早朝の勤行で目覚め、快晴の高野山でした
奥の院への道すがら、外国人のカップルぐらいで静かな朝です
ここ「刈萱堂」は、小さな御堂ですが刈萱道心の庵
道心とその子石動丸の逸話が、押絵で描かれていました
道心は妻と愛妾の争いに無常を感じ出奔、長じて息子が
父親さがしに高野山へ
しかし父だと名乗ることなく、何十年も子弟として過ごす話
能の「刈萱」は廃曲になっていますが、とても日本人好みの
人情噺だと想いますがどうしてでしょう
健気な石動丸みたいな小さなお地蔵守りを買いました
でももとはと言えば、道心の二心の身勝手から
起こったことーなどと沸々考えながら一の橋へ
奥の院への参道は深い杉木立のなかに供養塔が延々とー
徳川家のは立派な石門がある墓標! 名立たる大名家のも
沢山あります,歴史の勉強をしている感じ!
近年発掘された織田信長の墓! とにかく石田三成もあるし
敵も味方も合祀されている不思議な霊場でした
これは観世家 とても苔むしていました!
こんなに丹念にお墓参りというか見て回ったことありませんね 笑
中の橋をすぎ、奥の院弘法大師入定の聖域に入ります
仕度僧が大師に食事を運ぶのに出会いました!
「維那」ゆいなと言うそうです
835年、3,21日 入滅 それ以来生けるごとく
毎日衣食を整えている! 不思議なことのようですが
この霊地にいるとそうでもないー
「有難や 高野の山の岩陰に
大師はいまだ 在しますなる」 と
ご詠歌にあるとおりなのですね
奥の院での修道は、まず大師さまのお食事を作ることだと
話していました
御廟でお線香を手向けましたが、若い僧門者が朗々とお経をあげていました
なにか清々しい気持とある安堵感を感じたのも稀有なることでした
弘法大師「南無大師道照金剛」 真言密教の教義は
簡単に解ることではありませんが、四国お遍路をはじめ
いまも慕われているお大師さん!
愛弟子を亡くしたさいの「哀しい哉ーーーー」また、重ねてとつづき
哀しみのなかの哀しみなりと素直に吐露している遺文に
等身大の人間像を感じます
能筆家の文人としての大師も心惹かれますし、もっと根本の大日如来や
密教について学びたいとおもうよい旅になりました