17日、ようやくうがいをすることを許された私だったが、
18日はさらに嬉しいことに、お水を飲んでいいと言われた。
不思議なことに食欲は全くないのだが、それでも4日ぶりに口にしたお水はおいしかった。
ああ、生きてる。そんな気がした。
お水をとってくれた母に「ありがとう」と言うと、母は少し間を置いて、
「あんたは優しい子だね。
こんなときはなんでもしてもらって当然なんだから、「ありがとう」なんていいんだよ。」
と言った。
優しい、と言われるのは嬉しいことだ。
でも、私は本当に、生きているだけで嬉しかったし、
姉や母が看病してくれたり、ヤスの家族が心配してくれたり、それだけで幸せだった。
優しいんじゃないよ、当然じゃない。
そう思ったけれど、うまく言葉にならなかった。
18日はもうひとつ、嬉しいことがあった。
ヤスからメールがきたのだ。
私からの手紙を受け取っているのを見て、ヤスの父が「なにか返事をしてやれ」と言ったのだそうだが、
携帯電話というものの存在自体忘れていたので、
メールというものにも、病院で携帯電話が使えるということにもとても驚いた。
ヤスからの返事は、予想通りの内容だった。
「フユ
手紙ありがとう。
すごくうれしかった。
こんなことになって、本当にごめんね。
なんて謝ったらいいかわからない。
本当に、本当にごめん…。」
全然気にしなくていいのに。
謝らなくていいのに。
ヤスのせいじゃないんだから。
そんな気持ちでいっぱいだった。
けれど、私が彼の立場だったら、やっぱり同じ内容を書いただろう。
きっと、悩むなとか後悔するなと言っても仕方ないのだろう。
どうしたら少しでも彼の気持ちが軽くなるかな?と考えて、私はとても軽い口調で返信した。
「全っ然気にしなくていいよー!
ヤスが悪いんじゃないもん!
私はヤスが悪いなんて本当に1%たりとも思ってないよ。
早く逢いたいね♪」
それから1,2通のメールをやりとりした。
私は右手が使えたから良かったけれど、彼は右腕も左手も骨折している。
1通のメールを打つだけでも結構疲れるのだ、と後から聞いた。
18日の夜は姉が私の部屋で一緒に寝てくれた。
私は夜中も痛みで眠れない状態だったので、
同じ部屋にいたら眠れないよ、疲れちゃうだけだからいいよ、と言ったのだけれど、
彼女は「そんなん気にしなくていいんだよ」と言ってくれた。
夜は苦しくて、永かった。
前日まで使っていた麻酔よりも軽いものになっていたので、
その夜の麻酔は飲み薬のほかには筋肉注射が許可されていた。
肩に刺す筋肉注射の痛みはひどいものだけれど、
身体の痛みはそれよりもっともっとひどいものだった。
歯ぎしりをして痛みをこらえる。
麻酔の注射は6時間以上の間隔を空けなければならない、と言われても、
注射を打ってから1時間もすれば痛みで目が覚めた。
見かねた看護師さんが医師に確認をして、4時間の間隔で注射を打っていいと言ってくれた。
眠れるのは、麻酔が効いてきてから1時間後までの、ほんの数十分だった。
あとは4時間後までひだすらに痛みに耐えた。
夜中に耐えきれず、注射を頼んだ。
その夜の担当は新人の看護師さんで、ゆっくりした人だった。
当然「手際がいい」とはお世辞にも言えず、待っても待っても来てくれない。
痛みに耐える私のそばで、姉は心配そうな顔をしていた。
苦しそうな顔と言ってもいいくらいだ。
注射を頼んで、15分が経過した。
ほかの看護婦さんで10分以上待たされたことはない。
「おそい…」
つい言葉が口から出てしまう。
痛みでイライラする自分がまた嫌だった。
でも、痛かった。
痛くて、何も考えられなかった。