続きです。^^
人は立体なんですね。
多面体。
平面ではありません。
けれど人が人を見るときに、一部の側面だけ、つまり平面だけを見てとらえてしまうことが多いのです。
相手の全てを理解するのはとうてい不可能です。
なぜなら全てオープンにしてさらけ出している人間なんて居ませんし、誰だって人に見せない部分があって当然ですし、それは悪いことではありません。見せなくていいことってあるし、言わなくっていいこともある。もちろん知る権利もあれば知りたくない権利もあるわけです。
ホラ、例えば男性にだって女友達にだって、全て見せて成功するってことはないじゃないですか。(´m`*)
いい意味での一線は、悪い距離ではなく、「相手への尊厳」というか「相手を認める」という意味で必要です。仲良くなる、近い関係になるというのを、この「距離をとっぱらう」だけのことと勘違いすると、とたんにその関係は破綻に向かうでしょう。親しき仲にも礼儀ありとはまさにこのこと。
人には本人でさえ知らない一面があります。
それをつまりは潜在能力、という言葉で表現しますが。
それだけではなく、こちらからの角度では見れない相手、という部分を理解できない方が多いわけです。
そこで人は苦しむわけです。
「理解してもらえないー」と。「理解できないー。」と。
そして、片や「この人は面白い人だ」と言えば「いやあの人は調子がいい人だ」と言う人も居たりする・・・。
これは人にはいろんな角度がある、というのを双方が表現しているのほかなりません。
見方はひとそれぞれ、捉え方はひとそれぞれ。でも、見ているものは同じ。その存在は、ただそこに在るだけなんですけれど・・・。
相手の全てを理解するのはとうてい不可能、と言いました。
これをなるべく理解しようとする場合、必要なのは冷静な観察眼です。
自分の意見感情交えず、事実を「観察」する。
つまり客観的観察から客観的事実のみを捉えること。
次に必要なのはご本人が言っていることを聞く。聴く。。
これは言葉だけを聴くのではなく、表情・仕草・カラダの声をも含めます。人は何かを伝えるとき言葉だけでは伝えないものです。
言葉はコミュニケーションの最たるものですが、わたしは自分を思うと、「思ってることの1%もきちんと言葉で伝えられていない」と痛感することが多いです。
口下手でうまく話せなかった子供時代の歯がゆい経験を思い出してもそう思います。そこを汲み取ってもらえると、それだけで癒され、嬉しくなった経験。
思えばそれが看護師を目指した理由のひとつでもあり、そこからセラピストに向かった経緯でもあるのだと思います。。人間、思いをうまく伝えられない人がけっこう多いんです。そういう気持ちを可能な限り理解できる人に、なりたかった。。
難しいことではなく、単純にわたしは、ただ「優しい人」になりたかったのだと思います。
客観的観察と、「聴く」ことは、「看る」ことです。そうそう。これナースの技術ですね。
ただこれを普通にしていると「冷たいヤツだ」と烙印を押されることもしばし・・・。^^;
冷静に相手を見るクセはそうそう抜けませんから。(職業病・・・)
客観的観察には、自分の目線はいりません。だから相手を把握しやすい。看てあげられやすい。ここに自分の目線、つまり感情が入ると事実が歪みます。
そこに在るものや人を、ただ見るだけでいいわけなんですが・・・。
これがみなさん難しいみたいですね。^^
見ることが出来たとしても、ジャッジしてしまったりね。
人は立体ですよ。
エゴを含めず相手を見れたら、いつも笑顔で過ごせる人が増えると思うんだけどなぁ。(´ω`*)
特にセラピストさんは、クライアントさんを癒す上で、「看る」という技術を高めていただきたいなぁと思うわけです。
難しいことはありません。その人をありのままを受け入れればいいだけですから。
じゃがいもをはいと差し出されて、そのままじっと見るのではなく、自分の手にとって360度全ての角度からよく見る、って言えばわかりやすいかしら???(笑)
わかりづらいか。(´m`;)