呼び出しは救命要請=女性市長、土俵下で「変革を」と主張-大相撲
4日に京都府舞鶴市で開催された大相撲の春巡業で舞鶴市長が倒れた際、土俵上にいた呼び出しが、救命処..........≪続きを読む≫
人命救助で女人禁制の土俵に上がった事と、邪な欲と権力にしか興味のない方々が土俵に上がるという事を一緒にして欲しくないものです。別に、土俵上で女市長が挨拶しようがしまいが人命には関わらない。
人命とは何においても尊いものである。
今や化石となりつつあるナイチンゲールも敵味方なく戦場で敵味方なく看護にあたっていた。それがナイチンゲールの偉業である。
人命においては使命感を持って携わるのが医業者である。
もし私だったら・・・。
私は自分の技術の未熟さを感じるから、危機迫った状態でなければ救命救助に参加しない。
看護師は救命支援があれば掛けつくという道徳義務がある。
しかし、何かあった時に専門職として訴訟につながるケースもある。
プライベートで救命救助の必要な現場に居合わせても、
「私は看護師です」とは名乗り上げて救命救助はしない。
その方に何かがあって、
「あなたは専門職なのになんで助けられなかったのですか?」と専門職であるために責任を問われる場合がある。
このご時世。モンスターは確実におります。
先日も、家族の理解と期待が不一致だったために、臨終を担当した看護師が「人殺し」「お前が殺した」と罵声を浴びせられ、
その担当看護師が一番心に傷を負いましたが、病棟全体も傷を負った事件がつい最近ありました。
まあ、このケースでは、裁判になっても証拠書類が残っているので病院が敗訴になる事はないと思います。しかし、看護師が訴えられた場合・・・、一生懸命に携わっていても、死因によっては「本当はやっていなかったんじゃないの」と見解されてしまう場合があります。
触らぬ仏に祟りなしです。
訴訟に至れば私は負けてしまうので・・・。
仕事以外で「人命を助けなければ」という気持ちにはなりません。
よく飛行機旅行中に産気づいてドクターコールとかありますよね。
看護師も掛けつける道徳義務があります。
でも、知っている限り「ためらわず駆けつける」という人は皆無。
「産科・・・わかんない」ですから。
ようするに、あの土俵に上がった救命救急した女性は、看護師の鏡のような方々です。
救命に携わる時は医師も看護師も性を超越しています。ただ使命感の塊の人間。
それを「女」に認識される事はあってはいけない事なのです。
私は京都の人命救助の話では、
性を超越している医療者が人命救助のために土俵に上がる構わない事で、お清めしたりするのはどうかと思います。
が・・・実際、看護師はばい菌扱いされるケースがあります。
訪問看護をしていた友人から聞いた話。訪問すると、患者さんの寝ている寝室まで新聞が敷いてあって、この新聞の上以外は汚れるので歩かないでください。お荷物はそこの新聞の敷いてあるところにおいてくださいと完全にばい菌扱いするお宅があるとか。吃驚です。が、けっこうその手の話聞きます。
まあ、そんな感じなので、
救助のあとに土俵上に大量の塩をまかれても何も感じないと思います。
使命を果たしたまで。
そういう人がいた現場で倒れて良かったですね。
初期対応が良かったから予後も良いようですね。
私のような「訴訟が怖い」と思って、プライベートでは看護師である事をひた隠しする私のような人ばかりの会場でなくてよかったですね。