2011年11月11日!やはり吉日なのでしょうか
来年の年賀切手の発売日
すぐ売り切れるときき、氷雨の朝、一番乗りでゲットー
なんだか可愛い龍、相模土鈴「頭竜」と書いてあります
連想ゲームではないのですが、巳はおろち、大蛇ですね
能「道成寺」を先月観たことを想い出しました
般若面 毒蛇と変身した後シテが付けます
歌舞伎舞踊の道成寺物などで案珍、清姫の伝承はよく知られています
春爛漫の道成寺、歌舞伎の舞台では万朶の桜花で華やかな幕開けで
娘踊りのいろいろを愉しむ演目です
文楽では[日高川入相花王」で観たことがありませんが
本歌の能舞台では作り物の紫紺の鐘が運ばれ、鐘後見により
釣り上げられるだけ、これを見つめるのも心憎い演出!
世阿弥のいう「一調二機三声」にも通じ、序破急を感じさせます
白拍子が鐘供養に舞いを舞いたいと現れます
烏帽子を被り「花の外には松ばかり、暮れ初めて鐘や響くらん」と
妖しく暗い謡いだしが何かを予感させます
そして乱拍子を踏むところは見どころのひとつ
今回はシテの鋭い所作(寺の石段を登る姿とも)とにかく小鼓との
息というか気合いの合わせ方が絶妙でした
見所もピーンと緊張し息をのんで見入り、聴きいりました
乱拍子から立て板に水のような速い急の舞、まるで彫像の駒が
滑るように舞い尽くし鐘入り、本当に鐘が落ちたように見えました
寺男の間狂言やワキの住職が道成寺縁起を語るところで
やっと息継ぎができた心地でした
この間にシテは鐘の中で全く一人で装束を変え後シテのおろちに変身
聞くところによると鐘の中はうす明るいとか、ただ正面が分かるように
印をつけるそうです
鐘が上がったとき、鱗の摺箔をかぶり蹲る姿はまるで白蛇のようでした
僧たちの祈りで、最後まで女の執念をもやしながらも日高川の深淵に
飛んで入りにけるとなるわけです
情念のこい能のひとつで終わると、ふぅーと息をしたくなります
当代一級の演者たち、地頭も謡巧者、囃子方も最高でした!
この観能はしばらくの間、残像として頭を離れませんでした
見どころ,為所のおおい能で、若手の卒業演目と言われています
この日のシテが昔披いたときは鐘に横から入ったように思いましたがー
若かったとはいえ、とても危険な所作ですよね
乱拍子の小鼓の エーーーイという気迫の籠った長い掛け声と
ながい空白の時間つまり間を隔てて打つ音
シテはそれに合わせて足先や踵を鋭く動かし、強く足拍子を踏む
エーイ、イアーという掛け声が五臓六腑に響く心地でした
気合いを合わせる極致かもしれません
能の囃子の稽古をしていると、この間の取り方は一番難しいですね
よく空白のを胸中で数えてコミをとるようにと注意されますが
音調や音色の前に、間を習うことが大切だと言われます
能囃子の八拍子も等間隔ではなく、同じ手組でもノリが違うのです
物理的時計的な時間とは違う不思議な時の流れを感じます
こういう感覚を味わいたくて、能楽堂に身を置くのかもしれません
「間合い」は日本人の美意識にもかかわるのものように感じます
またいつかよく考えたいと思います
これは鱗文様の裂地、着物や帯にもよくありますね
古いのにとても斬新な感覚です!