【ホームページ2020年5月19日の記事より】

 

 

わたしが経験してきた、

女性どうしの集まりも、

数々の本やブログに教えてもらった通り、

 

「共感すること」が頻繁に、

自然に行われて場が和む一方で、

排他的になることがある

 

 

「共感のお礼としての共感」なども度々あって、

それ自体は悪いことではないが、

「自分目線」から「他人目線」へのスライドが自分でも気づかないうちに起こりやすい、

またはずっと「他人目線」になる

 

 

その組織の中で影響力が大きい人(上司や関わるお客様とか)が、

集団の中の、特定の誰かに、

「他の人との区別をつけるようなこと」をすると一瞬空気がザワっとする

 

構成メンバーの相関関係図を自然と頭の中に描いていて、

「関係性」を意識している

 

 

これら全部、わたしから見た景色なんですけどね…

、ということはやはりまずは自分を見つめて

 

 

わたしは、

何だか「じめじめしたもの」を自分にも相手にも感じて。

でも基本、「誰も悪くない」。

仕方のない性(さが)のような部分もあるし。

その特性によって救われていることも恵みもあるし。

 

頭でそう思おうとした。

でもそこに到達するにはまだ修行が足りない。

 

 

じめじめ…

職場の雰囲気の「湿度」が高い。

そう感じるのです。

高すぎると呼吸がつらいのです。

ミストサウナかここは。

一定時間しかいられないぞ。

 

 

だから、休憩時間は一人になれる場所へ行っていた。 

 

ある時、誰もいない会議室で後輩が、

「最近の、みんなの雰囲気がつらいです…どう思いますか…」と聞いてくれた。

そうだよね。わたしもそう思う。

 

集団について外側から(メタに)語ることも少し憚られる雰囲気がある

というのも時々感じるなー。

それは言わないお約束、という。

 

 

だから、ただただ仕事人としてそこにいる男性にすごく癒された。

かなり湿度が下がるように感じる。

もちろん、女性にもそういう人がいて、

信頼できるその女性の先輩と二人で飲みながら話した時も、

「わたし、できれば除湿がしたいんです」

と言ってみた。

が、

 

果たして自分もその集団の当事者でありながらそれはできることなのか、

できるとしたらそれをするとはどういうことなのか。

 

女性性と男性性。

お互いの違いを認めること。

リーダーシップの奥深さ。

そして自己肯定感(よくお会いします…)

 

できることとできないことを見分けて、

わたしにできることをぼちぼちと。

わたしはずっと考えている。

(続)

 

 

好評の「自分をほどくことば/おみくじ」

恋愛の悩み、仕事の悩みに効くことばが出てくる!!とのお声をいただいています

公式LINEにて、お一人ずつに返信しています。

公式ラインはここから↓↓

 

友だち追加

 

 

心理カウンセラー ふただ さとみ

ホームページ「じぶん謎解き」