どんな笑顔でとりつくろっても、やはりココロは表に表れます。
その笑顔が本物なのか偽物なのか。
それはほかならぬ本人が一番よくわかっていることでしょう。
空元気も元気のうちとは言いますが、笑うかどには福来るといいますが。
それらはどちらも思いやりの行為。。。努力の行為。
同じ偽りの笑顔でも、主旨が真逆のベクトルを向いています。似て非なるものです。
自分だけ解っていること、と思っても、残念ながら見る人が見れば、その仮面は破れ露呈しているわけです。仮面の中が透けて見えてることに本人は気づかない・・・。裸の王様みたいなね。
わたしはダンスをしていますが、特にベリーは踊る人の心が透けて見えます。
いや、透けてないな、丸見えモロ見えだと思います。
なので、やはり腹黒かったり、心がねじくれていたりすると、よくわかるのです。。
つまり見ていても、心に響かないというか。
踊りたいから踊ってるのがダンサーではなく、表現をダンスと言うツールで伝えているのがダンサーです。
見てくださる方、つまりお客様がいらっしゃって、はじめてダンサーは「表現」できる。
その「表現」は、やはり黒い心では、人の心に響かせられるものが現せないのです。。。
内面がさらけ出されるくらいの表現でなければ、見ている人を感動させられません。
そしてセラピストは必ず心が手、そしてタッチに現れ、クライアントさんに伝わります。
エステティシャンは別です。
心を介さない手が多いのではないでしょうか。
エステティシャンの手は完全に物理的な「道具」です。
うーん。だからごまかしがきくかもしれませんね。表面上だけ気持ちよい手ですので。。。
そういう意味でもエステとセラピーは全然違います。
セラピストもダンサーも、どちらもなんのごまかしもききません。
自分がどうがんばってとりつくろって、演じて、仮面をかぶっても、とりつくろってるのも、演じてるのも、仮面をかぶっているのも、見る人が見れば、わかってしまうもの。。。
他人に対して壁があれば、相手はその壁に気付きます。
でも壁を作った本人はばれていないと思っている・・・。
でも、素直でいればなにもごまかす必要がないのです。(´ω`*)
素直な心は宝です。
人間だから、言わなくていいことも、さらけ出さなくていいこともあります。
正直になる必要はなく、素直でいればよいだけ。
素直に真摯にいる。
それだけで、人は美しく優しく見えるのではないでしょうか。そしてそういう方は居心地がよく、安心感を与えることが出来る・・・・そして、自然に人に求めてもらえるのではないでしょうか。
作り笑顔でいることが悪い事ではありません。
他人に対して壁を作ることが悪いことではない。
他人を防御することが悪いことなのでもない。
本人がそれで「心地いい」ならそれでいいのだと思います。^^
いい悪いではなく、それが快か不快か、それに尽きると思います。
あとは、そういう自分を自分がどう思うか。かしら。
どれだけ取り繕っても、隠しても、自分だけは知っている・・・。
自分には隠せない。
神様は見てる、ではないですけど。。。
たとえばそういう自分を俯瞰して見たときに、そういう自分がどう映るか。ですね。誰が自分をどう思うかではなく、自分で自分をどう思うか。です。
お天道様に嘘はつけない、とは昔の方はよく言ったものです。