基本的になにか欲しい場合、まぁよほどケタが違う場合は別ですが、値札は見ません。:(。・ω・)ノ゙
18歳免許取立てで○00万の車をすぐに買いましたし、通りすがりのジュエリーショップで見つけたダイヤのクロスのネックレスも値段を見ないで「コレ下さい!」。(笑)・・・○○万円でした。キャー!!
マジメでカタブツ・超堅実なわが両親からはありえない娘の暴挙。^^;
ネックレスはバレませんでしたが、車はさすがに隠して置けませんでしたので、ウチの親は卒倒しそうなほど青ざめておののいていました・・・。
だって、それが欲しかったんだもん。(*-ω-)♪
最近ではさすがに「お金の管理」という面も考慮し、「欲しいけどコレは多分高いネ」「予算オーバーね」という風に、本質的にはかなりつまらない理由で値段を見るようにはしています。^^;
ま、ただ単に「必要でない」だけでしょう。
あとは、その「モノ」と「価格」があっていれば、大抵の「本当に欲しいもの」は手に入れます、というか手に入ります。
つまり、その対象物に適したエネルギー量であるかどうかも重要なのです。
お金はイコール、エネルギーですから。
先日、認定マネの登録料?という名の金額にひっくりかえりそうになったのは、払えない・払いたくないというつまらない理由ではなく、提示された「内容」と「価格」がまったく合致していないため、わたしの中の琴線が触れただけなのです。
「あ、わたし応募する~♪」は簡単でした。
合格すれば入金も喜んでするのでしょう。
これは素晴らしい!と思えば、なにも考えずに早速応募しているんです。
おそらく直感でとっとと動いたことでしょう。
だって、わたしのことだから。Σ('∀`;)
けれど、ともすると、単なる一部の方のごくごくわずかな症例だけが「日本」のものとして世界に発表されたりするわけだなぁと。
それが「わたし」のと仮定する。
まぁ応募して、試験や面接に合格して、なので確かに特別な存在でしょうが、はたしてそれってどうなのだろうか・・・・。と。
わたしはそんなことのために、せっせと施術を重ねて、カルテをこまごまつけてきたわけではありません。
特別な存在でなければ、症例発表なりが出来ないのであれば、それはわたしの意に反するよ、と。
では、シェアリングはせず、自身の研究や知識としてのみ使用すればいいだけのことだな~と。^^ アラ、でもそれってとってももったいないですね。
電話で声を聞けば「元気がないな」と解るように、メールでもそのときの相手の状態がわかります。エネルギーで感じ取れるのです。
つまり、こういったブログなどでも筆者の状態は読み取れるわけです。
ということは、フライヤーなんかの類もそうなんですよ。
全てものには魂が宿るから、ってわけではなく、文面の奥の「意図」「意思」というものは見るものが見ればわかることです。だってエネルギーですから。
話はそれますけれど、ネットの匿名の書き込みの類だって、誰がやらかしてるのか大抵検討ついちゃうもんなんですよ・・・。^^;
というわけで、
コスパというのは、エネルギー対価としてもとても重要なんです。