折々の言の葉


村の掟  70歳になると棄老されるという言い伝えは各地にあるようだ

人べらしをしなければ生き抜けない貧しい山間の集落

折々の言の葉


年をとることは罪か、年寄は屑か、-」  なにやら刺激的なチラシ

楢山節考の今村監督の子息の天願大介の最近作「デンデラ」を観た

        

棄老された50人の老女!デンデラという共同体をつくり生き延びる

荒唐無稽な後日談のようにみえるが、生きる、生き抜くという意味を考えさせられた。

100歳になるリーダーのメイの怨念は新参者であるカユを変えていく

過酷な日常、熊の襲撃、雪崩などが村への復讐を阻んでいくがー


熊と対峙したカユのラストのセリフが印象的で効いていたと思うどちらがではなく己に克つということなのか、恨みだけとしたらあまりにも哀しい。


話題がかわるがー


折々の言の葉


能「姥捨」  姥捨山は峯平らにして万里までも見渡せる月の名所

老女の執心は捨てられ昔の恨みではなく、昔の秋を取り戻せない

境遇を嘆き淋しいというーこのうかれ心を捉えないといけない曲趣かそけく淡く清く夜遊の袖をひるがえすのもあまりにも堪へぬ心を感じてー そして月の精のように姥捨山そのものになっておわるー

        

        古今集のよみひとしらず  

                  「わが心なぐさめかねつ更科や

                        をばすて山にてる月を見て」


姥を捨てた男の謡歌か能本のように捨てられた姥のとみるかつぎの観能のときはよく味わってみたいとおもう


デンデラはいろんなことを想いおこさせてくれたー