こんにちはヒラPです!

今日は震災の時の軽いエピソードを書きますね。



震災後、しばらく経った後、地域の電力が復旧した日。

停電が明けたと同時に、近所の自販機にダッシュして、

ボタンを連打するお父さんがいました。




おそらく飲料確保のためでしょうね。

給水車は1~2日ごとに来てましたが、並ぶのも運ぶのも面倒でしたからね。

車を使うにも、ガソリンの補給するあてもありませんでしたし。

実際、ご年配の方には「飲料確保」は大変な作業でした。



で、私がたまたま外出時にそのお父さんを見かけたわけですが、

一度 に缶を出しすぎたために、詰まって出せなくなってました。

かがみこんで、一所懸命とりだそうとしているので、私に気づかなかったようす。



別に私は咎める気も責める気もなくて、ああ、よっぽど必要なんだな、と思い

親切心から「手伝いましょうか?」と声を掛けたんですが、驚いたお父さんは

缶そのままで逃げていっちゃいまして。

(買い占めに負い目を感じていた?またはお金を入れなくても

缶が出る状態=泥棒だった?確かめませんでしたが)



あの時は途方にくれましたね。

自分はネコババする気にもならないんで、

取り敢えず落ちている缶を地面に並べて帰りました。

数十分後に見たら無くなってました。



買った本人が持っていったのか

他の誰かが持っていったのか

そうだとすると、買った本人は私がネコババしたと思ったかも?




まあ、そんなどうでもいいエピソードでした。






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蛇足になりますが、あの頃は、

ちょっと非日常になるだけで、人間の心や行動は変わる、

ということをまざまざと見せつけられた日々でしたね。

人間、余裕が無くなると怖いですよね・・・。



私が住んでいたのは、被害の軽い住宅地で、

比較的裕福な人の多い地域だったんですけどね。

(私自身はアパート住まいで、裕福でも何でも無かったです。
 商売の都合でそこに居を構えていただけ)



それでも、コンビニのガラスは割られるし

多くの人が買い占めに走るし(必要な日数分以上に、可能なだけ買おうとする)

配給で何度も並んで「一人ひとつ迄」のパンを沢山せしめて喜ぶ親子がいたり

あちこちの家から、怒鳴りあう声が聞こえてきたり

ふだんキレイな通りが、ポイ捨てのゴミだらけになったり・・・。




逆に、そんな中でも、

私がゴミ拾いをしていると(自分の家の周りだけですが)

手伝ってくれる人が出てきたり

配給に間に合わなかったお年寄りに自分の分をあげる若者がいたり

それまで何の交流も無かった同士が、あいさつを交わすようになったり。



人間の悪い面だけでなく、良い面も見ることが出来たので、

そう悲観したりすることはありませんでした。

かえって良い繋がり、人間関係が出来たぐらいです。



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とはいえ、自分自身だって、

もっと追い詰められたら何をするか分からないな、とも感じました。


今回はたまたま安全な地域にいただけ、

たまたま30代の壮健な時期に災害にあっただけで。

状況が違えば、もっと狡いことをしないと、

生きていけなかったかもしれません。





私は、人間らしく生きるために、

どんな時も心に余裕を持って行動したいです。

つまり、心に余裕を持てる環境で暮らしたいです。

北海道に引越したのも、そんな理由からです。



放射能だなんだと、常に気を張って心配して

誰かを恨んだり誰かと議論したり、そんな生活が続けば

震災直後よりも、もっと心と生活が荒んでしまいそうだったので。




今はおかげ様で平穏に暮らしています。