羊水過少、発育不全で管理入院していた私ですが、第一目標にしていた25週500gを越えたので、
妊娠25週4日一般病棟に移ることができました。

ほっと一息ついたのも束の間。
一般病棟に移ったその日の20:30頃、

突然の破水!!

超低出生体重児を産み育てることができる病院を探してもらうことに。
詳しくは壮絶だった出産①へ



何だか急な展開に、悲しいのか何なのか自分の気持ちがわかりませんでしたショボーン

でも、本当に救いだったのは、大量に破水しているけど、赤ちゃんはお腹の中でめっちゃ元気に動いてるってことキラキラ

予定日よりも3ヶ月も早い出産にはなるけど一刻も早く救ってあげたいキラキラそういう気持ちがあるだけでした。





病院探しは結構時間がかかって、破水決定から2時間後の23:00頃に県内の大学病院に受け入れが決定しましたニコニコ

やっぱり500gの赤ちゃんを育てるのは病院も大変アセアセ
先方の病院も「仕方なくお受けします」って、感じだったそうえーん

でも受け入れ先が決まってほんとよかった!

もしかしたら県外になる可能性もあったので、家から1時間ぐらいの距離で見つかったのはほんと幸運ですキラキラ




それから、救急車で緊急搬送救急車


初めて乗ったけど、救急車ってめっちゃ揺れる!!
この揺れで産気づく人もいるらしいアセアセ

って、私はこんな会話ができるぐらい痛みも不快感なく元気でしたニコニコ





そして、受け入れ先の病院で診察病院

すぐにでも出産しないと!
って言われて搬送された私。

ですが、
搬送先の病院の診察の結果は、
まだしばらくお腹において様子をみよう
とのことでした。

まだ羊水もあるし、赤ちゃんも元気キラキラ

1日でも長くお腹の中で育てることが赤ちゃんにとっては大事だから、安静にして様子をみようと。

しかし、羊水が急激に減って赤ちゃんが苦しくなったら緊急帝王切開になります。と言われました。


何だかバタバタ搬送されたけど、ちょっと拍子抜けアセアセ



でも、病院によってこんなに考え方が違うんだなと思いました。

結果、今は産まない選択が、現在のふわリンによい影響を与えた気がします。





その夜から、搬送先の病院のMFICUに入院病院


前の病院とちがって、ここのMFICUは個室風キラキラ
広くて、ゆったりしてて、新しい!

そして、何だか看護師さんも余裕がある感じで、私の気持ちも何だかゆったりしましたウインク



病院の違いは設備や人だけでなく、入院生活の仕方にも如実にあらわれていました。

【今回の病院】
破水していても
トイレや洗面には自分で行ける
MFICU内なら歩いてOK
食事もベッドで座って食べられる


一方、
【前の病院】
破水したら、
すべてベッドの上で寝たきりで行う。
 食事もトイレも寝たきり
 (大便も寝たままで看護師さんに処理してもらうみたいアセアセ


この違いってすごくないですか??


私は逆に動いて良いことに不安がありましたガーン
だって、動いたら羊水が漏れる…。


でも、今回の病院の考え方は、
出てしまうものは仕方ない。
それをおさえようとして寝たきりの生活でストレスをためるほうが赤ちゃんにとってよくないと。
昔はこの病院でも寝たきりでやってたそう。


でも、確かにストレス度合いは全然違うと思います!

そんなこんなで、結果ゆったりと過ごすことができていましたキラキラ



その成果か、経過は順調

羊水も多少は漏れ出るけど、赤ちゃんが元気に頑張って羊水を作ってくれたおかけで、羊水は増えていきました。

赤ちゃんの力は偉大ですキラキラ





しかし、搬送後の入院生活4日目病院
妊娠26週1日

お腹に多少のハリを感じたので、赤ちゃんの心音が確認できるモニターをつけていました。

いつもなら30分ぐらいつけて終わりなのに、その日はなんだか長くてずーっとつけたまま。



だいぶ時間が経過した頃、向こうの方で警告音みたいな音が鳴ったと思ったら、看護師さんが飛んできた!!

どうやら、ふわリンの心拍が下がったらしい!!!!


そして、看護師さんが一人二人と増え、先生も駆けつけ、あっという間に部屋は大勢の人で大混雑!!



バタバタと、いろんな検査をしてるうちに
また心拍が下がった

というより、
一瞬止まったガーン



二度も心拍が下がったので、

今から緊急帝王切開します

となり、ついに出産することになってしまいました!!




その日は土曜日だったので、主人が面会にきてくれていましたが、心拍が下がるちょっと前からトイレに行って部屋にはいなかったんですアセアセ

それも大便だったみたいで、だいぶ時間がたって帰ってきたら、部屋の中がえらいことになっててかなりびっくりしてました!

でも急な出産だったのに、主人がいてくれたのは不幸中の幸いでしたキラキラ



その後、まだまだ大変なことが続くとはお互い予想もしてなかったんですけどね。




つづく