折々の言の葉


シヨン城のつづきはなかなか書けませんでした

本を拾い読みしたくらいでは全体が把握できなかったからです

ですから見たまま感じたままを記すことにします


折々の言の葉


レマン湖の岩礁に築かれた優美な城は古来おおくの詩人や作家など芸術家を

惹きつけてきました

なんとも魅力的な外観ですが、要塞としての山城だったことが地形から見ることができます


折々の言の葉


折々の言の葉アルプスの山々が湖にまっさかさまに落ち込み

このわずかな道を通らなければラテンからゲルマン

フランクの国へ往来出来なかったことがよく分かります


今は城のすぐ近くを鉄道が走り

高速道路が通り多くの観光客が

訪れるスイスの古城として有名です


成り立ちはそう単純でなく、いろいろ疑問だらけー

まず築城は12世紀サヴォア伯で、代々にわたって拡張し

砦、居城、城郭、そして牢獄として使われてきました


折々の言の葉

折々の言の葉

迷路のような渡り廊下など部屋にも木材が沢山使われています

鱗片の屋根が印象的で建物自体の曲線にマッチしています


折々の言の葉



折々の言の葉


折々の言の葉



紋章の部屋など壁絵が残っています折々の言の葉
バスタブとトイレ、なんとも素朴ですね



この地はシャモニーから峠を越えると直ぐです

シャモニーではサヴォア地方という伝統文化に

誇りをもち、特産品のチーズやサラミには

サヴォア家の白十字の赤い旗印をつけていました


サヴォア家の歴史を知ることが重要なのですが

ローマ史にもさかのぼる大仕事です

カエサルのガリヤ戦役の一年目、紀元前58年

アルプス山脈とジュラ山脈の間のヘルヴェティ族を制圧と書かれています

この地にもローマの古道や円形劇場が残っていますし

ローマ人が行き交い、住みついていたようです

カエサルも通過したのでしょうか、なんだか想像がふくらみますね

ガリヤ戦記にまつわるローマ人の物語は、秋の夜長に読みたいものです

カエサルから時代は一気に下りますが、サヴォア家の興亡も面白いものでした


折々の言の葉
その一族はラテン、ケルト、北イタリヤの血筋をひく辺境伯貴族の家系で
ヨーロッパ各地に領地をもち、中世には イタリヤ、フランス、スイスにまたがる国として栄えました

しかし近隣の部族とはたえず戦い、1536年 ベルンのスイス人に征服されいまはスイス領ー

サヴォア家の一族の栄枯盛衰もとてもドラマチック!

1861年統一されたイタリヤ王国の初代王家となりましたが

、第2次大戦後国民投票で共和制になると国外退去となりポルトガルに亡命ー

つい2002年までその子孫はローマへ入ることが許されなかったそうです!

ついこの間のことです、ベルスコーニ首相はなにを恐れたのでしょうね

バイロンの「シヨンの囚人」の詩編のことなど興味はつきませんが

歴史家と違って、素人はいろいろ歴史を想像する愉しみがありますね