折々の言の葉


睦月は「初」という冠をつけること、初詣、初夢にはじまり

初釜、書初め、初荷など、暦をみても初天神、初観音ーーー

やはり一年のはじまりで、新たな気分や決意をあらわす良い言葉!


初湯治?ということで、伊香保へ初旅!

遠く雪山がのぞめてよい気分にさせてもらいました

まだ「初」気分のついたことをあげてみましょう


折々の言の葉


初コンサートに、マーラーの第5番交響曲を聴きました

いま指揮者インバル=都響のマーラーチクリスが評判です


折々の言の葉
折々の言の葉

海に臨む大ホール

パイプオルガンの下の席が

好きで座ることが多いです

金管がおおきく響きますが

指揮者の指揮振りがよーく

眺められます


とても情動的というか

力強い演奏でした


マーラーの交響曲の中でも、5番は秀作といわれており

ウイーン時代の絶頂期の作品、とくに第四楽章の「アダージェット」は

やはり美しかった!

弦だけで演奏されるフレーズは、マーラーの妻となるアルマへの求愛の

モティーフ、耽美的で真摯な甘いささやきの愛の告白!

ビスコンティの映画「ベニスに死す」に使われていて、原作を引き立てていて

印象的でした、映画では音楽家だったかしら

前にゲルギエフとロンドンフィルで聴いたときもとても感動的でした

第一楽章の葬送行進曲は、マーラーの幼年を過ごした寒村の哀歌といわれ

第五楽章の喜びにみちたフィナーレとの対比や複雑な対位法など

聴きごたえのある大曲でした

でも全体を聴くと、なにか自伝的な雰囲気を感じました

マーラー、インバルと「リュッケルトの詩による五つの歌」の
メゾソプラノもユダヤ人、民族の強い絆を想わせる力強さが

ありました

折々の言の葉


その対極にある?「初能会」は、前田家由緒の能舞台!

松、梅、雪笹の松羽目は、初春に相応しい趣です


折々の言の葉


昨年からの世阿弥と信光のシリーズの最終回

「清経」 恋の音取の小書で、待ち遠しかった能でした


折々の言の葉


折々の言の葉

平清経は、重盛の三男

平家一門の滅亡や前途を儚み

入水して果てる平家の公達!

ツレの妻は形見の黒髪が

届けられても手向けかえすほど

その嘆きが深い!

自ら命を絶ったことへの

恨みと哀憐の情は生々しく

悲しみ微睡む妻の枕元に

シテ清経が戦陣の姿で現れる曲趣

世阿弥の代表作と言われています




折々の言の葉


清経は笛の名手で、柳ヶ浦での入水の際にも

舳板にたち、暁の月に横笛を吹きすまし

西の空に入る月とともに水底の藻屑と消えるあたり

無常感に満ちた哀詩の趣で、謡がいいですね

「奈落も同じ泡沫のあはれは誰も變らざりけり」

世阿弥の貫く思想というか、人の運命(さだめ)を

描いているように想いました

多分今若の面だと思いますが、若々しい風貌で

笛吹く哀惜の姿が美しく浮かび上がります

シテは中啓を開いて、笛吹く型をみせていました


この「恋の音取」は笛方の重い習い事、地謡の前に出て

橋掛かりに向かって奏します

清経の横笛は、能管ではないと思いますが、どんな笛だったのか

いつも気になります

清経は、笛の音取に引かれるようにゆっくりと歩みでます

これはシテと笛の微妙な間合いの取り方が眼目

シテは止まっては笛の音を聴きいり、笛の間に一足歩み

かなりの時間をかけて橋掛かりから舞台へー

この長い歩みは、清経の揺れる心のありようを

体現しているように想われ、いつも息をひそめて

聴き入ります


もう50年ちかくまえ、なんの知識もなく初めて能を観たのが

この「恋の音取」 藤田大五郎師の笛の美しさに魅了され

能狂いになったようです  笑

低い筒音は、海底ふかくから響くようでしたね

今回の仙幸師も哀傷にみちた音取でした

折々の言の葉


想えば清経と妻は、少年少女のような夫婦ですもの

自分を残して自害したことに、満たされない想いと

必ず帰ってくるという約束は偽りであったかと恨む心根は

情愛情痴の特殊な情趣を醸し出しています

やはり愛の形の音取と聴こえて、愉しみました


さて信光の「巴園」 中国のおとぎ話風で異色の復活能

観念の能の世阿弥に対して、出来事の能の信光で賑やか

天女の舞、楽、早笛そして舞働と笛の音を堪能できました


眼に耳に、沢山至福のときをもらった「初」の音楽と能舞台!

今年も数は少なくして、心に叶うものに出会えたらいいですね


折々の言の葉