母のこと。 | わたしの宝物

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ふと、気がつくと心に芽生える思い。
そんなことを、思いついたまま、気の向くまま、綴って行こうと思います。

現在、88歳の母と二人暮らしをしている。5年前に父が亡くなり既に娘も嫁いでいたので現在は母と二人三脚だ。

母は、専業主婦として長年頑張ってきた。80歳になるまでは、それまで病院で定期的にお薬はもらって飲んでいたものの、出産時以来入院したことが無いと威張っていた母が毎年入院する様になった。

1年目は、胆嚢炎になり全摘し、6年前父が入院してからは、心配からか、食欲がなくなりその年の暮の寒い時期に脱水症で入院した。
また、翌年、父がなくなる直前にも脱水症で階段を降りていて途中で動けなくなりそこから119をコールし、両親2人共入院ということになった。
父が亡くなってからは、片時もそばを離れず、壁には父の笑顔の写真を貼り、常に寂しく無いようにした。その辺から段々と家事をしたく無くなり、どんどん私に頼るようになってきた。

その次の年、今度は膝に激痛が走り一歩も歩けなくなり正月に救急車を呼び、救急外来で手当を受けた。その後、膝の内部に水では無く血液が溜まる様になり歩くことも難しくなった為、病院で膝関節全置換術を行った。その後も脂肪肝から肝硬変になり、現在は肝癌になってしまった。最近では自宅でも外出の予定がない日は、寝巻きから日常着に着替えなくなり、着替える必要性が無いと言い張る様になり、寒い寒いと気が付いたらまるで病院のベッドの様に食事とトイレ以外はベッド上の生活になっている。
だからといって頭はボケていない。調子の良い日は、家計簿はきちんと付ける(休んだ日数分)私よりしっかりしている。なのに、殆ど日中も眠り、夜もすぐに寝る。しかし夜中はトイレの回数が多い。母は鬱なのか、廃用症候群なのか、と考えたが、寝ているから筋肉が萎え、座っていると横になりたくなる、だから外出も億劫になっている、そんな悪循環を現在は続けてしまっている。今まで何処へでも電話していたのに、全て「あんた、電話架けてよ、」という、他人と話すのも面倒くさい様だ。
挙句に「あんたが何でもするから、私が何もできなくなって頼ってばっかりだわ。」といろんなことができなくなったのは私のせいらしい(^_^;)
今日は、体調はあまり良くなかったが病院に行った帰り、美容院に行きたいと言いだし、久しぶりにカットに連れて行った。
病院でもらった薬を薬局で貰った際に飲んで今は少し元気になったようで少し安心した。
気分転換にもなった様だ。

でも、私の日課は朝起きたら母のベットへ行って呼吸しているかを目視すること。
コレがなんとも大丈夫だろうと思いつつ、少しハラハラしながらの朝一番の日課だ。
いつの日か、母を見送る時が来るだろう。
その時まで、側にいて母が居心地良い様に、私自身悔やまない様に過ごしていきたいと思う。