小さな主題と大きな主題
「小さな主題」とは、コーアクティブ・コーチングでクライアントの方が
セッションに持ってこられる話したいテーマ、課題などを指す。
これはコーチングをする際に普通に取り扱うものだと思う。
が、コーアクティブ・コーチングではそれに加えて
「大きな主題」
というものを想定している。
「クライアントの人生全体を取り扱う」
(「取り扱う」という言葉は個人的には馴染まないのだけど)
これを4つの礎の一つに置きながら、コーチは「小さな主題」に
加え、クライアントの人生の「大きな主題」を見なければいけない、
と言う。
これがなかなか一筋縄ではいかない。
そもそも「大きな主題」とは何なのか?
これはコーチの方で
「ああ、このクライアントの方には目の前の課題を越えて、
こういう課題があって、これを乗り越えたらより良く人生を
生きていけるな、うん・・・」
などと一人ごちることを指しているのでは決してないと思う。
そもそも、コーアクティブ・コーチングでは課題(問題)解決を
目指していない。
じゃ、コーチングで何をやってるのか?という話になってくる。
資格コース(上級コース)に参加して以来、ずっと自分のココロに
あった一つの大きな問いだ。
これがほぐれてきたのは
「大きな主題は言葉にした瞬間に『小さな主題』に変わる」
というリーダーの言葉だった。
「なるほど」
ここで自分が感じたのは、目に見える世界を超えた大きな何か、
のことである。その目に見えないものを追い続けながら、一方で
目に見える世界の目の前の問題もないがしろにしない。これが
コーアクティブ・コーチングで目指している世界なんだな、と
それこそ一人ごちた。
つい最近さらに自分に降りてきた言葉があった。
「そもそも、目に見える世界(小さな主題)に軸足を置くのではなく
目に見えない、でもそこに感じられる何か(大きな主題)にベースを
置いて生きてみたら?」
そうか、コーアクティブ・コーチングでやっていることは
「生命の流れに身を投じること」か・・・。
だからこそ、自分の目の前の世界を味わいながらも「居着き」を
許さず、その流れにそって生きる人生にエンロールしているのだな、と。
そして、この流れに身を投じようとした時に、現在の意識に留まりたがる
意識との差が発生して「グレムリン(サボタージュ)」も生まれるのか。
自分の中でコーアクティブ・コーチングの目指す世界を垣間見た気が
した。
「あなたは絶えず霊的な死と復活を与え続ける。
理性は死の恐怖におびえ、恐れおののく。
しかし、愛は勇敢なり」
メブラーナ・ジャラールッディーン・ルーミー