海辺の散歩でいつも見かける碇
どんな船のものだったのかドッシリしてます
碇 いかりと海を眺め連想しました
能 碇潜<いかりかずき>
平知盛の最期は碇も担ぎます
船弁慶も義経に悪霊となり襲いかかる
歌舞伎の大物屋の段では知盛は船主となり
義経と対峙するなどあっと驚く手法
〜見るべき程の事は見つ。今は自害せん〜
身に鎧ニ領着て、壇之浦の水底深く入り給う
平家物語からは様々な作品が生れており
知盛最期のくだりは日本人の琴線にふれ
滅びの美学か哀感を誘っています
子午線の祀り 1979年の初演を2度観劇
山本安英、宇野重吉、滝沢修、嵐圭史などが
演じており群読の表現が斬新で印象的でした
リーディングドラマでカット無しでは
4時間に及ぶ大作で足腰が疲れた想い出!
知盛役の萬斎演出ではコロナバージョン
群読の工夫や配役カットの新演出で時短!
かえって知盛の遺した文言が際立ち
地表から天頂に延びてすっくと立っている〜
子午線は壮大なレクイエムの叙事詩で
自己と向き合うひと時になりました
自然や歴史の必然や非情さにもがく人間の
果てしない闘いや生死を考えさせられた
より今日的な課題に想えました
櫻木の立姿が好みですが咲き染めています
この時節に使いたい大切な棗あり
取り合わせは見立て盆略点前
夜桜棗 黒漆で櫻ひとひら散らし
よく目を凝らさないとみえないかも〜
如月28日は利休忌
自刃した利休居士の遺偈も見事ですね
〜人生七十 中略 一太刀今時ぞ天に抛つ〜
いつも想い起こさせます
平家の命運を覚悟した新中納言知盛も
利休も〜過去現在未来を見据えていたと
その潔さを自己流に感じています