量の本が入るようになったんで
デカいバッグはいつもパンパンで重かった。
図書室に入り浸るようになったのはもちろん
神田に中国の書籍を輸入してる店があったんで
必ずお茶の水で降りた。
向こうの武芸書には大したものは殆どなかったが
立ち読みでも読み込めるようになった。
安い本が入れば買ってたけど
店にはかなりいい迷惑だったはずなのに
亜東書店の奥さんは、よくお茶を出してくれた。
特に夏の暑かった日に出してくれたジャスミン茶は忘れられない。
ジャスミン茶も今では自販機で買えるようになったけど
当時は烏龍茶でさえ珍しい時代に
国内ではとても飲めない中国各地の烏龍茶をいただいた。
今日は広東風とか上海風とか淹れ方や茶葉のことを言われても
一切わかりゃしなかったけど、美味しいお茶ばかりだった。
中華料理にもハマるようになったのも、ここにルーツかあるようだ。
もともと中学時代に大学入試レベルまで英語をスパルタで叩き込まれていたのもあって
独学で中国語も上達し、後に漢文だけは学年1位になれたのも
今にして思えば簡単なことだったかもしれない。
その感謝の気持ちを伝えようと思った頃には…
A君は既に学校にいなかった。
(13)
図書室の蔵書におったまげ!
近所の市立図書館とは大違い!
質も量もとても普通の学校の図書室とは思えないほどで
ここでも満足できなかったら
隣のキャンパスに大学図書館があったんで
そこも利用させてもらえた。
本当に恵まれていた。
調べたいことは殆ど間に合ってしまった。
当時高くて手に入れられなかった中国語の教材も揃ってたんで
ラジオ講座と合わせれば充分独学できた。
授業はともかく図書室には休み時間に 欠かさず入るようにした。
1年間寝るだけのために通ってたようなものだったから
勿体なさすぎた。
学問に目覚めたのは
この日だった。
一緒に遊んだことは一度もなく
ただ席が隣だっただけの
世話好きの級友と
あの夜出会ったことで
人生が逆方向に変わっちまった。
近所の市立図書館とは大違い!
質も量もとても普通の学校の図書室とは思えないほどで
ここでも満足できなかったら
隣のキャンパスに大学図書館があったんで
そこも利用させてもらえた。
本当に恵まれていた。
調べたいことは殆ど間に合ってしまった。
当時高くて手に入れられなかった中国語の教材も揃ってたんで
ラジオ講座と合わせれば充分独学できた。
授業はともかく図書室には休み時間に 欠かさず入るようにした。
1年間寝るだけのために通ってたようなものだったから
勿体なさすぎた。
学問に目覚めたのは
この日だった。
一緒に遊んだことは一度もなく
ただ席が隣だっただけの
世話好きの級友と
あの夜出会ったことで
人生が逆方向に変わっちまった。
(12)
次の日の休み時間
A君と図書室に入ろうとした時
「え~っおまえ図書室入るのかぁ~っ!?」
K君だった。
成績は俺より少し上で進級の心配はなかったが
「俺は3年間絶対図書室には入らねえっ!」
と何故だかそう決めてた変わったヤツだったが
当然俺なんかも入りゃすねえはずだと思い込んでいたようだ。
帰り道が同じだったんで時々一緒に帰ると
奢ってもらったり
家へ呼んでくれた。
自宅敷地は豪邸に広大な日本庭園!
その中に小さな一軒家が建っていて
そこがK君の部屋!
そこから出前を頼んでくれてご馳走になったりした。
たまには俺も奢るぜと
駅のミルクスタンドで牛乳を2本買って
俺の財布が空になったのを見つけた店のオヤジが
大笑いしやがった!
なぁ~んてことがあったんだ。
北千住の地下だった。
「少しは勉強する気になったか?
」
「学校やめるなんて言うなよ。落第したっていいじゃんか。」
「俺は高校は大丈夫そうだけど、きっと大学ではダブるからさ。」
「2、3年生のあたりをウロウロしてるはずだからさ。」
「追いついてこいよ。その時飲みまくろうぜ。」
今思い出すと何てことない一言一言のはずなのに
妙に嬉しかった。
いつもK君の一言一言には説得力があり
いろいろと勇気づけられたことが多かった。
本当に不思議だ。
彼がいなかったら、やはり中退していたかもしれないと思うと
本当に感謝している。
そのK君…!
今は従業員500人以上を抱える
会社の社長だ!
きっと部下や従業員を上手く使ってるはずだ。
高校生の時から人心掌握に長けていたから
立派な経営者になってるはずだ。
一番大切なものを持っていた御曹司のK君だけど
2年生の時に告りたい子ができて、よく相談に乗ってたが
これだけは毎回必ず言っていた。
「俺もAみたいに生まれてたらこんな苦労しなかったぜ!」
「あんなオットコマエなヤツ今まで見たことねえよな!」
当時は当然「イケメン」とか「美少年」なんて言葉はなかったけど
良家の御曹司が多く
当時でも雑誌モデルをしてたヤツが複数いたくらい
ハンサムが多かった中でも
A君は別格だった。
A君と図書室に入ろうとした時
「え~っおまえ図書室入るのかぁ~っ!?」
K君だった。
成績は俺より少し上で進級の心配はなかったが
「俺は3年間絶対図書室には入らねえっ!」
と何故だかそう決めてた変わったヤツだったが
当然俺なんかも入りゃすねえはずだと思い込んでいたようだ。
帰り道が同じだったんで時々一緒に帰ると
奢ってもらったり
家へ呼んでくれた。
自宅敷地は豪邸に広大な日本庭園!
その中に小さな一軒家が建っていて
そこがK君の部屋!
そこから出前を頼んでくれてご馳走になったりした。
たまには俺も奢るぜと
駅のミルクスタンドで牛乳を2本買って
俺の財布が空になったのを見つけた店のオヤジが
大笑いしやがった!
なぁ~んてことがあったんだ。

北千住の地下だった。
「少しは勉強する気になったか?

「学校やめるなんて言うなよ。落第したっていいじゃんか。」
「俺は高校は大丈夫そうだけど、きっと大学ではダブるからさ。」
「2、3年生のあたりをウロウロしてるはずだからさ。」
「追いついてこいよ。その時飲みまくろうぜ。」
今思い出すと何てことない一言一言のはずなのに
妙に嬉しかった。
いつもK君の一言一言には説得力があり
いろいろと勇気づけられたことが多かった。
本当に不思議だ。
彼がいなかったら、やはり中退していたかもしれないと思うと
本当に感謝している。
そのK君…!
今は従業員500人以上を抱える
会社の社長だ!
きっと部下や従業員を上手く使ってるはずだ。
高校生の時から人心掌握に長けていたから
立派な経営者になってるはずだ。
一番大切なものを持っていた御曹司のK君だけど
2年生の時に告りたい子ができて、よく相談に乗ってたが
これだけは毎回必ず言っていた。
「俺もAみたいに生まれてたらこんな苦労しなかったぜ!」
「あんなオットコマエなヤツ今まで見たことねえよな!」
当時は当然「イケメン」とか「美少年」なんて言葉はなかったけど
良家の御曹司が多く
当時でも雑誌モデルをしてたヤツが複数いたくらい
ハンサムが多かった中でも
A君は別格だった。
(11)
1979年1月
夜10時に高校生が電車に乗ってたら不良扱いされた時代
池袋を出た山手線内に
超イケメン 美少年 貴公子 王子様……!
と
同じお坊っちゃん高校に通ってるはずなのに…!
角刈りに剃り込み入れてた汚い糞ガキ!
その2人が車内にいれば
奇異な目で見られるのは当然だ!
まるで金持ち御子息を拉致したチンピラか
その上に、この馬鹿!
満員電車内で汚いバッグを開けて
周囲の視線も気にかけず
絶対誰にも言うな!と脅かして
功夫着や武芸書を見せびらかし
(地元や浅草新木場では既に有名?の功夫ス〇リー〇の「あれ」っす
)
「実は俺、師範代になったんだ。」
と自慢し始めちまったわけだ。
あ~恥ずかし。
「そうだったんだ。すごいね。」
すごくも何ともないわけだ。
幼少時代から音楽の英才教育を受け
そんじょそこらのプロでは既に適わないところまで到達していた
御曹司に向かってよくいえたもんだ。
修業の年季が違い過ぎるってもんだ。
俺と比べりゃ遥か先!雲の上まで行っていた!
まるで月とスッポン!
いやいやスッポンに失礼だ!
「それで学校やめちゃうんだ。」
「本当にやめるの?」
「せっかくあんなに勉強して入ったのに、もったいないよ。」
「僕なんか小学校からそのまま上がってきたからどれだけ苦労したかはわからないけど…。」
そんなことを延々と語られたんで
本を見せて、これから中国語や漢文を勉強したいと話したら
「図書室使ってる?」
「えっ!?使ったことないの!?」
「なら明日一緒に行こうよ。」
と言ってA君は降りて行った。
もしこの夜の偶然の出会いがなかったとしたら
高校は中退してたかもしれない。
当然今の職には就いていなかっただろう。
夜10時に高校生が電車に乗ってたら不良扱いされた時代
池袋を出た山手線内に
超イケメン 美少年 貴公子 王子様……!
と
同じお坊っちゃん高校に通ってるはずなのに…!
角刈りに剃り込み入れてた汚い糞ガキ!
その2人が車内にいれば
奇異な目で見られるのは当然だ!
まるで金持ち御子息を拉致したチンピラか
その上に、この馬鹿!
満員電車内で汚いバッグを開けて
周囲の視線も気にかけず
絶対誰にも言うな!と脅かして
功夫着や武芸書を見せびらかし
(地元や浅草新木場では既に有名?の功夫ス〇リー〇の「あれ」っす

「実は俺、師範代になったんだ。」
と自慢し始めちまったわけだ。
あ~恥ずかし。
「そうだったんだ。すごいね。」
すごくも何ともないわけだ。
幼少時代から音楽の英才教育を受け
そんじょそこらのプロでは既に適わないところまで到達していた
御曹司に向かってよくいえたもんだ。
修業の年季が違い過ぎるってもんだ。
俺と比べりゃ遥か先!雲の上まで行っていた!
まるで月とスッポン!
いやいやスッポンに失礼だ!
「それで学校やめちゃうんだ。」
「本当にやめるの?」
「せっかくあんなに勉強して入ったのに、もったいないよ。」
「僕なんか小学校からそのまま上がってきたからどれだけ苦労したかはわからないけど…。」
そんなことを延々と語られたんで
本を見せて、これから中国語や漢文を勉強したいと話したら
「図書室使ってる?」
「えっ!?使ったことないの!?」
「なら明日一緒に行こうよ。」
と言ってA君は降りて行った。
もしこの夜の偶然の出会いがなかったとしたら
高校は中退してたかもしれない。
当然今の職には就いていなかっただろう。
(10)
学校帰りに途中下車して他の道場やジムを覗くようになった。
たまたま通りかかった都内のキックボクシングジムを見学すると
スナックのママさんのような女性が一人だけおられて
お茶を出してくれた。
きっと会長の奥様だとは思ったけど
ここを一発で気に入ってしまった。
練習生は少ないようだった上に
昼間が誰もいない完全貸し切り状態なら
思いっ切りサンドバッグ叩けるぜ!と思った途端
さっさと近所に住み込める店を見つけようかと考えてしまった。
今思えば親切な級友たちに恵まれてたのに
当時は単なるボンボにしか見えず、学校にも嫌気がさしていたわけだ。
テメエのことを棚に上げて本当に罰当たりだが
そんな馬鹿だったんで
今もかなり馬鹿だけど
そのジムの雰囲気が新鮮でマジ居心地が良く感じられた。
泥臭い感じが大好きになった。
今の錦糸町のジムみたいだった。
しかし数日後に道場へ行くと…!
老師から師範代の免許を頂いた。
嬉しくないはずはなかった。
勉強そっちのけで稽古を人一倍積み重ねた甲斐があった。
あの時はよくもあんなに単純なことを繰り返し続けたもんだと呆れるほど
足腰を伝統的な鍛錬法で鍛え上げていたのが一番良かったようで
今でもかなり丈夫だから本当に助かっている。
実は現在の俺ネタ…!
「蛇ダンス」
は、この時期に完成していた。
空手では「内範置」とか「鉄騎」と呼ばれる型の中にも出てくるが
騎馬立(中国では馬歩)というしゃがんだ姿勢のまま膝から下だけを90度上に上げて
薙刀や青竜刀による足払いから避ける技を応用したバチ当たり芸だ!
これを完璧に習得するのはけっこう大変で
下半身全体をかなり鍛え上げなければならなかった。
だから一般人は絶対真似しようにもできないわけだ。
だから余計に怪しく見えるわけだ!
そんなわけで、これから道場では
師範が休みの日は代わって指導することになる。
そんなことできっかよ?と思う前に
リングに上がってみたい気持ちの方が強くなっていた。
このまま秘伝の必殺技といっても
多種多様の目潰しに金的蹴り
棒や青竜刀を教える人生でええんか?
俺がやりたいことはこれか?
などと考え込んでいたら
老師から勉強そっちのけなことを叱られた。
せっかく親に私立大学の付属高校に入れてもらえたのに
本すら1冊も読まないとは何事か!?
と中国本土で出版された武芸書を渡された。
国交開始たった数年の頃では普通手に入らない貴重なものだった。
意味不明だったのに何故か不思議と面白そうだった。
親や学校の先生の言うことは、ろくに聞かなかったくせに
老師には絶対服従だった俺は
早速読んでみることにした。
その日の帰り道
夜10時過ぎに電車に乗ろうとしたら
A君とバッタリ!
帰宅ラッシュの山手線内
35年前は高校生がこの時間帯にいるのは珍しかった上に
学ランに超高級コートを羽織った美少年とくれば
そりゃ映えるに決まっとる。
世間でいう坊ちゃん学校だから
当時他では見られなかったバーバリーのコートを着た奴も多かったが
それ以上にオシャレなコートだったのもあって
周囲の大人達より大人に見えた。
厳しい躾で育ったからであろう
満員電車の中で背筋を伸ばして凛々しく立つ姿は
遠くからでも一発で見つけられた。
一人だけ光が当たっているように見えた。
向こうも突然乗ってきた俺に驚いて
「こんなに遅くまで何してたの?」
と当然訊いてきた。
どうやって誤魔化そうかと考えたが
師範代の免許をもらって調子に乗っていたから
「実は俺さ…」
と語り始めてしまった。
たまたま通りかかった都内のキックボクシングジムを見学すると
スナックのママさんのような女性が一人だけおられて
お茶を出してくれた。
きっと会長の奥様だとは思ったけど
ここを一発で気に入ってしまった。
練習生は少ないようだった上に
昼間が誰もいない完全貸し切り状態なら
思いっ切りサンドバッグ叩けるぜ!と思った途端
さっさと近所に住み込める店を見つけようかと考えてしまった。
今思えば親切な級友たちに恵まれてたのに
当時は単なるボンボにしか見えず、学校にも嫌気がさしていたわけだ。
テメエのことを棚に上げて本当に罰当たりだが
そんな馬鹿だったんで
今もかなり馬鹿だけど
そのジムの雰囲気が新鮮でマジ居心地が良く感じられた。
泥臭い感じが大好きになった。
今の錦糸町のジムみたいだった。
しかし数日後に道場へ行くと…!
老師から師範代の免許を頂いた。
嬉しくないはずはなかった。
勉強そっちのけで稽古を人一倍積み重ねた甲斐があった。
あの時はよくもあんなに単純なことを繰り返し続けたもんだと呆れるほど
足腰を伝統的な鍛錬法で鍛え上げていたのが一番良かったようで
今でもかなり丈夫だから本当に助かっている。
実は現在の俺ネタ…!
「蛇ダンス」
は、この時期に完成していた。
空手では「内範置」とか「鉄騎」と呼ばれる型の中にも出てくるが
騎馬立(中国では馬歩)というしゃがんだ姿勢のまま膝から下だけを90度上に上げて
薙刀や青竜刀による足払いから避ける技を応用したバチ当たり芸だ!
これを完璧に習得するのはけっこう大変で
下半身全体をかなり鍛え上げなければならなかった。
だから一般人は絶対真似しようにもできないわけだ。
だから余計に怪しく見えるわけだ!

そんなわけで、これから道場では
師範が休みの日は代わって指導することになる。
そんなことできっかよ?と思う前に
リングに上がってみたい気持ちの方が強くなっていた。
このまま秘伝の必殺技といっても
多種多様の目潰しに金的蹴り
棒や青竜刀を教える人生でええんか?
俺がやりたいことはこれか?
などと考え込んでいたら
老師から勉強そっちのけなことを叱られた。
せっかく親に私立大学の付属高校に入れてもらえたのに
本すら1冊も読まないとは何事か!?
と中国本土で出版された武芸書を渡された。
国交開始たった数年の頃では普通手に入らない貴重なものだった。
意味不明だったのに何故か不思議と面白そうだった。
親や学校の先生の言うことは、ろくに聞かなかったくせに
老師には絶対服従だった俺は
早速読んでみることにした。
その日の帰り道
夜10時過ぎに電車に乗ろうとしたら
A君とバッタリ!
帰宅ラッシュの山手線内
35年前は高校生がこの時間帯にいるのは珍しかった上に
学ランに超高級コートを羽織った美少年とくれば
そりゃ映えるに決まっとる。
世間でいう坊ちゃん学校だから
当時他では見られなかったバーバリーのコートを着た奴も多かったが
それ以上にオシャレなコートだったのもあって
周囲の大人達より大人に見えた。
厳しい躾で育ったからであろう
満員電車の中で背筋を伸ばして凛々しく立つ姿は
遠くからでも一発で見つけられた。
一人だけ光が当たっているように見えた。
向こうも突然乗ってきた俺に驚いて
「こんなに遅くまで何してたの?」
と当然訊いてきた。
どうやって誤魔化そうかと考えたが
師範代の免許をもらって調子に乗っていたから
「実は俺さ…」
と語り始めてしまった。