欲しい物と必要なものって、意外と別々。。。
欲しいと望めば与えられる。けれど、いまは必要なかったり、逆に今与えられてももてあましてしまったり・・・・。
同じく必要なもの、も必ず手元にやってきます。
これはよきことも悪いことも両方。^^
人が成長するのに、よきことだけでは成長できません。逆に悪いことやピンチを乗り越えるからこそ、成長できる。だから必要なピンチもがっつり与えられる。それがその人に必要なものだから。
漠然と「よくわからないけど、欲しい」って思っていれば、やはり手元にはやってきてくれますが、でも欲しかったケド・・・え・・・でも・・・???
欲しかったけど手元に来てみたら今の自分には全然必要なものではなかったり。
タイミングを間違えたものや、つまり分不相応なものを欲しがると、それはギフトではなく試練になったりしてね。
なのでアファーメーションや願い事は、いついつまでに!いつ頃に!っていうふうに時期を明確にするのも結構大事なのかも。。。^^;
と同時に、本当にそれを自分が欲しいのかどうか、きちんと見極めてから「欲しい!」と願わないと、単なる困難や試練になる、のかもしれません。
でも、それが「その時の自分に必要なもの」なんでしょう。きっと。。。
けれどもっと怖いのが、本人がさして欲しがっていないのに周りの度を過ぎた思いやりというか思い込みによる「お願い事」が、叶ってしまうこと・・・。
本人にはそのとき必要ないのに、「○○ちゃんに○○を与えてあげてください!!」なんてお祈りされて、叶って、でも本人はそのときそれを必要でなく、まさにギフトでなく試練になったり、あらたな問題の種になったりもします。
他人の幸せを願うことは一見よいこと。しかし、度をすぎた感情移入は、まさに「念」となって、その相手の人生を操作することにもなりかねません。
そんなわけなので、他人の幸せを願うときは、漠然と願ったほうがいいのかなぁとも思います。だって、そこまで思ったとしても、その方にはその方のライフサイクルがあって、そのステージで必要なものかどうかは、本人でなければわからないわけですし。
度を過ぎた思いやりも、念になるし、操作になる。この辺は表裏一体なのかもしれません。
必要なものは必要なときに与えられます。
だからもしかするとあえて願わなくても、自分が欲しいものを明確にしておけば大丈夫なんじゃないのかなぁなんて思う、朝の散歩道でのわたしでした。