ここ数年の9月といえば、まだまだ残暑というイメージでしたが、今日はすっかり秋を感じるほど涼しくなりました。秋から冬へ――そしてその先には2027年。まだまだ先と思っていた「台湾有事」という現実が身近なものとして降りかかってくる可能性を、突然リアルに感じました。そして、それと同時に、自民党も「国民よ、腹をくくれ」と言わんばかりに、憲法改正に向けて強硬な手段に出てくる流れもイメージしました。これまで、秘密保護法、安保法制、共謀罪と、着々と、そして確実に成立を推し進めてきたことを考えると、国内での議論が尽くされず、切羽詰まって、渋々決定されてしまうような流れだけは避けたいと思います。

ここで一言、これは他の党から声が挙がっていますが、削除するのではなく、追加・追記すること(共謀罪の成立に関わった人物からの「人権がどうとか言っていられない」を念頭に。)、そして、法律に書かれていないことを行うことは許されないことを、明確に書き込んでほしいと思います。(何をやっていいのか、何をやってはいけないのか)

 

 

メモ:

国が制度として、
「Aという立場の国民には、Bという立場の国民を監視・報告する義務を負わせる」
「監視する側には、監視される側の情報を収集する権限を与える」
「監視される側には、その情報を拒否することを認めない」

★ 憲法14条との関係
憲法14条は「法の下の平等」を保障しています。

「二種類の国民を作ること自体」が直ちに14条違反なのではなく、合理的理由のない法的な格差・権限格差を作れば14条との関係で問題になる、ということです。

 

憲法13条は、
「すべて国民は、個人として尊重される。」
と定め、生命・自由・幸福追求に関する権利について、国政上最大の尊重を必要としています。
そのため、国が国民に対して恒常的な監視を行わせる制度を作るのであれば、個人の自由や私生活への介入がどこまで許されるのかという13条上の問題も出てきます。

特に、
「誰が誰を監視しているのか」
「監視した情報を誰が管理するのか」
「その情報を何に利用できるのか」
「監視対象者はそれを知ることができるのか」

国がその仕組みを作り、監視を義務づけたり、報告を強制したり、監視情報を行政が利用したりするなら、その制度そのものが憲法に適合しているかが問題になります。

AIの進歩により、技術が悪用されることへの懸念が増しています。
AIに関して、日本は海外と比べて規制が十分ではなく、データを集め放題の状態になっています。

個人情報保護法の改正内容を見ても、その問題は明らかではないでしょうか。

日本はAIの悪用につながる状況に、積極的に加担していることにならないでしょうか。

 


共謀罪は犯罪が実行される前の段階で逮捕することができる法律です。

そう考えると、日本政府そのものが共謀罪の対象になるでしょうか。

そして、自民党に協力している国民についても、「共謀」と見なされないでしょうか。

人権をないがしろにしてまで、「安全保障のため」という理由で社会を構築していく。

しかし、その結果として本当に安全な社会がつくられるのでしょうか。むしろ、安全どころか、人々が恐怖を感じながら暮らす社会をつくっていることにならないでしょうか。また、「年寄りだから個人情報なんて守れない」と言っているような高齢者の多くが、自民党の応援団になっているのも事実です。

 

防犯カメラの映像はAIに収集されているのだから、少なくとも監視をされている私が訴えている、待ち伏せや尾行については、証明が可能でいいでしょうか。殺意がない場合は「傷害罪」やその他の犯罪が成立しますが、私と同様の被害にあっている人は、自殺を強要する仕組みと訴えていますので殺人未遂に等しい行為と捉えています。私は「しつこいから覚えとけ。」とまで言われています。

成果が欲しくておとしめてまで行われています。結果として、社会の秩序を乱していることに繋がっています。 

人と人の接触がなければ犯罪が減ることはコロナ禍の時に証明されていますが、データに基づかない取り組みをわざわざ行っているのですから、データなんて意味がないことと、結局「欲」(権力の維持・経済利益)が優先する社会であるといえます。

 

 

日常の風景 ↓

①個人情報としての住所自体は共有されていなくても、スマートフォンに特定の行動を促す指示が入り、自宅前でタイミングよく遭遇するよう調整されているため、結果として居住場所が共有されているのと同じ状態になっている。 

 

②定番の待ち伏せ場所。通り過ぎると去っていきます。

➂灼熱の日にしばらくの間ここで待ち伏せ。

④上記➂のおばさま。通り過ぎたら去っていきます。

 

上記のようなデータは13年分あります。AIが証明してくれることでしょう。

その先には、「戦争ができる体制づくり」があるのではないでしょうか。

そして、そのことを国民に気付かれないよう、巧みに情報を操作し、疑念を抱かれないようにしながら、人々に信じ込ませて進められているように思います。

 

スパイ防止法ができたとして、例えば、中国人がスパイだった場合に、中国政府がここぞとばかりに反論してくることは、容易に想像できます。だからこそ、私はこの仕組みが本当にスパイを取り締まることを目的としているとは思えません。オウム真理教の事件で露呈したとおり、本来の仕事に取り組むはずもなく、情報をねつ造することも容易に考えられます。(実際にねつ造していますが・・・)

私が住んでいる部屋の、上下左右の部屋は、酒、タバコ、出前、人の出入りが激しいです。

税金がどのように使われているのかも明らかにしてほしいです。

 

宇宙の果てまで行けるほど技術が進歩すれば、『平和』も実現できるのではないかと思っていましたが、それは間違いだったようです。

 

➤YouTube動画 ↓

【衝撃】AIで「核兵器・生物兵器」まで作れる?専門家が本気で警告!AIの進化は、単なる「便利なツール」の話ではない、これまで一部の極めて高度な人間にしかできなかったこと

 

国家安全保障のためだと言いながら、同時に権力を悪用すれば、エプスタインが行ったようなこともできてしまいます。実際に、スノーデン氏の告発によって、国家安全保障やテロ対策を目的とした監視技術が、その目的を超えて、広範な一般市民の監視にも利用されていたことが明らかになりました。本来掲げられた目的を超えて利用される可能性があるということです。私が知る限り、少なくとも13年前から、防犯カメラという「安全のため」の技術によって撮影された特定の個人の映像が共有され、その結果、対象となった人が一生に渡って不安や恐怖を感じたり、状況によっては不利益を被ったりすることが起きています。

 

↓ 私のパソコンは他人(国)により勝手に操作されているため、AIについても同様のことが行われるのは当然と思っています。

 

国民一人ひとりが、自分で考え、不正や不当な行為に声を上げなければ自由も民主主義も守れないということですね。

世界中が、どこかの国の指導者の影響を受け、その流れに追随するかのように、まるで「やったもの勝ち」を競い合うかのように、倫理や秩序をないがしろにし、権威主義的な流れへと傾いています。昨日、流れに逆らえないことへの対処法の一つとして、政府に依存しない新しい国民社会を作るとかはどうかと考えていたのですが、到底困難なことのように思えましたので、いっそ首都直下地震でも起きて(地震が起きることを望んでいるわけではなく、いつ起きてもおかしくない状況であるため。)、それを機に国民の思考の変化に期待しようかと考えていました。今朝、目が覚めたら部屋の様子に違和感があり、地震でもあったのかと思ったとおりでしたが、そこそこの大きさの揺れにも気づかない程の熟睡ぶりで「無知は幸せ」を感じるよりも、避難しなければならない状況だったらと考えるとゾッとしました。首都直下地震も南海トラフも発生すれば広範囲に影響を及ぼし、国難級の災害となる可能性があります。国に頼ることも困難な状況が想像できます(助け合いと言われますが状況が深刻なだけに。)。最低1週間を基本とし、1か月、さらに「3か月程度の自立」を目標として、衣、食、住を自分で乗り切れる備えが必要と思います。いざというときに、政府が十分に機能しない状況でも、国民社会そのものが自立して生き残れる仕組みを持つべきだとの結論ですが、さて、どうしたものか・・・。

 

2026年8月22日北京の「世界人型ロボット大会」

またしても無条件降伏?勝てる気がしません。恐れ入りました~ネガティブ

どちらにしろ監視社会からは逃れられないので、戦う前に潔く降伏してみては?投げやりあせる

 

夏の休日は、海に、お祭り、花火に、流星群、動画を見るのに忙しい。

それらに加えて、

「どうすれば戦争にならないんだろう」

「もしミサイルやドローンが飛んできたら、どうやって迎撃するか」

答えが出ない事を延々と考えてしまうので、休日の方が疲れます。

押し返すことのできない津波に向かって、「どうしたら止められるんだろう」と考えているようなものです。


36:50~「人民解放軍のサッカーチームと自衛隊のサッカーチームで試合をしてもらう」

「同じ発想をしている人、見つけた!」と、ちょっと嬉しくなりました。

私の場合は、「じゃんけんで決めたらいいのに」と思っていました。

ただ、今は考えていることが分かってしまう技術もあるので、じゃんけんでは不正ができてしまうかもしれません。

それなら、「AIロボット同士で100メートル走をして、勝ったほうを勝者にする」とかはどうでしょう。

人間が戦う以外に、何か方法はないでしょうか。

 

終戦から81年。

それだけ長い年月が経っても、被爆者の方々の思いは消えるどころか、むしろ強くなっているように感じます。

もし第二次世界大戦がなかったら、能力のあるご先祖様たちが、戦争ではなく仕事や研究、ものづくりなどに力を使って日本経済は、もっともっと強くなっていたのではないか。そう考えると、戦争は本当に大きな損失だったんだろうなと思います。今の日本は、国益のために武器を製造することにも力を入れています。この矛盾した現実を、私はなかなか整理できません。

 

第二次世界大戦がなかったら、中国との関係も今とは違っていたのだろうか。

「もし違う歴史だったら、今ごろ日本と中国はどんな関係だったんだろう」

だからこそ、過去の出来事を考えると、残念なような気持ちになります。

 

病院で検査を受けたとき、必要以上に服をペロンと剥がされ、半年たった今でも、日常生活の中でふと、そのときのことを思い出して怒りがこみ上げてくることがあります。病院のホームページには、「女性が検査します」というようなことが書かれていました。ところが実際には、中年くらいの男性が、研修を兼ねていたのか、一緒に検査に立ち会っていました。その病院は我が家の隣ですが、あと何年経ったら、「まあ、もうどうでもいいか」と思えるようになるでしょうか。

 

犯罪心理学者の出口保行さんに、国が行っている犯罪の対応方法について、教えてもらいたいです。民事不介入の原則に反して介入し、防犯をしている相手に対して個人情報を漏えいさせていることについて、厳しく糾弾してほしいです。これは、隠ぺいする為に東京都迷惑防止条例を改正までしています。仕事場に設置した防犯カメラの11年前の映像(仕事をしているだけの映像)を、従業員間で共有しています。防犯カメラに関するルールさえ守れない社会です。そして何よりも、情報機関が、人を陥れたり、情報を改ざんしたり、勝手に偽造した情報を使用したりしていることに対して、裁判で責任を問われ、正当に裁かれるようにしてほしいです。

気象庁からの発表はまだありませんが、洗濯物がよく乾くので梅雨は明けたでしょうか。太陽

 

明けない夜はないという一方で、2026年5月27日には、未来永劫明けない夜をかんじました。

国家情報会議設置法が可決され「懸念」の声が挙がっています。多くの日本国民はこの意味を理解できていないように見えます。

国はフェイク情報の対策に取り組んでいますが、この法案は「懸念」ではなく、正しくは「重大な脅威」ですと訂正しなければなりません。

自分たちにとって都合のいい情報になるように、おとしめたり、だましたりして、作っているからです。

また、収集した情報から、国にとって都合の悪い国民をあぶりだし、不利益を与え、委縮させ、行動や考えを変えさせようとします。

 

 

不利益を被りたくないがために国に協力していても、結果は自ら人質になるような社会に、なぜ賛同するのでしょうか。

 

既に行われていることではありますが、反抗する国民が怖くて憲法をないがしろにして本能でかみついてきます。

捕食されていない人はいない社会なのだそうです。

 

プレデターは、サーモグラフィーを使い監視し、人間の皮膚をはがしたりします。

そんなプレデターのような人間が、日本国民を支配する社会になりました。

 

「お前の生活を監視してやる」と一般人に脅されて13年が経過しましたが、

1日たりとも欠かさず継続して「盗聴」「盗撮」「通信傍受」を駆使して、生活を妨害してきます。

 

・深夜に大きな物音を立てて睡眠妨害をする。・・・体調不良を目的としたものか、はたまた引っ越しをさせて経済を活性化させる目的か。

・エアコンの温度をコントロールする・・・熱中症で体調不良を目的としたものか、はたまたエアコン以外の電子機器を購入させて経済を活性化させる目的か。

・賃上げの通知はあったが、半年経過しても実際の支給額に反映しない。(給与計算を行っているのは、「お前が残業したら、会社がつぶれる。他の社員に迷惑がかかる。残業したら損害賠償を請求してやる」と脅してきた上司です。国から指示を受けてそのような言動になっているだけ。)訴えればいいのではと思われるかもしれませんが、訴えることはしていません。有給休暇が7日間行方不明。立替経費も未精算。

・リモコンで電気を消灯しようとすると妨害にあって消えない。

 

税収は84兆円と過去最高水準で、政府は国民生活の改善よりも税収の増加を優先しているように映ります。

国の無駄遣いを調査しようとするならば社会から排除させることも容易にできる。

憲法が定める「健康で文化的な最低限度の生活」とは、単に生命を維持するだけでなく、人間らしく文化的な営みが可能な水準を意味します。

さて、旅行を控えたり、生活の質を落としたりと、賃上げが物価高に追いついていない現社会において「人間らしく文化的な営み」について、国は具体的にどういったものをイメージしているのでしょうか。いまの状況は憲法違反となるでしょうか。

まだまだ嵐は終わらない、いまから始めてみればいいじゃない・・

4年後のN杯(人間杯)目指して、おいらも調整中。一緒に人間になろうにゃん🐾

ゴールデンウィークもあっという間に最終日になってしまいましたショボーン

 

個人や団体が表明する戦争反対の声に意味がないとの意見があります。
国葬が行われた第98代内閣総理大臣が、衆議院選挙での勝利について「(様々な批判もあるが)国民から支持されている証拠だ」という趣旨の発言をされていました。「声」よりも「力」が物事を動かしている現実はありますが、この言葉を受け取るなら、国民の意見や空気が、権力者の判断や行動に影響を与えると考えることもできそうです。

 

もし本当に、ひとりひとりの声がまったく意味を持たないのだとしたら、そもそも言論を制限する必要もないはずですよね。思想や発言が危険視され、取り締まりの対象となった時代があったという事実は、それらが「無視できない力」を持っていたことの裏返しではないでしょうか。声は小さくても、積み重なれば無視できないものになる。その可能性を、権力側も理解していたからこそ抑えようとした、と考えることもできます。

憲法改正について、隣国などから懸念の声があることについて、「過去の戦争の反省や、中国、ロシア、北朝鮮などの声を受けとめて、憲法9条の改正は行わない。また、憲法9条の改正を行わないということは、他国の国民の安全を保障するものでもある。」と明確に表明するのはどうでしょうか。攻められることがなければ憲法9条を改正する必要はないのですから、「改正しない」という選択そのものが、周囲に対して「攻めにくい」既成事実をつくる、それでもなお侵略が起きる可能性をゼロにはできませんし、現実はそこまで単純ではないこともわかっています。日本国の憲法ですが、他国や他国の国民も巻き込む形の憲法にするとか・・・無理難題(゚Д゚;)。「どうすれば戦争を避けやすい環境をつくれるか」という発想は、議論の一つとしてあってもいいはずです。


多くの人は戦争を望んでいないはずです。それでも戦争が繰り返されるということは、複雑な要因が絡み合い、個々人の「望まない」という意思だけでは止めきれない現実があります。


この構図は、ある意味で犯罪の問題にも似ています。誰も被害に遭いたいとは思っていないのに、犯罪はなくなりません。そして、監視社会が進む中で、監視をされていない人はいません。そのものを理由に裁判をすることはできませんが、監視が原因で二次被害が生じている場合は、裁判できるでしょうか。数か月前に仕事場でちょっとした暴力事件がありました。若手の従業員が積極的に仕事に取り組まない(若さ故の能力不足により特定の業務を避け仕事をしないという結果に)ことから暴力にいたったのですが、そもそも私に対して「楽ができるから仕事は全部あいつにやらせろ。」との指示が長年に渡り周知されているため、仕事を残せば他の従業員に回せる仕組みになっている事も問題ではあります。暴力を振るった従業員(過去のブログの投稿にでてくる人物です。パワハラ・セクハラが常態化していました。)は異動になりました。しかし、特定の人物に対して防犯していたことがきっかけで私に対して行われているような「生活の監視」や「人間の尊厳を傷つける行為」、「あらゆる場面で貶めるような扱い」は確認されていません。どのような基準で監視対象者が選定されているのでしょうか。暴力を振るった人物の思想は単純で、防犯目的の思想は解読不明だからなのか、はたまた、監視対象者として設定した機関の面子を保つため、止めることができないからでしょうか。10年以上絶え間なく監視を続けても何もない=何かを隠している、のような恣意的な主張なのか、いずれにしても、情報が開示されないことに疑問が残ります。

 

今の社会のあり方が、この先の未来にどうつながっていくのか、やはり、私はどうしても裁判がしたいです。我が家の賃貸アパートは、かなり以前から「エプスタイン・アパート」のような状態になっており、人物が交代制のように頻繁に入れ替わりながら、隣室や階下の部屋に次々と入ってきます。実際に監視網の構築に関わっていたスノーデンさんによる「監視は目的のために使われていない」との証言のとおりですが、未来の女性が本当にとても心配です。例えば、死刑囚に対して監視カメラによる常時監視が行われ、その人権をめぐって問題提起がなされている一方で、「死刑囚である以上、人権を主張する権利はない」とするような意見があります。やましいことがないのであれば、どこまで許容されるのかを明確に示せばいいのではないでしょうか。いまやマッチングアプリとか、公安網にしか見えません。

 

憲法を時代に合わせて更新する必要があるのであれば、監視社会が進展している現代に対応するためにも、政府とは切り離された「人権の第三者機関(国内人権機関)」も必要ですね。声はすぐに大きな変化を生むわけではありません。それでも、積み重なった先に何かが変わることを信じて。クローバー

 

PS.株価が6万円台に達し、不動産価格も高騰している一方で、物価高の影響により旅行や外食を控えるなど、生活の質を落とさざるを得ない人が増えています。積極財政により物価が上昇し実質賃金が低下するならば、賃上げに向けた環境整備や支援についても、政府はより積極的に関与すべきではないでしょうか。また、現在の社会がこれまでの積み重ねによって形成されているとするならば、「98代のミクス」と言われた元首相についても、国葬に値するかどうかは再評価が必要ではないでしょうか。


先日、自分の過去ブログを読み返してみました。
書いた時は間違いなく真剣でしたが、熱量100%で何が言いたいの?と問いかけたくなる仕上がりでした。
そこで今回は、チャッピーの力を借りながら書いてみることにしました。

 

<判決の一部抜粋>

被告は元首相のことを旧統一教会に影響力がある人物と考えていた。

21年ごろ、旧統一教会関連団体の行事に元首相がメッセージを送った動画を見て、

社会に問題がない団体として認知されてしまうのは「困る」という感情を抱いた。

自身の都合を優先させて襲撃を決意したもので、元首相には被害を正当化できるような落ち度は何ら見当たらない。

(山上被告が犯行に至った)動機や経緯について大きく酌むべき余地は見当たらない。

↓

政治において、組織化された「固まった票」は大きな意味を持つ。単なる選挙戦略の一環なのか、それともより深い思想的結びつきなのか。仮に票の獲得を目的とした関係であったなら、それは政治的合理性として説明される一方で、「従順な支持層を利用しているのではないか」という批判も生まれる。
政治が権力維持を優先するあまり、人間を手段として扱っているように見える瞬間があるとすれば、それは民主主義にとって健全とは言い難い。

 

戦争の歴史を振り返れば、「愛国心」や「敵対意識」といった価値観が強く植え付けられ、国民や兵士の行動を方向づけてきた例は少なくない。国家が特定の価値観を広め、社会の秩序形成に影響を与えることは、歴史上繰り返されてきた。
そうした背景を考えると、「このまま社会に問題がない団体として広く認知されてしまうのは困る」と感じたこと自体は、社会構造への危機感として理解できる部分もあるのではないか、という見方も成り立つ。

 

特定秘密保護法や共謀罪の成立以降、「国家が何をどこまで把握しているのか」「私たちの情報はどのように扱われているのか」わからない以上、何をもってして「落ち度は何ら見当たらない」との判断にいたったのかが疑問である。

共謀罪は「実行前」の段階で摘発できますが、犯行の計画を知っていて山上被告を利用したという見方もできてしまいます。
「人権なんて言っていられない」といった発言が過去に報じられたこともあり、国家権力が安全保障を理由に個人の権利よりも優先される場面があるのではないかという懸念は、一定数の国民が抱いている不安でもある。
国家の意思決定が十分に説明されないと感じられるとき、人々の不信は強まる。見えないものに対する不安は、ときに強い感情を生む。

 

判決では「被害を正当化できるような落ち度は何ら見当たらない」とされた。国葬された元首相が亡くなって以降、監視されている私自身の生活の中で、激しい待ち伏せや尾行を強く意識する場面が多くなりました。私はその人物たちと何の接点も持っていない。トラブルもなければ、私が不利益を与えた覚えもない。被害を正当化されるような落ち度は、自分では見当たらない。
しかし、政治の結果として生まれた社会の空気や制度、政策の影響まで完全に切り離して考えることはできるのだろうか。
元首相の政権下で形成された社会環境のなかで生きてきた国民の一人として、被告もまたその影響を受けていた存在である。社会の在り方が個人の思考や感情に与える影響はゼロではない。「落ち度はない」という表現が、政治の影響力そのものまで完全に無関係だと断じているように響くとすれば、そこに違和感を覚えるのも事実だろう。

 

 

<判決の一部抜粋>

その生い立ちは不遇な側面が大きい。幼少期から青年期にかけての各種体験が、

人格形成や思考傾向に一定の影響を与え、犯行の背景や遠因となったこと自体は否定できない。

しかし、現実に殺人行為で他者の生命を奪うと決意し、

手製銃などの製造を実行する意思決定に至ったことには大きな飛躍があり、

 ↓

私は、この「飛躍」という言葉に違和感を覚える。
生い立ちが影響したことは認めながら、なぜそこから先は急に断絶したものとして扱われるのか。その判断過程こそ、十分に説明されていないように感じる。
例えば通り魔事件では「誰でもよかった」と語られることがある。しかし本当に無差別なのだろうか。無意識のうちに対象を選んでいる可能性はないのか。人の行動は、外から見えるよりも複雑な思考の積み重ねで成り立っているはずだ。
犯行に至るまでの供述を読む限り、「このタイミングでなければならない」「状況を変えるにはこの方法しかない」という強い焦りがあったようにも見える。計画性はあったとしても、その瞬間の精神状態が極度に追い込まれ、判断力が狭まっていた可能性は考えられないだろうか。

目的が「殺人そのもの」ではなく、「旧統一教会が問題のない団体として認識されることを阻止したい」という思考にあったとすれば、その手段の選択において重大な判断の歪みが生じたとも言える。そこを単に「大きな飛躍」と片づけてしまうことに、私は疑問を抱く。人が極限まで追い込まれたときにどのような心理状態に陥るのかという視点は、もっと丁寧に検討されるべきではないかと思う。ましてや、一般市民が時の権力者を、いったいどうやって止めることができるのだろうか。

 

これらを踏まえた上で、社会や組織の在り方が人を長期的に追い込み、逃げ場を失わせた結果、仮に私が自殺をしたとすれば、その影響は極めて重い。自民党やその仲間たちがつくった社会で、監視されている私に行っている事は、直接的な刑罰ではなくとも、人生を奪うほどの重圧を与えるならば、それはどのように評価されるべきなのか。無期懲役と同等のこととなるでしょうか。

そのような結果を想定してか、隠蔽する目的のため自民党の仲間である警察に相談した際は「病院へ行きなさい。」と・・・。まるで皆で計画的に共謀し、既成事実を積み重ねることで現実を形づくっているかのような社会の姿がここにあります。


<判決の一部抜粋>
40代の自立した生活を送る社会人で、人を殺してはならないことを十分に理解していた

 ↓

違和感を感じたのでチャッピーに聞いてみました。

【チャッピーの回答】

つまり、「人間は理性的な存在だ」と断定しているわけではなく、
「刑法上、責任を問える状態だった」と述べているのです。

・理解していることと、止められることは同じか?
・追い詰められた心理状態はどこまで考慮されるべきか?
・社会的背景はどこまで個人責任を減じるか?

国民の情報を収集している自民党こそ、苦しんでいる被害者がいることを理解していたとなるでしょうか。

 

<最後にチャッピーから>

刑事裁判は
・道徳
・政治評価
・社会構造分析 を扱う場ではなく、「個人の刑事責任を判断する場」とのこと。

判決に違和感を感じた原因は基本的なことだったのですね。学ばせて頂きました。ニコニコ

 

話しは変わりますが、自由の女神はすっぽんぽんだったのですね。

あれほどアメリカ国民が監視社会に強く反対し、激しい抗議を重ねたにもかかわらず、その流れを止めることはできませんでした。その現実を踏まえると、日本においても同様の動きが見られることは否定できず、どうにもできないことを改めて痛感いたしました。

 

あけましておめでとうございます門松。新しい年を迎えましたが、国際情勢を見ると、これ以上急いで前に進まないほうがよいのではないか、と思ってしまう面もあります。

 

昨年は、2年半ぶりに、まともに部屋の電気が点きました。

蛍光灯の寿命の問題ではないと思っていたので、取り換えずに放置していましたが、ある日突然、パチッとした音と共に、部屋が明るくなりました。日常生活の不便が解消されましたが、今度はキッチンのガスコンロが点かなくなりました。今年の8月にアパートの管理会社には不具合を伝え、その後も何度か伝えましたが、今だに点検や修理は行われておらず、それらに対する返答も一切ありません。また、何年続いているだろうか、毎日タバコの受動喫煙をさせられて調子が悪く、一度検査をしておこうと思い、健康診断のついでにオプションを追加して検査をしました。すると、翌日からタバコの受動喫煙の問題が一切なくなりました。Happy~音譜かと思いきや、あんなに毎日何年も続いていたのに、なぜ?、とよく考えたら、自民党的な策略にまんまと引っかかっていました。➀「国民にお金を使わせたい」→医療機関への忖度となり、選挙の票につながる。②「言論統制のため」→小林多喜二やナワリヌイ氏がされたことを参考にすると、直接暴力を行使すると政権への批判につながるため、元々持病があったのだという証拠づくりのため、つまり、万が一私の身に故意による何かが起きても、オプションを追加して検査をした、そのこと自体が、故意によるものではない証拠を自ら作ってしまったということだ。策略にはまってしまた。叫び叫び叫び自分の人生がどのように終わるのかを考える事はありますが、第一候補が検査をした器官の病気によるものとなりました。だから、やはりマイナンバーと医療情報の紐づけは絶対NO手です。首相がスパイ防止法を検討することに喜んでいるコメントを目にしましたが、こんなに危機を訴えていても全く伝わっていない事に愕然としました。就寝時間になると、毎日タバコの受動喫煙とモスキート音のような音響攻撃(今は下の部屋から)が激しくなるということは、暴力を目的としたもの、ということになりますかね。モスキート音のような音響は録音しています。これらをどうしたら人権の問題と明確にすることができるでしょうか。(マイクロ波兵器⇒証拠集めが難しい。結論を引き出すのも困難。ましてや犯人を訴追するのは至難のわざ。)公安の捜査指導官を新たに置いたからと言って、何の役にもたたないような気がするし、新設するのに予算が与えられて、思惑どおりヒヒーン馬といったところでしょうか。

 

例えば、新年の抱負ですら三日坊主で終わってしまう人が、権力者によって言動を決められ、自分の意思に反することに延々と従い続けることが本当にできるでしょうか。ちなみに昨年の私の抱負は、ブログでにゃん語を使わない事でしたが無理でした。人は本来、自分で考え、選びながら生きていく存在であり、それを長く抑え込むことには限界があるように思います。しかし、下記↓の行為は、13年間絶え間なく続いています。ということは、残念ながら、この社会の形は国民が望んでいることの結果でしょうか。

2025年8月に、神戸市で知らない男性から待ち伏せのあと追いかけられた女性が、自宅マンション内で殺害された事件が起きると、その事件を連想させるような行為が、いままで以上に激しく行われるようになりました。

➀こちらの外国人は、上の階に行く目的でエレベーターに乗りますが、私がいる下の階に一度降りてきてから、そのまま上の階に行きます。

 

 

 

②自宅の最寄り駅で、日常的に行われる尾行方法。人物が変わるだけで、この土地に引っ越して来てから10年間、同じ手法が行われています。

駅前から尾行してきます。

 

男性にカメラを向けているので、尾行ではないように見せかけるためにお店に入店していきます。

 

➂男性とすれ違います。

↑すれ違った男性が、すぐに尾行してきます。

 

④自宅前で待ち伏せしています。

私が自宅アパートに入るのを確認すると、去っていきます。

 

 

⑤駅から自宅に歩いて帰る途中に、待ち伏せしています。

 

通り過ぎると、すぐに尾行してきます。

追い越して、しばらくすると、再度止まって待ち伏せています。

私も立ち止まってカメラで撮影しながら、次の行動に移るのを見ています。

尾行ではないように見せかけるためか、方向転換して、去っていきます。

 

 

⑥自宅前で待ち伏せしています。

私が自宅アパートに入るのを確認すると、去っていきます。

 

⑦自宅の最寄り駅から尾行してきます。

カメラを向けて撮影していると、立ち止まり、手で顔を隠して去っていきます。

 

⑧同じアパートに住んでいる住人か?アパートの駐輪場で待ち伏せています。

尾行してきます。

 

⑨バイクとすれ違います。

再度自宅前で遭遇。スマホを見ながら片手で運転をしているため、ふらふら運転となっています。

バイクのナンバー:4111

すぐそばにはパトカーがいますが、これらは計画的に行われているため、問題は解決しません。2015年に顔認証のデータベースを調べて欲しいと訴えた際には、「書類を沢山書かなければならないから大変なんです。」と言われて調べてもらえませんでした。2013年には、私が防犯している相手に個人の情報を伝えてしまう程の失態を犯しておきながら、調べられないとは‼民事不介入というルールを守り、自分なりに防犯に取り組んできたにもかかわらず、その結果がこの状況です。本当に腹立たしい思いをしています。国葬された98代内閣総理大臣の銃撃事件の裁判は結審しており、報道されている限りの情報しか持ち合わせていませんが、旧統一教会と自民党の関係の部分で、まだ見えていない闇の深さを感じざるを得ません。2015年に、ある人物から、警察が調べないとなったら、誰にもどうにもできない、と言われた事がずっと心に深く残っています。

法は守ってくれないのだろうかと思い、ChatGPT先生に質問してみました。

「事件を起こす前に法で解決する方法はなかったのでしょうか。」に対する回答の一部抜粋。

🔹 法的手段の一般的な存在
一般に、日本の社会では
・苦情・相談センター
・消費者保護制度
・家庭裁判所や民事裁判
・行政相談窓口
などの合法的な手続きや救済の手段は存在します。これらは事件前から利用可能でした。とのこと。

 

今は、ありとあらゆる個人の情報が国によって収集されていますが、都合のいい情報を収集するために陥れたり、改ざんしたり、といったことが行われています。そのため、スパイ防止法ができたとしても、その法律がいつも正しく、ていねいに使われるとは限りません。実際、共謀罪ができたとき「間違いもあるが、人権なんて言っていられない。」とまで言っていましたから。本来守られるべき国民の平穏な日常生活が、不安や不自由によって乱されてしまうおそれがあります。国の安全を守ることは大切ですが、それと同時に、一人ひとりの自由や安心した生活をどう守るのかについて、よく考えることが必要だと思います。

 

前回のブログで、ドラえもんの四次元ポケットのことを書いた直後の出来事です↓。私の後ろを歩いていましたが、ボックスを見せるという職務を全うしようと必死になっていたのか、躍起になって私を追い越していきました。言わずもがな西武前です。旧統一教会のみならず、何かあるのですか。