国立能楽堂の企画公演で
震災から一年、復興と文化と
書かれています
満員ではじめて脇正の奥の
コア席すこし舞台が遠いです
演能の前に講演がありました
哲学者の鷲田精一氏で
臨床哲学、倫理学が専門と
書かれています
被災者としての阪神淡路大震災の体験をふまえてのお話でした
今なにより大切なのは、心のケアーそのケアの根本は
その場に一緒にいて時間を共有し、ひたすら聴き手になるー
さまざまなボランティアが活動したなかで、神戸の人達は
見事なほどなにも語らず寄り添っていたとー肉親を故里を
すべてを失った被災者が自己を語り出すまで、時間をあげていた!
見守ることの大切さを痛感しました
フランケルの「夜と霧」のなかで、あの収容所から生還したのは
脱出する希望にかけた人より自分を待っている人はいると思っていた人
のほうが多かったと書かれているそうです
なかなか考えがまとまらないのですが、今回この待っている人とは
風化させないで、被災地に心を寄せている人達ーかしらと!
先生も東北のお酒ばかり飲んでいるとーなんでも出来ることを
細くても長くすることがー当たり前ですが考えさせられました
演能は「砧」 都に出かけたまま3年も戻らぬ夫を一日千秋の思いで
ひたすら待つ妻! 忘却への恨みや恋慕の妄執が主題なのですが
待つ人、待たれている人ー講演内容に結びつけるのは無理かなー
砧の作り物(槌で布地を打ち、柔らかく艶をだすもの)が効果てきです
中国の故事にあるように、都へ届けと打つ所作は健気にみえました
砧は英訳では Fulling Block なんだか風情にかけますね
使用した能面の掲示がありました
前シテは深井(中年の女面) これは図鑑から拝借ー
後シテは泥眼で、夫の不実を恨んで死んだ幽霊の面で
真っ白な装束で、面は青みがかってみえました
ともに河内作! さすが宗家のは貴重な面ですね
よいものを観ることができました
帰路、軽い連想ですが「-日本のどこかに私を
待っている人がいるー}という歌謡曲が
しきりに想いだされましたー