何か、今までに経験した事のないくらいに盛り沢山の激しい夜勤。それが明けて、今日は唄のお稽古でした。
やっぱり少しはお昼寝♪でも、お昼の韓流時代劇『大作榮』は見逃したくなかったので一時間ちょっとのお昼寝でした。何か疲れていたので、この一時間ちょっとでガッツリ寝れた。睡眠パターンにはまれば意外とちょっとの時間で疲れは取れるものです。
さて、すっきりしているような、やっぱり眠い様な気分で夕方から唄のお稽古。
先日の合わせ稽古から、譜面を外して唄本でお稽古。
譜面を使っていると、どうしてもひらがなを読んでしまう。ついでに三味線の勘所を示す数字に惑わされる。一日も早く譜面を外したいと思っていた。
うーん、不安一杯だけれど・・・。思い切って唄本を使用。
唄本は唄扇録を自分なりに読みやすく楷書での手書きであ。唄扇録をそのままコピーすれば綺麗なのだけれど、崩した字は見た目カッコいいけれど読めない!そんな欠点がある。
そうそう、他流の唄をお勉強している若いお嬢様。ノートに丸字で歌詞を書いて、そのノートを使用して唄を唄っている。「自分が読める」という事が大切。カッコよさは二の次です。
しかし、こうして自分で歌詞を書くと言う事は、どんな歌詞なんだという事を理解できる。
譜面に横書きでひらがなで羅列されている文化譜は、きちっと「意味を把握しよう」という意志を持ってお稽古しないと、本当に意味のないひらがなの横列にしかない。自分が何を唄っているのかさっぱりである。
ある人が「弁財天の~♪」を、意味も考えずに唄って「便座、移転の~♪」となってしまったという笑い話がある。
文化譜はけっこう唄い手には厳しい楽譜であると私は思う。
確かな情報ではないが、
文化譜を作った四世杵家弥七という方は三味線弾きであったから、三味線のための楽譜として文化譜を作ったのだそうだ。
研精会の譜面はどちらかというと唄い手の視点で作られているのだそうだ。
それが、タテと横との違いという事を人づてに聞いた事がある。
真偽は不明だが、なるほどと思ったことを覚えている。
歌詞がなんと書いてあるか把握する事は大切な事である。だから、自分で歌詞を書いて唄本をつくる事は唄の勉強の第一歩と思っている。
ところで、何と書いてあるか分かっていても、息継ぎを間違えると「何が書いてあるか」を人に伝える事ができない。フムフム
どこで息継ぎをするか。それが唄の勉強で一番大切なんだなぁ。
まだまだ、拍子をとる自体も難しいわたしです。時々、ツーステップしている私がいる。・・・二拍子なのに!お浚い会まで一か月!はたまた『花の友』唄えるようになるだろうか!
代官山にひっそりと祭られている弁天様。
「昭和18年、戦争で東京も空襲を受けるようになり、この地に防空壕を造ろうとしたところ、怪我人が続出。それを心配した当時の町会長が、現耀寺の住職に拝んでもらったところ、昔この辺りにあった、白蛇や動物が住んでいた大きな沼を掘り起こしたための怒りと判り、その魂を鎮めるよう、水の神といわれる弁財天を祭神として建立されたもの」なのだそうです。今では芸能・音楽の神様として祭られているとか。
ただし、ここは祈願するところではなく、これからどうするか決意表明するところなんですって。
フムフム♪そうなんだ。
七月の浴衣浚い頑張ります♪宣言して来ました。
そのためには努力しなきゃね。