毎回楽しみにしている公演、囃子の笛方の主催で
工夫を凝らした演出があり、当代一流の能役者が出演します
舞台に能「鷺」の装束が飾られていました
演能まえなので、撮影可 こういうことも珍しいこと!
白鷺の冠
いまにも飛び立ちそう
とても精緻に造られ
見飽きません
元服まえの少年と還暦すぎた
人に許される舞とされています
金剛宗家の白一色の装束
大口風の袴に、水草が
さーと描かれ、水墨画のよう
美しいものでした
パンフに珍しい写真が載せてありました
金剛永謹師は小学6年生、笛の藤田六郎兵衛師は4年生
太鼓の前川光長師は5年生
この小学トリオが、半世紀たっての再演!です
演能まえのミニ対談では、幼いころのお稽古のことなど披露されました
芸を継ぐ家に生まれることは、多分ひたすら修練!で才能は付いてくる
ものかもしれません
舞金剛といわれる宗家の舞囃子、素晴らしかった!
鷺の足の運びや所作、紋付袴だけの舞囃子での
その揺るぎない舞姿に感銘しました
笛として鷺乱は難しい習い事でしたが、さらりと美しく
蕭々とした音色でした
彩色の小書がついた能「隅田川」
なんども観ているのですが、毎回心に響きます
人買いや人さらいが多かった中世、さらわれた子を探して
都からはるばる武蔵、下総の隅田川へたどり着いた母の悲劇
まず運ばれる小さな塚
子方は1時間半ちかくも
我が子の行方を探す能は
大抵は再会を果たすのですが
これは悲劇で終わります
狂い笹を手にして、始めは
ワキの渡守と業平の古歌を
引いて気丈に振舞いますが
船中で、去年3月15日に
道端に打つ捨てられ、病で
亡くなった幼き人!
塚に葬られ一年目の大念仏が
今日あるとー
「吾は都、北白河の吉田何某のただひとり子にてーー」と
末期の仔細をきき、我が子、梅若丸と悟る悲嘆
清和師は、その哀しみを凝縮してみせていました
逆縁がいかに耐えがたいものか、本当にそうですねー
作者の元雅と世阿弥が、子方を出すのがよいのか否かに
述べているのが残されています
「して見てよきようにつくべし」と世阿弥は言っています
子方なしの演能も想像力を掻き立てられいいものですが
今回は、塚から子方が現れ、母は幻を追うーが
すり抜けていき、我が子と見たのは塚の上の草だったー
視覚的にも深い悲しみに沈む世界になっています
「南無阿弥陀仏ー」のリフレインは、まるで悲哀のコーラス
玄祥師が地頭の地謡が当代一流の証でした
子方さん、お疲れ様でした!
こういう舞台を体験して鍛えられていくのでしょうね
能の場合は、子方を演者として扱い、媚びないところが
いいといつも思います
「名にし負はば、いざ言問はん都鳥
わが思ふ人はありやなしや」
我が思う子は東路にと渡守とのやりとりや、船中での語りなど
ワキも重い役目、宝生閑師は、お年を召されたけど口説がいいですね
彩色の特殊演出は、イロエとして橋掛かりまで出て一周するところかしらん
はっきりしないので、こんど伺いましょう
狂女として登場する母、その一声は特殊な演奏だと分かりましたが
留めはまるで音取のように、浅茅が原を吹き抜けていました!
これは3月の公演で、行かれなかったのですが
昔、歌右衛門の踊りで観た時は、悲しみの極地を
表現していたように想います
ブリテンの「カーリュー・リヴァー」は、能を本歌とした教会オペラ
聴いたことはありませんが、「南無阿弥陀仏」はレクイエムのように
響くのでしょうか
機会があったら聴きたいですね