小さな頃
母の日はお母さんの絵を描いて渡す
それがプレゼントだった
その後は作文を書いて渡すに変わったけれど
母の反応は同じだった
受け取ってくれるけれど
ろくに見もせず横に置く
雑に扱われた感じで
(ママは嬉しくないのかな)
って思った
はじめてカーネーションを贈ったのは
4年生の時
お小遣いで赤いカーネーションを1輪
その時の母の態度も同じだった
5年生の時は
また同じ反応だと悲しいから
カーネーションは贈らなかったけれど
嫌味を言われた
6年生の時には
赤いカーネーションを5輪と
ガラス製の食器をプレゼントした
友達に
「そんなのあげるの?」
と言われたけれど
「ガラスのフルーツを入れる器がほしい」
と母が言っていたことがあったから
ガラス製の大きな楕円の平皿と小鉢が6つのセット
カーネーションを気にしながら重かったけれど
(これならママも喜んでくれる)
そう思いながら渡した
ありがとうと言ってくれたけれと
「えっ こんなの?」
って小さな声がした
食器は使われることもなく
数年後に使い始めた時は
別の人からもらったことになっていた
たぶん
そこで少し学んだ気がする
母の取扱説明書
理解も解明もできないことが多過ぎて
私は喜んでほしくて色んなことをする
その結果のひとつだろうか
日常でも出かける時でも
母の姿は上から下まで私の贈ったもの
たまに
「帽子も洋服も靴も私が贈ったものじゃない」
「もしかしてバッグも時計も杖も全部?」
「自前のものは入れ歯くらいね」
そんな嫌味を言っても
「スマホもそうだし」
「バッグの中の眼鏡も下着も靴下もそうよ」
と返される
嫌味もなんのその
母のほうが一枚上手だった
母の取説は難しいけれど
たまの言い合いもお互いに頭の体操になる
まだまだ元気でいてほしいと心から願う