昨日、娘新居への引越し完了しました。

引越し業者での移動は終わっていて、残り物の移動のはずでしたが、なかなかハードでした。

プリウスαの二列目のシートも倒して、足元含めて、Max of Max詰め込みました。

かみさんのプリウスでは絶対に運べませんでした。かみさんが来てたら、どうするつもりだったんだ。。。

 

車パンパンにしてから空になったアパートをみて、「あ、そうだ、こんな感じだった!」と思いました。俺もここに住んで勉強してぇー、って思ってから早4年、あっという間。

娘もここで大いなる青春時代を送ったのだと思います。

 

敷金も礼金もない所だったのですが、クリーニング代で5万位だという話を聞いてから一路横浜へGo。高速に向いながらここともサヨナラだねと言ったら「えー、信じられない!」と。

仲の良かった友人が地元の銀行や公務員になったので会いに戻ってくることはあっても大学周辺に来ることはないような気がすると言ってました。

 

大学生活どうだった?と聞いたら、「パパがもしこれから大学生やるとしたら、何勉強したかった?」と、内角高めのシュート野球、一球見送ったところで「大学時代にやりたかったことってなんだった?」と、さらに内角を攻められました。

「いまだったらもともと人工知能に興味があったからIT系の学部で勉強するのもありだと思うけど、でもじやはり機械系を勉強していてよかったと思っている、働いててわかったんだけど、例えば建設会社は大きなものを作っているけど、基本は下請けであって発注者がいるもの。全体をおおつかみして見渡せるのは機械科的な事がバックグランドにあるから」、「また、大学時代にやりたいことは全てやった、だからパパはいまだに大学の時の友達と仲いいでしょう」と打ち返しました。

 

娘的には、1,2年の頃は文系で興味がある専攻があったけど、やっぱり宇宙が好きだったし、最終的に太陽の研究が出来て良かった。だから地学部に入って大正解だった。また、大学生活もコロナにもろ影響受けてた1年生は微妙だったが、なんだかんだいって吹奏楽続けて、大学祭でイベントを企画し(血は争えない)、3年は就活で忙しく、4年は研究で忙しくて楽しい四年間だった、とのことでした。

 

4年生になってから二回海外旅行行っているのですが、それもいい経験だったようです。ワーキングホリデーでもなんでも海外に半年でも滞在したいと言っていたのですが、少なくともパパの周りでは海外に行くことだけを目的にして留学とか滞在して戻ってきてから成功している人は、短期的には良くても長期的にはいないから、ベストか会社員として赴任することだから、今の会社か次の会社か分からないけどそこでチャンスを掴むべきだとアドバイスしました。

 

そんなこんなで新居へ到着。

都会だから、辿り着くのはなかなか難しかったです。。。

車とか停めるスペースないけど横浜駅まで一駅で随分便利な所です。広さも十二分でした。

 

私は新卒で、その他大勢の方々同様に会社の寮に入りました(笑)。

考えてみれば、これが以前の日本のビジネスモデルだったんだと思います。

 

地方国立大出て何も分からない状態の本当の金の卵を田舎の会社の寮そして→社宅にぶち込み、徐々に給料を上げながら会社辞めれないよなぁー、と思わせて定年まで一気にいかせる。これにより、都市部の過密を減らし、結婚しやすい環境を醸成して人口を増やしていく。

私だって会社がグイグイ伸びている状態だったら最初の会社で未だに働いていた可能性大です。。。。

 

娘達の時代は新しい日本の幕開けです。

何もかも0スタートで、大いに働いて、遊んで、生活してほしいです。

 

 

またね!