本家,河津の櫻は満開というニュース、数年前にその満開の櫻に出逢いました
海までの河口に沿って櫻のトンネル、櫻ビールなど賞味しながら散策しましたね
ご町内の櫻も昨日の冷たい雨にもめげず今朝も咲き誇っています!
三寒四温をくりかえしながら、春は近づいていることが実感できますね
久しぶりに本屋へ、いま話題のトマ・ピケティの「21世紀の資本論」のコーナー
このところ盛んにメディアに取り上げられ、経済オンチでも
なにか分かったような気がするのが怖いですね
確かにダイジェスト版もありました
21世紀はますます格差が広がり、格差の固定化が進むとー
世襲資産をもつ者がより豊かになり、富は分配されない世界にー
HSBCの例をみても、お金持ちはあらゆる手段で富の蓄積を
目指すものらしいー
21世紀をそう長くは辿れそうもない者にとっては
「ごまめの歯ぎしり」の感あり あーあー
昔あったは身分の格差、すこし乱暴な展開ですがー
「綾鼓」 観世流では600年ぶりの復曲
若い女御に恋した庭履きの老人、綾を張った鼓が鳴ったら
もう一度姿をみせましょうと言う女御
しかし打てども打てども音の鳴らない鼓!女御の姿を
見ること叶わじと、池で自死ー
悪霊となり女御を激しく責めたて打ち据え、恨みを
残したまま悪蛇となり水底へー
「恋重荷」と同じような設定ですが、最後は守り神となる
重荷の老人と異なり、恋の恨みがとてもストレートで救われない!
浅見真州師の節付けがとても現代的で、笛のあしらいなど
心理描写が豊かでした
打てば鳴るはずの小鼓、すこし手習いしましょうとー
「綾鼓」は世阿弥の長男で早世した元雅が演じた記録があるようです
廃曲になったのも理由があるのかもしれません
世阿弥のいう「老いの美」は惨めさや醜さではなく、のびやかに澄み
詩的な透明感ー女の美とともに能の二本柱なのですが
後シテの激しい所作は、エキセントリックで恋する自由は
誰にでもあると訴えているように想えました
このあたりが現代にも通じるストリー性の強い曲になるのでしょう
今風にいえば、お金持ちの女子高生に貧しい老人が懸想してー
なにかロマンが感じられないですね 苦笑
「恨めしの女御やと、恋の淵にぞ入りにける」
現代の感覚で見ると、やはり人間の心の闇を垣間見たようなー
哀しいやり切れなさが残りました