写真は、ミトンという身体拘束に使用する道具です。
経鼻栄養を受けている患者さんが、お鼻のチューブを抜かないために、点滴を抜かないために・・・。
手指の動きを抑制する道具です。
「たかが手袋じゃん」・・・とお思いですよね。
いやいや、たかが手袋には大いなる弊害があります。
〈身体的弊害〉
患者さん自身に起こる弊害です。
関節が拘縮し、筋力も低下します。よって、手の役目を果たせなくなります。
〈精神的弊害〉
人としての尊厳を失い、怒り・不安・屈辱というものを味わいます。
そして、認知症の方々は、問題行動が出現したり、せん妄という意識障害が出てしまったりします。
ご家族も、身内に対して身体拘束を選択した自責の念が出現して精神的弊害が起こります。
また、私たちスタッフも、仕事に対してのプライドを失い士気の低下や、倫理的感受性の低下を招きます。
〈社会的弊害〉
「あそこはすぐに患者さんを縛る」などといったうわさが流れ、社会的な偏見や不信を招きます。
また、患者さんのQOLを低下させて、いらぬ処置や薬剤投与によって社会的経済の無駄遣いといった影響も及びます。
本来はいい事のない手袋なのです。
が・・・
倫理的感受性が低いと、
「これしかない」
軽い気持ちで「だってしょうがないじゃない」と安易に手袋を装着しちゃいます。
そして、そういった行為に抑止をかけると、「口うるさい」「頭が固い」と非難されます。
まあ、そういう人材に育ててしまった、急性期を主流とした病院が純粋な若者の倫理観を損なってきたのですから仕方がない。
治療優先の現場のラインは一つ一つが延命の糸なので、救命が仕事の現場では仕方がない。
しかし、我らの病院は治療ではなく、生活を求めて入院している人が主流なので。
ラインの一つの意味が違う。優先されるべきは、延命よりも、治療よりも、安楽な生活。
自分らしい終末を迎えるための場所。
誰も、弊害あるミトンを装着した終末なんて希望してないですよね。
私は嫌です。
直大切なものを流しているラインなんて一つもない。
基本的には、そんなものは抜けても大騒ぎするものではない。
ただ、事故報告を書くのはストレスだよね。
しかし、自分のストレスと患者さんの天秤をかければ、やっぱり患者さんの方が優先されるべきこと。
患者さんは、かゆかったり、違和感があって異物は抜き去ろうとしますよね。
それを事故に至る前に察知して解決する事が目標。
が、文で書くほど簡単じゃない。なかなか難しいけれど・・・。
私は、
今の病院から極力ミトンを無くしたい。簡単じゃないけれど。
だから、シーラカンスのような人とは戦う。
これが解決しないと、私は音楽ができないよ。
最近、心が硬くなって大好きだった小鼓を触っても何も感じないのである。
何も感じない人と多く付き合っているという事は芸術を愛する人にとっては病原菌如きである。
今は、すっかり感染症にかかった状態である。
シーラカンスに勝たねば・・・
私から音楽が消える。本当に。とんだ病原菌てある。疲れるよ。