居着けば死 | Coachability Unfolding

居着けば死

タイトルの言葉は武術などで用いられるもので


「居着く」


とは


「文字通りには、足裏が床にはりついて身動きならない状態」(内田樹)


である。武術ではこれがもちろん致命的な状態なのは容易に想像がつくが、


「『止まる』とは、なにごとによらずあることに意識が固着することである。

 あなたの武芸に関連して言うと、打ち込んでくる刀を見て、それに合わせて

 反撃しようとすると、相手の刀に意識が固着して、自分の動きが相手に

 筒抜けになってしまい、切られてしまう。これを『止まる』というのである。」


と、沢庵禅師は言う。


この「意識の固着」とは


「ココロがあることに囚われて、そこから自由に動くことができない状態」


と言い換えられると思う。これが自分の考える「居着き」である。


そして、自分も含めてだけれど、この「囚われ」が全くない、と言う人は

希少だと思う。逆説的だが、もしとてもこだわりのある人ならば、

「居ついている」と感じるのは容易い。実は難しいのは生きていく中で、

瞬間瞬間に全く意識の拘りや枠組みを持たずに生きるということだ。

何が言いたいかと言うと、要はこの囚われがある限り、人生にある種の

「タイムラグ」が発生するということなのだ。例えば、あることを本当に

やろうと「感じた」瞬間、胸のときめき(またはうずき)が発生する。

ところが、ここでうずきを感じた後に


「どうやろうか?」


などと考えた瞬間にタイムラグが生じる。いや、もっと刹那に


「やろう」


とココロの中でつぶやいただけで、実際に行動に移した時と

自分の気持ちとの時間差は生じる。このことである。


このタイムラグが発生する限り、人生の


「今、ココ」


に生きているとは言い難い。今を生きていない、すなわち


「居着けば死」


というのは武術だけの世界ではないのだ。ココロの世界においても

一瞬の居着きは「その瞬間の生」から遠ざける。


コーチングでは、その「居着き」を徹底的に排除していく。

クライアントの方が語りたい現状の問題、自分の夢、気持ち・・・。

そのどれもが語ること自体に意味があるのではなく、最後には


「で、どうしたいの?」


とこの世のその瞬間に生きることに立ち返るからだ。決して

その場に意識を固着させない。その感じたもの、考えたことを

持って、その先の人生にその人がどう向き合って進んでいくかに

関わっていく。


で、、、


自分はどうしたいのだろう?


無限ループが始まる。