子宮頚がんの治療中の話ですが、治療内容ではなく、治療を受けていた時の私の心理の話を約5分くらいの文章で書いてます。


治療の内容は別な所で書いているけど諸事情によりリンクできないので“放射線治療”“RALS”で検索してみてね。






ガンって分かった時

これを口実に

借金、モラハラ、虐待、宗教勧誘する旦那、

私の事を盗っ人だ、と

まわりに言いふらしていた義母とが住んでいる

この酷い家から出ようと思い立ちました。






色々な手続きしたり

話をつけたりして

準備を整えてから




『ゆっくり治療に専念したいから実家で過ごしたい』



と、旦那に告げました。






なんの疑いもなく

すんなりと許可されました。






まだまだ引き止められるだろうと思っていたので

(主に宗教勧誘の方で)

意外だったけど

ありがたく実行に移す事にしました。







出発の日の朝。






もう二度と帰ってこないのがバレないように

必要最低限の荷物を車に乗せました。


子どもたちは

見送りにきた旦那と義母にむかって

『行ってきます』

って元気に言って手を振りました。


そして別れを惜しむかのように

ゆっくりと車を発進させました。






この計画がバレるんじゃないかって

めっちゃ緊張しながら

そんなお芝居をしてました。






家が見えなくなった頃に

やっと

『はぁ~よかったぁ~!!』

って

安心したんだよ!








ところで。





このあと

一回だけ

3人で家に入ったんだけど

それはだいぶ未来のお話です・・・。






○・○・○・○・○・○




抗がん剤の点滴は

9時~17時だった(15時くらいからひとりぼっちで悲しかったTT)とか

RALSが痛かったとか

お腹がゆるゆるで治らないとか(今もですが。)

熱が下がらないとか

そういう感じの苦しみでは

ほとんど泣かなかったんだけどさぁ。






出血って

治療が始まってすぐ止まる訳ではなく

私はむしろ悪化していったの。





放射線治療は

徐々にがん細胞を殺すから

急には良くならないよ、

とは確かに言われたけどさ。





出血量がひどすぎて

(大きなナプキンが10分で使い物にならなくなった)

普段は冷静・・・というか

冷めた目で物事を見てしまう私だけど

怖くなって急患で行った時は

さすがに



『なんであんなヤツのせいで

がんにならなきゃないんだ!!』



『こんなにストレスかかってなければ

私は苦しまなかったのに!!

なんでなんだよ!!!』



って待合室でボロ泣きしたよ。





看護士さん。受付のお姉さん。

あの時はごめんなさい。そしてありがとう。






それもまぁ

辛いっちゃー辛かったんだけどね

治療中

いちばん泣けたのが


『クリスマスの頃に治療が終わるから

クリスマスと治療終了

両方を祝おう♪という口実で

ちょっとお高めのオードブルと

ケーキを用意して食べようね♪♪』


って娘たちに

ずーーーーっと言ってたのに


副作用の尿路感染症の悪化で

高熱が10日程続いたため

本格的な治療のために入院し

一緒に過ごせなかったこと。





クリスマスの日

こうじさんが

気を利かせてくれて

美味しいケーキを子どもたちに買って

届けてくれたの。





子どもたちはめっちゃ喜んで

キレイに写真撮って

スマホに写真を送ってくれたけど

もしもそのケーキが無かったら

2人で

雑なおかずを食べて

(キャベツとピーマンを味噌で炒めたのとわかめの味噌汁)

そのまま過ごしていたんだなぁ、って思うと

今でも悲しいです。(T-T)

こうじさんの機転があったから救われました。あの時は本当にありがとう。






もう1つ。






治療中に左足付け根が

謎の激痛に襲われて

歩けなくなったの。





婦人科・放射線科では

『そのうち治るよ』

って言われ


整形外科などに行けば

『がん治療中の人は診れない』

って言われ


痛くてどうにかしてほしいのに

どうする事もできなくて

がん治療が終わって1年ちょいくらいまで

100円ショップで買った普通の杖を

松葉杖のように使って

歩いていたの。

(ちなみに3年経った今も時々痛むよ)





たぶん、その姿を見てたからなんだろうね。





こうじさんは時々

『安かったから』

と言って食材を持ってきてくれたり


部屋に閉じこもってるのは

身体に悪いから、ほら、行くよ?って

うちら3人を連れて

日帰り旅行に連れて行ってくれたりしたの。





この年は

たまたま紅葉が遅れたみたいで

連れて行ってもらった所には

ぽてっと太った真っ赤なもみじの木と

まぶしく輝く黄色のいちょうの木があって

歩くのは激痛だったけど

綺麗すぎてテンション上がった!





そのあと寄った温泉は

がん治療中だから

本当なら入れなかったんだけど

温泉が大好きだし

3人で入りたかったから

一緒に中に入っていって

温泉を見ながら

シャワー浴びてた!

(でも久々に3人でまったりできたから、嬉しかった♪)




お金を払ってくれたこうじさん。

入浴料をムダにした使い方をしてごめんなさいっ!!

(実はこうじさんにこの事実を言ってない。というか申し訳なくて一生言えない・・・。)


ちなみにがん治療から2年後、またこの温泉に連れてきてくれました。ずっと『また行きたい!(今度は温泉のお湯に浸かりたいなぁ)』『やだ。絶対連れてかない』って漫才(?)してたけど、ちゃんと守ってくれたの。あまのじゃくだけど、あまのじゃくだけど!ほんといい奴!






そんな感じで

色んな方からの色んなサポートを受けながら

治療が終わり

身体が

ゆっくり、ゆっくり

元に戻っていきました。





だいぶ歩けるようになった頃

いよいよ離婚に向けて

動き出しました。




      《続く》





△▼△▼△▼△▼△▼△▼△





がんの治療方針が決まり始め

それと同じように

旦那からの宗教勧誘が活発になってきた頃

私は彼に

宿題を出しました。






『宗教勧誘する前にやらなきゃない事があるよ。

それが分かったら教えてね』




『答えが出るまでは帰ってこないからね』







旦那は毎日泣きながら

『分からないから教えてください』

って言ってました。






調停中は

『帰ってくる気がないくせにイチャモンつけた』

ってののしっていましたが

自分で正解を出さなくてはならなかったので

今でも教えていません。






この宿題には

複数の答えがあって

どれか1つでも正解したら

こうじさんが散々私に言っていた

『家に帰る』

を実行するつもりでした。






治療費の話し合いをしなかったため

答えのひとつは

『治療費を話し合う』

だったけど(最後までお金にルーズだった)

私の中では、もっと大事な事がありました。








『子どもたちの事は心配いらないから

安心して治療に行ってきてね』





この一言を言うだけ、だったんです。






私の命より大切な子どもたちをほっといて

拝んだり、献金したり、講演会に行く。


そんな事をする人の所に

帰るわけないじゃん。





人を大切にする、慈しむ。





この事に気付いたら

彼はきっと

宗教にベタベタ、ベッタリ~にならなくても

素敵な人生を歩んでいけると思うので

この宿題の答えは

彼に自力でしっかり考えてもらいましょう。






~。,。~。,。~。,。~



がんって分かってから

ずっと思ってました。




娘たちは

私がいなくなったら

悲しんで悲しんで

しばらく寝込むかもしれないけと

それでも

前を向いて生きていける

そういう自信があった。






でも、こうじさんは?






小田和正のコンサートで

『言葉にできない』を聞いている時


『俺、この曲無理。ごめん。泣いていい?』


って言って

私の隣で静かに涙を流していた

純粋でとてもきれいな心を持った人が

私がいなくなったら

どんな心で生きていくんだろう。






側にいたのに見つけてあげられなかった

早く病院に連れて行くべきだった

色々気付くタイミングがあったのに、俺は何をしていたんだ・・・!!!





そうやって自分を責めて

責めて 責めて 責めて・・・




ずっと後悔しながら

前を向くことができないまま

生きていくだろう。




容易に想像ができた。







だから私は

治療がどんなに辛くても

生きる事を選択し続けたの。






子宮頚がんの5年生存率は高い方だけど

決して100%ではない




だから

元気になった今は

いつ死んでもいいように




『生きている間に

色んな事するのぉ!!』




ってワガママ言ってます。







時間をムダにするなんてあり得ない。



少しでもたくさん

こうじさんの笑顔を見ていたいし

4人でたくさん思い出作りたい。






今、ここで死んでしまっても

後悔しないように。






とはいえ

逆のバージョンで

こうじさんが死んでしまったら

どんなに一緒にいる時間を大切にしていても

耐えられないんだろうなぁ。






生きるって

むつかしいよね。







‥~‥~‥どうか負けないで‥~‥~‥



子宮頚がん(たぶん子宮体がんも)って
『性に奔放な女性がかかるモノだ』
と言って差別される、という話を聞きました。

めちゃくちゃショックでした。

がんになった事だけでもツラいのに。

卵巣や子宮が無くなる事が、精神的にどれだけ苦しい事だと思う?
みんなが『私の赤ちゃんが・・・(о´∀`о)』って言ってるのを聞いて、もう二度とそういった事を言う事は無いんだな、とかの、このやるせない気持ち。
ちょうど3日前にもお医者さんに言われてきたんだけど、子宮や卵巣が無くした事による閉経って、普通と違うんだよ?閉経はみんなが通る道なのよ、じゃ、話は済まないんだよ?
後遺症のひどさや、引き金となって起こる病気とか、そういうのと、どう折り合いをつけていけばいいの?

そしてなにより、再発の怖さ・・・!!!

あなたは絶対悪くない。
だからそんな発言なんかに負けないで!







RESTART

うまくいかなくて沢山泣く事もある。

でも
頑張ってもがいているあなたに
必ず幸せがやってくるよ。

苦しい問題を直視しない事も大事。
楽しい事だけ見ていても
なんとかなるモンだよ。


リラックス、リラックス~宇宙人宇宙人くんジンジャーブレッドマン